卒業パーティーで婚約破棄された悪役令嬢、なぜか料理長にプロポーズされました
王立学園の卒業パーティーの真っ最中、私は今、公開処刑されていた。
「公爵令嬢アリア・グランツ! お前との婚約を、この場をもって破棄する!」
ドーンと音がした気がした。実際には楽団の太鼓だ。タイミングよすぎる。
会場がざわっと沸き、私はシャンパン片手に固まった。
(え、ちょっと待って。乾杯して一分で婚約破棄? 前菜より早いんだけど)
目の前でドヤ顔しているのは第二王子レオン様。金髪碧眼、いつもキラキラしている。中身は知らない。
その腕にぴったり張りついているのは男爵令嬢ミーナ。ピンクのドレスで、胸元がやる気満々だ。
「レオン様……!」「ミーナ……!」
私は一応驚いたふりをしてみる。顔芸は貴族令嬢のたしなみだ。
「アリア、お前はミーナをいじめ、彼女の持っていたお菓子を取り上げ、さらに『太るからやめときなよ』と暴言まで吐いた! そんな冷酷な女と結婚などできぬ!」
「そうよアリア様! あの日、私のクッキーを全部食べたじゃありませんか!」
会場がさらにざわつく。
(あー……あの日か)
私はこめかみを押さえた。
確かにミーナのクッキーを全部食べた覚えはある。でもそれには理由があったのだ。
「あの、いいですかレオン殿下。あれは」
「黙れ、悪役令嬢!」
きた。言われてみたかったワードランキング第三位「悪役令嬢」。実物は地味に傷つく。
「お前は学園でもわがまま放題、平民出の生徒を見下し、教師にも盾突き、授業中におやつまで食べていただろう!」
「いやそれ、ほとんどミーナ嬢なんですが」
「言い逃れをするな!」
レオンがビシッと私を指さす。指先がぷるぷる震えている。たぶん今日一日練習したのだろう。努力の方向がおかしい。
「ここに証人もいる! なんとかかんとか伯爵令嬢!」
「なんとかかんとかって言いましたよね今」
証人扱いされた伯爵令嬢は、困ったように笑って一歩引いた。
「えっと……アリア様は、その、ちょっと口が悪いところはありますけど」
「おお、やはり悪役!」
「でも、廊下で倒れていた一年生を保健室まで運んでましたし、いつも教科書を忘れるレオン様に自分のを貸してましたし……」
「証言カット!」
レオンがあわてて手を振る。おい、自分で呼んだ証人を編集するな。
私はため息をひとつ吐き、シャンパンをぐいっと飲み干した。
「……で、殿下。質問いいですか」
「なんだ」
「婚約破棄の理由が『クッキーを食べた』って、国の未来としてどうなんですか」
「十分だ! ミーナを泣かせた罪は重い!」
ミーナが「うぅ……」と可憐に涙ぐむ。うん、演技上手い。たぶん趣味は昼ドラ。
「ミーナは優しくて、純粋で、平民にも分け隔てなく接し――」
「食堂で取り巻きと一緒に“平民って臭くない?”って言ってたあの人ですよね」
「アリア、いい加減に――」
「――それ、わたくしが止めましたわよね?」
ついクセで敬語が出る。会場の空気が、ぴきっと凍った。
「覚えてませんの? “そんなこと言うと本当に臭くなりますわよ。因果応報ってご存じ?”って。あの日からミーナ様の香水、三倍になりましたもの」
「ちょっ、アリア様!? なんで今それ言うんですの!」
ミーナが素で裏声を上げた。素が出るの早すぎない?
