第八話 家族
伝説の風竜を倒すところを仲間にして旅は終わり、王城に帰って来たアリアとリュウトは、中庭でじいやと国王に挨拶を済ませた後、沐浴で身体の汚れを落としていた。
沐浴は、男女別々の専用の部屋で行った。侍女たちがリュウトの身体の洗浄を申し出たが、被りを振って断った。今日一日でアリア以外の女性にも裸を見られたら、恥ずかしくて死んでしまう。
巨大蛇の身体から出たべとべとの体液は固まってぎとぎとになっていた。こすってこすってこすりまくってようやく落ちるぐらいのしつこい汚れだ。
巨大蛇は幻影だったので、倒した後すぐ消失したが、何故か蛇から出た体液はこうして残っている。考えられる理由は、この体液は実在の、幻影の蛇を作る上での材料だったのではないか。あんな量の、不気味な液体。それは何で、どこから集めて来たものだろうか。そんなことを考えると、嫌な気持ちになる。これが闇の魔法使いの扱う、闇の魔法の一種か……。もう、これ以上は深く考えないようにしよう。なんだか考えるだけでも誰かに見られているような気がしてきて、背筋がゾクっとする。
沐浴を済ませたリュウトに、侍女たちは服を持って来た。頭からすっぽり被って着る、動きやすい麻の服だ。貴族の普段着に使われているという。それにしてもアリアは転移魔法を使うなら、こういう服を転移してくれていたら助かったのに。さっきまで重たい鎧を纏っていたので、開放感が半端ない。人間の身体ってこんなにも軽かったんだな。
沐浴を終え、服を着替えて、食事の場に向かった。食事専用の大広間で、いつもは家族三人で食べているらしい。
「家族、か」
大広間に着くと、国王、アリア、じいやが揃い、壁際には騎士や召使いたちが並んでいた。三、四十人はいるだろう。こんな大勢の人たちに見守られながら食事をするなんて緊張する。
巨大な長テーブルの上には、鹿、猪、鶏等の肉を中心に、シチューや魚料理、さらにライ麦のパンや砂糖菓子が並んでいた。飲み物には水ではなくエールが出されていた。見目にもわかる豪華な食事である。
モンスターが棲む世界だから、モンスターを食材にした、えげつない食事が出てくる覚悟もしていたから、そうではなくて本当によかった。
「いただきまーす! ……あっ、美味しい! ……もぐもぐ……うん、食べたことない味付けが多いね。お腹空いてたから助かるなあ」
「そうかそうか。ではいっぱい食べてくれ。君は筋肉が足りない。もっと食べてもっと鍛えて、強い男になるのだ。それにしてもリュウトくん、とは、変な名前じゃな。一体どんな親が何を食って思い付いた名なのだね」
「じいやにも言われたけど、またそれ言われた! 変な名前って言わないでいてくれたのはアリアだけだよ。オレの故郷じゃ普通なんだよ」
「ごほっ、ごほっ」
「アレーティア様、大丈夫ですか?」
「ごめんなさいじいや。ちょっとむせただけだから大丈夫」
――変な名前だと……こころでは思ってました、すみませんリュウトさん……。
「で、この飲み物、エール酒? オレ未成年だからお酒は飲めないよ」
「それは子どもでも飲める度数のものじゃ。リュウトくんの故郷では酒が禁止されておるのか?」
「うん。そうだよ。でもみんなイキって飲んでたな〜。学校で飲んでる奴もいたよ。バカだよねー。ってあれ、アリアはもうご馳走様なの」
「うん……」
「少食すぎるよ、そういえば何歳なの」
「十歳になったばかりよ」
「えっ!? じゅ、十歳!? 想像よりだいぶ小さかった! あ、老けてるって言いたいんじゃないよ。じゃあすごく大人びた言動してたんだね。ええ〜十歳かあ……! オレは十五歳だよ。五歳差かあ……って、小学生!? これから成長期じゃんか、もっと食べた方がいいよ」
「……あまり食欲がなくて……」
「いかんぞ、アレーティア。リュウトくんの言う通りじゃ。無理してでも食べた方がいい」
「……父様みたいにお腹出たら、やだもん……」
どうでもいい会話をして、楽しい食事だった。食べ終わって、お腹いっぱいだ。
「家族みたいなのでご飯を食べるのって久しぶりだなー」
「え? リュウトさんは家族でご飯を食べないの?」
「あー……。ああ。まあね、うん」
「そうなの……?」
