第七話 挨拶
大陸の南西部に位置するリトレギア王国は、飛竜に跨って戦う竜騎士たちによって興された国だ。国土の約九割が山岳と森林で、飛竜がうじゃうじゃと棲息している。野生の飛竜は、時折村を襲う。だからこの地に住む者はドラゴンと戦う覚悟がなければならない。軟弱者には居場所がない国だった。
近隣の国からは、モンスターと共生するリトレギア国民の姿を、蛮族の国だと揶揄されることもある。異世界の人々にとってモンスターは、倒すべき、忌むべき存在なのである。近年までは確かに、リトレギアは蛮族の国といってもそこまで的外れでもない側面があった。先代の王の時代までは、実力主義といってしまえば聞こえがいいが、近隣の国々の農村を、たびたび奇襲し物資を根こそぎ奪うといった略奪行為を繰り返していた。しかしアレーティア(アリア)の父、アルディナンド国王になってから、そのような蛮行を一切禁じる法を制定した。リトレギアは正義の国として生まれ変わることを、国策として掲げたのである。しかし、これまでの慣習とは真逆の性質を持つ法は、すぐに容認され正しく機能するには至らなかった。急に方針を変えたことで、大陸一の巨大な帝国、グラン帝国に目をつけられたのだ。年々力をつけ巨大になっていく帝国は、かつてリトレギアが行っていたことをやり出した。帝国領に程近いリトレギアの村を次々と襲い、村人は嬲り殺され、村があった痕跡すらもわからないほどの焼け野原にされた。
国民の不満は爆発した。国王の弱腰外交が国の混乱を招いたと。王もそれは認めざるを得なかった。
しかし国王の理想と実態に乖離が起きていても、王室自体の支持はそこまで下落することはなかった。
リトレギア国民には希望があった。アレーティアの兄、リトレギア王国第一王子ソラリスは、王国建国以来の傑物と呼ばれていた。彼が成長し、王の執政を手伝うようになってから、国力は大きく回復した。
ソラリスは飛竜を乗りこなし、竜騎士としてこの国で右に出る者はいない最強の強さを誇った。ルックスも良く、頭がキレ、何をしても才能があった。まさに完全無欠の人間だった。
実質ソラリスの統治に変わってから生活水準を取り戻した国民は、以前のように強い、いや、以前よりも強く、豊かな国が拓かれていくことが夢物語ではないと思えた。好戦的な国民に至っては、帝国に復讐を、と望む者もいた。
最強の竜騎士、ソラリスの人気は絶大だった。
夕暮れ時。風竜は王城の中庭で、ふわりと着地した。リュウトが先に降りて、アリアが降りるのを手助けする。
「ふーっ、無事に着いたね」
風竜を倒すと言ってはじめた長旅は、風竜を仲間にして終わった。無事に城まで帰ってこられた事実に、二人の間に安堵が広がる。
中庭から城内へと繋がる大扉が、バーンと勢いよく開いた。騎士風の老人がつかつかとこちらに向かって真っ直ぐ歩いてくる。老人の歩き方から、大層ご立腹であることがわかる。
「あれは…………じいや!」
アリアの表情がぱあっと明るくなった。
なるほど彼が例の『じいや』らしい。アリアの教育係兼飛竜に乗って戦う竜騎士で、リュウトが今身に付けている鎧の本当の持ち主。
じいやはその風貌から歴戦の戦士であることが伺えた。焼けた肌に深く刻まれたしわ。精悍そうな顔の右頬には、大きな傷跡がある。言われていた通り細身だが、背が高いく、胃腸薬のコマーシャルに出ている初老の俳優に似ていると、リュウトは思った。
「アレーティア様! わたくしめに一言もなく旅立たれるとは!」
「ごめんなさい、じいや!」
アリアはじいやの元へ駆け寄る。
「じいやに内緒で旅立ってごめんなさい。反省しています! 処罰なら、わたし一人で受けます。どうかお許しください」
「王女のことをどれだけ心配したことか……。それで! ……守備よくやれましたかな?」
先程まで怒っていたじいやは表情を一変させ、ニヤリと笑った。
「じいや! も、もちろんよ!」
じいやは風竜とリュウトの元へと歩いた。リュウトを頭の先から爪先までジロジロと眺める。