「ミーナはそんなこと言っていない! なあ、ミーナ!」
「も、もちろんですわレオン様! わたくしは平民の味方ですもの! ねえ、そこの給仕さん!」
ミーナがたまたま近くにいた給仕の青年に笑いかける。だが青年は、無言で一歩下がった。すごく分かりやすい距離の取り方だ。プロだな。
レオンの顔がみるみる赤くなる。
「と、とにかく! お前の悪行は山ほどあるのだアリア! 教室の窓から紙飛行機を飛ば――」
「それ殿下ですわよね?」
「廊下を全力疾走――」
「それも殿下ですわよね?」
「授業中に寝――」
「それも」
「黙れ!」
とうとうレオンが叫んだ。自分の黒歴史読み上げ大会になっていることに気づいたらしい。
会場のあちこちから、くすくすと笑いが漏れる。
(そろそろ、締めに入りますか)
私はスカートをつまみ、深く一礼した。
「レオン・アルバーン殿下。本日をもっての婚約破棄、よろこんでお受けいたしますわ」
「よ、よろこんで……?」
「ええ。むしろ“今までありがとうございました、二度とご利用しません”という気持ちでいっぱいですの」
「なんだその商人みたいな言い方は!」
笑いがどっと広がる。レオンの顔がさらに真っ赤になった。熟れたトマトだ。サラダにして出したい。
「ついでに申し上げますと、あのクッキーを全部食べたのは、ミーナ様が『ダイエットしなくちゃ~』と言いながら三枚目に手を伸ばしていたからですわ」
「ちょ、ちょっと!?」
「“明日から本気出す”とおっしゃってましたわね。その明日は、永遠に来ませんのよ」
会場が「あるある」とざわついた。特に令嬢たちのうなずきがすごい。同志が多い。
「わたくしは将来王妃になる身として、臣民の健康も気にしていただけですわ。それを“いじめ”とおっしゃるのであれば――」
そこで一拍置き、私はにっこり笑った。
「――殿下は、太った臣民で国庫を圧迫するつもりでいらっしゃるのかしら?」
「話が飛躍しすぎだろう!」
レオンが悲鳴を上げる。どこかの老練な貴族が「ほほう」とヒゲを撫でた。健康政策に興味があるらしい。今度、糖分税でも提案してみようか。
「とにかく! お前のような女は王妃にふさわしくない! ミーナ、僕と一緒に新しい時代を――」
「――おっと、その前にいいかい、殿下」
低くよく通る声が、会場の隅から響いた。
みなが振り返る。そこにいたのは――
大きな白い帽子。たくましい腕。エプロン。スープのいい匂い。
「ア、アルノー料理長……!」
王城付きの料理長、アルノー・バルド。四十代半ば、がっしりした体格、いつも厨房で怒鳴っている。顔は怖いが、出てくる料理は優しい。私の隠れ推しである。
(なんでここに!? あ、そうか。パーティーの料理を作ってるのは料理長たちだもんね)
アルノー料理長は、ぐいっと前に出ると、レオンをきっと見すえた。
「さっきから聞いてりゃ、クッキーだの紙飛行機だの……子どものケンカか。皿もロクに下げられねえ坊ちゃんが、でけえ声だけ出してるんじゃねえよ」
「だ、誰に口を――」
「この会場で今、一番働いてるのは俺たち厨房だ。王子様、あんた、さっきから何皿倒したか分かってんのか?」
レオンの足元を見ると、いつの間にか割れた皿が二、三枚転がっている。緊張で足がガクガクしてたのだろう。知らんけど。
「……で、料理長がわたくしに何のご用でしょう?」
私はそっと近づいて、小声で聞いた。
「アリア嬢。あんた、殿下と婚約解消したんだよな?」
「はい。さっき解約ボタン押しましたわ」
「スマホか何かか」
料理長の口元が、わずかに笑った気がした。
「じゃあ――」
彼は、エプロンのポケットから、きちんと折りたたまれたハンカチを取り出し、床に敷いた。その上に片膝をつく。
会場が「え?」と一斉に息をのんだ。
「アリア・グランツ嬢。俺と結婚してくれないか」
……え?
「ちょっと待ってください料理長。展開早くないです?」
「速攻勝負は料理の命だ」
「ラーメンじゃないんですから!」
会場中がザワァッとなった。レオンは口をぱくぱくさせている。金魚かな?