しまった、余計なことを口走った、と思った。
その会話を聞いていた国王は、優しい口調で語りかけた。
「リュウトくん。これからは、わたしたちのことをもう一つの家族だと思って接してくれ。遠慮もしなくていい。王城の中は自由に歩き回ってくれていい。無論、街も。外に行きたい場合は、野生の飛竜がいるから、わしかヴァイゼルを頼れ。まだ帰って来ていないがソラリスを護衛に就かせてもいい。……わしらは、もう家族じゃ」
「あはははは。ありがとう!」
なんだか、至れり尽せりだと思った。国王は、親身になってくれる、気のいいおじいちゃんだった。
今日はもう休むことになって、食堂を出て、寝具のある客室に案内された。もちろん――アリアの休憩する部屋とは別の部屋だ。
城の中は広い。リュウトは寝具の上で横になった。
こんなに天井が高い建築物の中に入ったのははじめてだ。天井には絵が描かれている。天使たちが、絵の真ん中の聖人を迎え入れている。聖人は女性だ。ピンク色の長い髪をしている。この国ではピンク色の髪は普通なのだろうか。
タイトルがあるとしたら、『楽園』かな、なんて思った。
広い空間にポツンといると、なんだか自分がちっぽけな存在に思えてくる。置かれる環境と自意識は関係あるのかもしれない。普段、一人で狭い部屋にいたから、自意識が拡大されて、どうでもいい悩みも深刻に思えて来ていたのかもしれない。などとぼんやりと考えた。
「家族、か……」
目を閉じた。
外から飛竜の鳴き声が聞こえる。
それはそうか。竜騎士たちが飼っている飛竜が庭にいるんだものな。あんな化け物に、あのじーちゃんたちは乗って戦いに出たりするのか。そんなの命がいくつあっても足りないや。
今日はタイミングがなくて言いだせなかったけれど、明日になったら国王に日本に帰る話をちゃんとしよう。
父さん、母さん、妹のミク。家族はオレのこと心配してるのかな。警察に届け出されてたりするかな。オレは生きてるよ。ただ今はちょっと、リトレギア王国にいるだけ。この世界にはドラゴンがいる国があるんだね。魔法も見たよ。魔法を使える女の子と友だちになったんだ。ちょっと心配になるところはあるんだけど、オレよりはしっかりしてて、いい子なんだ。その子とすごい冒険をしたんだ。話すと長くなりそうだから、また明日、また明日ね。それじゃあ、おやすみなさい。
家族や友だちが住む平和な日本と、ドラゴンや魔法がある苛烈なリトレギア王国が、同じ世界にあるだろうか。ひょっとしたら、『異世界』に来てしまったのではないだろうか。もう二度と、日本には戻れないのではないだろうか。
「…………」
いや、きっと帰れる。今までもなんとなくでやってこれたんだ。不安がらなくていい、きっと大丈夫だ。弱気になっても意味がない。明日国王に帰る方法を聞いて、それから考えればいいだけの話だ。大丈夫だ。
異世界で女の子と出会って、大蛇を倒して、ドラゴンに乗って、お城で王様と出会って家族として迎えられる。こんなの、ファンタジー漫画の読み過ぎだ。きっとこれは全部夢で、朝起きたら、全部なくなってて、普通に学校に行って、普通に家族と過ごす。きっとそうなるだろう。
高校に入学して二ヶ月。クラスにはもう慣れた。中学からの友だちも何人も同じ高校だし、いわゆるクラスカーストの一軍の層の中に入ってるけど、実はあいつらのことはそう好きじゃない。そもそもクラスカーストという概念がバカなんだ。あんな狭い人間関係に、序列を作って何になる。自分は一軍だと思い込んで人をバカにするクズが一軍なわけがないことすらわからない知能のクセに、偉そうで、暴力的で、全てがムカつく。表面的には友だちではあるけれど、いいところがないわけじゃないけれど、平気で人をいじめられるような、人のこころのないあんな奴らから消えたらいいんだ。
ずっとそう思っていた。
願いは案外はやく叶った。
願いが叶ったときは大声で笑ったものだ。
そしてこの、異世界に辿り着いた。
――もう考えるのはやめよう。夜に考え事をしたっていいことはない。夜に決断を下すのもよくない。夜はよくない。夜は冷たい。夜は寂しい。夜だけは本当によくない。
飛竜の鳴き声の五月蠅さに負けず、夜はぐっすりと眠れた。