「ふむ。君だな。わしの服を勝手に奪った盗っ人は」
「!?」
「それはわしの愛用の鎧だ。君がわしからその鎧を奪って、どうなったと思う?」
「!?」
「今日の昼間は、新しく竜騎士になった若者たちへ指導していた。二十人余りの訓練生の前で剣の扱い方を教えていたところで、眩い光に包まれたと思ったら、着ていた服がいきなりなくなって……。それはもう、それはもう大変だったのだぞ!!?」
「!?!? ーーーーっ! ご、ごめんなさい!」
リュウトはぺこぺこと平謝りするしかない。
それにしてもじいや。想像するとなんて可哀想なんだ。自分がそんな目にあったらと思うと……まあ、近いものは味わったが……いたたまれない。
「あの、本当にごめんなさいじいや。リュウトさんは悪くないし、盗っ人なんかじゃないわ。わたしが魔法を使ったの。リュウトさんは服をなくしてしまっていて……。転移の魔法で、服を少しばかり借りたわ」
「……。何もわしが着ている鎧を転移させなくてもよかったのじゃありませんかな、アレーティア様。服ならいくらでもあるでしょうに。はあ、王女にこんなことで説教するなんてありえませんな。しかしわしを裸にするなんて、発想が、お、おかしいですぞ!?」
「あ、あのときは動転してたの……! はやくなんとかしなくちゃって! 転移魔法って近しいものかつ具体的にイメージできるものに限られてるから……。じいやがいつも着てる鎧ならイメージしやすいと思って……」
「いやいや、ありえませんぞ!? 全く……。しかし、姫様、無事でよかった。……それで君は?」
じいやはリュウトに向き直り尋ねた。
「この人はリュウトさん。わたしを守ってくれた人よ」
「……ま、守れなかったよ。最終的にはアリアが、あの巨大蛇を倒したんじゃないか」
「ううん、リュウトさんはわたしを守ってくれた! それも何度も。命の恩人よ。あと、勇気を出させてくれた。勇気の恩人でもあるわ!」
「ゆ、勇気の恩人……? そ、そうかなぁ」
「うーーーーん、おほん」
じいやは咳払いした。じいやの前でイチャイチャタイムをしている場合じゃない。名乗れと言われているんだ。
「あの、じいやさん! はじめまして! オレ、佐々木リュウトっていいます。高校一年生で、今日、突然ここに来ました。好きなものは……って今はそれはいいよね。よろしくお願いします」
「ササキリュウト……? コウコウイチネンセイ?」
じいやにも意味がわかっていないようだった。リュウトとはじめてあったアリアと全く同じ反応をしている。アリアは隠れてくすりと笑う。
「うむ。アレーティア様と同じように、リュウト殿とお呼びしよう。わしの名前はヴァイゼル。アレーティア様の教育係で、竜騎士育成の師範をしておる。よろしくお願いする」
「よろしく、ヴァイゼル。……じいやの方が呼びやすいや。よろしくね、じいや」
老齢の竜騎士ヴァイゼルことじいやとリュウトは握手を交わした。何十年も竜の手綱や槍を握ってきた手は大きくて、乾燥していて、ゴツゴツしていた。
「それにしてもリュウトとは……変な名前をつけられたものじゃな」
「ええ? えー、そう? オレの周りでは割と普通だよ。読みはね。漢字は変だけど。でもオレよりもっと変な名前の奴いるよ。その漢字でその読みはないだろって名前。例えばーー」
「?」
「ねえ、リュウトさんを止めて。あの人おしゃべりで、一度話し出すと終わらないの!」
二人の挨拶が終わると、中庭にもう一人の老人が入って来た。やはり急いでいる。
じいやは入ってきた老人に対して膝をついた。じいやより立場が上の人物のようだ。
老人はアリアをみるなり、怒号を響かせた。
「アレーティア! 今までどこに行っておったんだ! 心配をかけさせおってこの、この……愛しい娘がっ!!」
「父様!」
怒号の中に、深い愛情を感じさせる。老人は言い終わると、キツくアリアを抱きしめた。
「ぐえ!」
父様? アリアはプリンセスだから、この人が、リトレギア王国国王、アルディナンド国王?
