虐待日記 3
本作品はpixivに掲載中の虐待日記シリーズをコピー、投稿したものです。
今回は、母親が・・・・・
「どうもありがとうございました」
6月30日、友子は約1週間入院し、退院することとなった。
友子は、まさか、あんな悪夢がこれから始まるとは、夢にも見なかった・・・・・
第3章 母
6月30日 月曜日
「お世話になりました」
お母さんは受付の看護婦に礼を言い、頭を下げ、金を払っていた。
今日、私は退院することとなったのだ。
普通ならうれしいと思うだろうが、私はそんなことはなかった。
お父さんは取り調べられ、裁判にかけられ、無期懲役となった。
お母さんはそれで元気がない。
私も当然元気がなく、周りから見たらただ暗い雰囲気を放っているだけであろう。
私は荷物を持ち、車に乗った。
お母さんの精神状態はきっと今限界に近いであろう。
車はふらふらと不安定な動きで、一歩間違えたら大死に至ると思われる運転だった。
もともとペーパードライバーだったが、いくらなんでも危なすぎる。
60キロが制限速度の国道でも、おそらく100キロは出ていると思う。
古い軽自動車はそれだけスピードを出すとかなりうるさい、甲高い声のような音を出していた。
車の中もかなり暗い感じの雰囲気が流れ、とても何か話をしたりできる状況じゃない。
私は速く家に着くのを願った。
家に着いたその時から、妙な異臭や割れた窓ガラスなど、変だとは思ってはいた。
しかし、家の中は、かなり荒れていた。
食べかけや、まともに処理されていないコンビニ弁当の残飯や、カップラーメン、レトルト食品などが散乱していた。
こんな状態じゃ、食器なんて洗われてるわけがない。
それは予想できたが、想像以上だった。
割れた食器が散乱し、血痕までもある。
おそらく、これを踏んでしまい、足から血を流したのだろう。
割れているのは食器だけではなく、窓ガラスも割れ放題割れ、さらにはタバコの吸い殻、灰が散乱している。
それだけではない。缶ビールにチュウハイ、焼酎までもある。それも飲みかけやこぼれているものばっかである。
お母さんは酒はおろか、タバコの煙すら嫌っていた。
しかし、たった1週間でここまで変わってしまったのだ。
たしかに、自分の最愛の夫を失くし、マスコミたちに付きまとわれ、近所では噂ばかりされているのだ。
お母さんには考えられないようなストレスがのしかかっているだろう。
だいたいは予想できたが、そのままスルーできるわけがなく、思わず母へ問いかけた。
「お母さん、一体どうしたの!?」
出来るだけ動揺を抑えたつもりだったが、思わず声が裏返ってしまう。
母はこちらには見向きもせず、ただ茫然と、何かを眺めるように遠くを見つめ、ほぼ放心状態だった。
「ねぇ、お母さん!?」
もう一度聞き返した。
その、次の瞬間だった。
バキッと、そんな感じの音がした後、私は倒れ、頭から血を流していた。
なんと、母にビール瓶で額のあたりを殴られたのだ。
「い・・・たい・・・・」
私は小さく喘ぎ、そして、また殴られ続けた。
いつまでも、ただ、殴られ続けた・・・・
何故だろう・・・・?
なぜ、お母さんまで、こんなこと・・・を・・・・?
そう思い、意識が遠のいていった・・・・