虐待日記 5
本作品はに掲載中の虐待日記シリーズをコピー、投稿したものです。
今回は学校での物語です。
千葉市立杉並小学校
ここは友子が通う小学校。
ここでは、今日、とある会話が流れていた・・・・・・
第5章 友
7月7日 月曜日
「でさぁ、家の親、少しだらけてただけですぐに怒鳴るんだぜ?マジでうざったいよ・・・」「そっちなんていいほうだよ。家はテストの点が悪かったら飯抜きになってるし」
クラスの男子たちがそんなことを話している。
小学6年にもなれば、そんな会話を誰でも1度はするだろう。
しかし、彼らはその親のありがたみを分かっていないだけである、そういうことを最近、よく思うようになっていた。
だらけていて怒鳴られるのは当たり前で、テストの点が悪ければ怒られる。
そんなのは当たり前と誰でもわかるだろう。
逆に、私はそんな会話ができている彼らがうれしかった。
テストの点がで、どうこう言われるなんて、家では絶対にあり得ない。
どんなにいい点数を取ろうが、今の母はろくに相手をしてくれない。
しかし、テストの点が悪かったら、それをいいことに殴られる・・・・・
これが私の家の基準だった・・・・・
「どうした、友子。最近、元気ないように見えるけど・・・・」そう言って、1人の男が話しかけてくる。
彼は杉田 啓司。私の同級生であり、1番仲のいい友達ともいえる。
「いや、特に何もないよ」と、私は適当にごまかす。
「そう?なら、いいが・・・・」彼はそう言って、昨日のテレビ見た?と、会話を変えてきた。
彼は本当にいい友達だと思う。
父に虐待されて以来、周りの視点が変わった。
みんなは私が父に虐待された、ということを知っていた。
それもそのはず、新聞には「bad father 自らの娘を虐待し、千葉県に住む佐藤容疑者逮捕」書かれ、昼のワイドショーなんかではいいネタとしてとりあげられている。
そのため、周りは私に面白おかしく笑いながら、父に虐待された時、どーだった?だの、あんたの親って何?などと、いつものように話しかけられていた。
おかげで、いつもは話していた人とも話すことはなくなっていき、気が付いたら友達と呼べる友達が居なくなっていた・・・・・
しかし、彼の視点だけは、唯一変わらなかった。
別にいつもと変わらず、あほみたいな話をしてくる。
彼は唯一、私に親に虐待された、ということを触れないで接してきてくれるのだ。
私はもう、彼しか友達と呼べる人はいなかった。
親が私に、この友子という名前を付けたのは、友人、親友がたくさんでき、幸せになれ、という願いが込められていると、私が小さいころに、聞かせてもらったことがあった。
しかし、今じゃたった1人、周りには親に虐待されていた少女、というレッテルが張られているだろう。
そんなんじゃ、近づいてくるのは面白おかしく話を聞くようなのしかいない、そんな奴らに、友達といえる奴ができるわけがない、と、私は思っている。
こんなんじゃ、こんな名前を付けられた意味はないな、それ以前に、その名前を付けた親に、今、虐待を受けているのだし・・・・・
私は、そう思った。
「おい、こら、聞いてっか、友子!」私はそう言われ、考え事をやめ、啓司と、また下らない話をするのだった。
第6章に続く・・・・