老人の長く伸びた髪と髭は白銀で、身体こそ衰えが見られるものの、飛竜に乗って戦う姿も想像に難くない立派な体格をしている。王様のマントを翻して歩く姿はザ、国王という感じだ。絵本に出てくるような王様そのものだ。
「ふーん、随分と歳が離れてる親子なんだな〜」
リュウトの呟きをじいやが拾う。
「アルディナンド国王が歳を取られてからやっと出来た一人娘ですからなぁ。いつも心配されていて、アレーティア王女にはああなのです」
「えっ、一人娘?」
アリアには、歳の離れた兄がいると聞いていたが、一人娘とは、どういうことだろう。
長々と娘と抱き合った国王は、リュウトと、それから風竜の存在に気が付いた。
王にぺこりと会釈してから、名乗る。
「あの、はじめまして。佐々木リュウトです。アリア……アレーティアさんにはお世話になりました」
「父様、この人はリュウトさん。旅を一緒にしてくれた、わたしの命の恩人です」
「おお、おお!」
国王はリュウトに歩み寄り、アリアと同じようにキツく抱きしめた。
「ぐえ! 苦しいっ!」
「やあやあ、ありがとう。リュウトくん。我が愛しい娘を助けてくれたのか。感謝してもしきれないな」
「く、苦しい〜っ」
「おお、おお。これはすまないな」
実際に会ってみたアルディナンド王は、明朗な人物だった。リュウトは国王に、良い印象を抱いた。気のいいおじいちゃん。将来はこんな明るいおじいちゃんになりたい、と。
「それにしてもアレーティアとリュウトくん。お前たちなんだか臭いな。うーんこれは、飛竜のクソよりくさいぞ。どこで何をしたらそんなゲロのような臭いになるのだ。はやく身体を清めてきなさい!」
確かに二人は臭かった。ヘビの体液を浴びて時間が経って、べとべとしたものが固まってきている。言われるまでもなくこんな汚いものははやく落として綺麗になりたい。
「もう暗くなるな。沐浴が済んだら、食事にしよう。ヴァイゼル、食事をもう一人と一匹分手配するように伝えてくれ。そこのちっこい竜も、ちゃんとご飯を食べなさい、たくさんな」
『……』
王はこのちっこい竜が伝説の古竜、風竜であることに気が付いていない様子だった。不服そうに黄色い目を細める風竜がなんだか可愛らしい。
「あの父様、兄様は……?」
「ああ、ソラリスか。あいつならまだ帰って来ておらんよ。帰ってくるのは明日の朝ぐらいかのぉ。あいつのことならいい。心配いらんだろう。それよりも今日の旅についてたくさん聞かせておくれ。お前たち、ただの冒険じゃない冒険をしたんだろう。なに、見ればわかるよ。さあさあ、わしを待たせんでおくれ。じじいはせっかちなんじゃ」
風竜を倒したことをすぐにでも兄に報告したかったアリアだが、いないのでは仕方ない。今日は沐浴して、食事をしたら、ぐっすり眠ろう。色んなことがあった。色んな出会いがあった。色んな感情が働いた。
まるで、『運命』が動いた一日だったように、少年と少女は感じていた。