「り、料理長!? どういうおつもりですか!」
「簡単な話だ、殿下」
アルノーはきっぱりと言った。
「この八年間、食堂で一番残さず飯を食ってたのは、このアリア嬢だ。新作メニューも怖がらず真っ先に食べて、感想をくれた。“これ、塩ひとつまみ足したらもっとおいしいですよ?”ってな」
あ、バレてた。
「料理人にとっちゃ、一番の褒め言葉は“きれいに全部食べてもらうこと”だ。俺はこの子を見て思ったね。『こいつの隣で飯を作り続けてえ』ってな」
「プロポーズの理由が胃袋……!」
どこかの令嬢が感動してハンカチを噛んでいる。分かる。私もちょっとグッときている。
「それに、この子は厨房に来ては“余ったパンを平民の子どもたちに回してください”って言ってた。あんたら貴族が見ないところで、ちゃんと仕事をしてる」
そんなことも見られていたのか。恥ずかしい。
「レオン殿下。あんたはそれを“悪役”って呼ぶのか?」
レオンは、言葉に詰まった。
「べ、別に……そんなこと……」
「まあ、いいさ。あんたが手放すなら、俺がもらう。それだけの話だ」
アルノーは私を見上げる。その目は、いつもの怖い目つきと違って、妙にまっすぐだった。
「どうだ、アリア嬢。俺の飯を、一生食ってみねえか」
「……」
私は少し考えた。考えているふりをした。本当は最初の「結婚してくれないか」で心が七割くらい決まっていた。残り三割はスイーツだ。
「条件は三つありますわ」
私は指を三本立てた。
「一つ。デザートは別腹としてカウントしていただきたいですわ」
「もちろんだ」
「二つ。厨房の余り物は、今まで通り街の子どもたちに回してもよろしいですわね?」
「むしろ俺からも持っていく」
「三つ。わたくしが太ったら、一緒に走ってくださいませ」
「……任せろ。毎朝、焼きたてパンとジョギングだ」
「最高ですねそれ!」
私は思わず笑って、料理長の手を取った。
「よろこんで。アルノー料理長。いえ――アルノーさん」
「お、おう」
会場から拍手が湧き起こった。なぜか一部の令嬢たちが「おじさま最高!」と叫んでいる。枯れ専クラスタ、おそるべし。
「ま、待てアリア! 僕は王子だぞ! 将来王にな――」
「殿下」
私は振り返り、にっこりと笑った。
「殿下のご飯は、いつも冷めてから運ばれてくるのをご存じです?」
「え?」
「『王子様のは後でいい』って、厨房でよく聞きますの。“どうせ残すから”って。わたくし、あれずっと悲しかったんですのよ」
レオンの顔が青くなる。周りの貴族たちも、気まずそうに視線をそらした。
「食べ物を、ちゃんと味わわない人は嫌いですわ。人も同じ。自分の前に出されたものを、ろくに見もしないで捨てる人は、もっと嫌いですの」
静まり返った会場に、私の声だけが響く。
「ですから殿下。どうぞ、ミーナ様と一緒に新しい時代をおつくりになって。わたくしは――」
私はくるりと背を向け、アルノーの腕にそっと手を回した。
「――毎日おいしいご飯のある、小さな時代を作りますわ」
「負けた気がするぅぅ!」
レオンの叫びが背中に飛んでくる。知らない。がんばれ未来の王様。まずは野菜から食べなさい。
*
それから数か月後。
「アリア、今日の新作ケーキはどうだ?」
「おいしいですわ! でも、もう少し甘さ控えめにしたら、殿下でも太らず食べられますわね」
「お前、まだ殿下の健康気にしてんのか」
「元・婚約者ですもの。一応、元カレの健康くらいは祈っておきますわ」
私は厨房のテーブルで、エプロン姿のまま笑った。ドレスよりエプロンのほうが動きやすい。レースより小麦粉のほうが似合う気がする。ちょっとだけショックだ。
「そういや、殿下からこの前、差し入れが届いてたぞ。“いつか、あなたの店で堂々と完食してみせます”だとよ」
「ふふ。じゃあその日まで、店を続けませんとね」
「おう。つぶす気はねえよ。うちの看板娘だしな」
アルノーが大きな手で、私の頭をくしゃっと撫でた。
「やめてくださいませ、子ども扱いは」
「じゃあ代わりに、妻扱いしていいか?」
「……それは、もう少し甘さ控えめでお願いしますわ」
そう言いつつ、私は隣に座ったアルノーの腕に、そっと自分の腕を絡めた。
――婚約破棄された悪役令嬢は、今日も元気に厨房で鍋を振っている。
王子様のテーブルより、料理長のまかないのほうが、ずっとずっと甘かったのだから。




