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「ここがリネルの住む館ですか。まるで教会のような素敵な建物です」


 高級娼婦のリネルが住むという白壁の館は、王都でも王城にもほど近く中心地とされる場所に建っていた。


 少し高台になっていて、近くを流れる川があふれても浸水の心配は無用。周りに木造はなく、全てが石造りで大火で燃え広がる可能性も低い。

 高級住宅地と呼んでまず間違いない。


 この立地に建つ娼婦の館は周りとの家々と比べると大きくはないが、およそ体を売って建てたものには見えず、威風堂々と屹立している。

 セレスティアが教会のようだと言ったのは誇張でもなんでもない。むしろ的確な表現だ。


 その印象は外観だけではなかった。


「タカシ=サンでございますね。主人がお待ちしておりました」


 ドアノッカーを鳴らすとすぐに出てきた使用人は女で、その印象は清廉で実直。突然訪問したにも関わらず嫌な顔一つ見せず、落ち着いて対応した。


 使用人が俺たちを通してくれた客間も同じように簡潔で清潔。それでいて軽々しくはない。

 座るよう促された椅子も過度な装飾はないのに、簡素とは異なる質の高さを感じさせる。


 高級娼婦というから、もっと派手で猥雑で廃退的なものを想像していたが正反対だ。


「お待ち下さい。ただいま主人を呼んで参ります」


 長い金髪を一つにまとめた使用人の女は清廉な声で用件だけを簡潔に伝えると、部屋の奥にある別のドアから出て行った。


「高級娼婦というのは、随分羽振りがいいようですね」


 実家が豪邸のアリアですら関心するのは、それだけ質が高いものを使っているからだろう。


「この館の主が花街に来るなら、この館は無人になるということになります。この物件を教会にしましょう」


 ひとの館を物件呼ばわりするなよな。


「無人になっても、セレスティアのものにはならんだろ」


「タカシは浄財も知らないのですか? 花街は私の領地も同じ。ならば聖域。聖域に住まうなら五体投地であたしに寄進すべきでしょう」


 頭の中ピンクは構わないが、さすがに悪徳宗教家は見過ごせないぞ。


「まだ花街に移ると決まったわけじゃないんだ。ここに残って高級娼婦はやめて、大人しく過ごすかもしれないだろ」


 俺なら間違いなくそうする。

 この館を見れば、金がなくて生活のために娼婦をやっているわけじゃないことは明らかだ。ここを売って、慎ましやかな生活なら不自由なく送れるだろう。


「それにしても、どんな人なんでしょうね、高級娼婦って。まさかマフィアの情婦、なんてことはないですよね」


 アリアは自分で言っておいて顔を青白くした。


「可能性は高いのではないでしょうか。そうでもなければ、このような教会向きの物件に住むことなど叶わないはず」


「ちょっと待てよ。マフィアなんているのか? も、もしだぞ、売春を取り仕切るマフィアとかいたら、俺たち相当恨まれてるだろ」


「え!? マ、マフィアって実在するんですか?」


「マフィアって言い出したのはアリアだろ。俺はこの世界のこと詳しくないから、いるかどうかすらわからないんだからな。ビビらせるようなこと言うなよ」


「光が射せば影はできるもの。この王都にマフィアがいない理由はありません。しかし、私たちを魔王討伐した勇者と知りながら喧嘩を仕掛ける無謀な輩はいないでしょう」


 そ、それもそうだよな。俺たちは世界最強で通っているからな。


「タ、タカシは少しビビリ過ぎじゃないですか」


「ビビってねーし。面倒事にならなきゃいいなって思っただけだし」


 広い客間にノックの男が響くと「お待たせしいたしました。リネルでございます」使用人が部屋の奥のドアを開けると、館の主である女はその場で深々と頭を下げた。


 館から受ける上品な印象とはまるで違い、女は透けて体が見えるほど薄いローブを一枚だけ纏い、その体が持つ性的な魅力を何一つ隠そうとしない娼婦らしい淫蕩な格好をしている。


 それよりも驚いたことがある。


 長い銀髪を一つに結っていることで、その尖った耳がはっきりと見ることができたのだ。

 尖った耳を特徴とする種族。高級娼婦リネルはエルフだった。


「いつ、会いに来ていただけるのか、今日の日を楽しみにしておりました。人間なのにエルフを待たせ過ぎではありませんか?」


 エルフについて尖った耳や森に住むこと、長命であること、そして美貌はよく知られている。


 まっすぐに通った鼻筋、青い瞳、表情豊かな切れ長の目、透き通るような白い肌。このエルフもお手本通りの、いやそれ以上の美貌の持ち主だ。


「勇者様ともなれば、最初からベッドでも構いません。椅子などやめて、どうぞそちらのベッドへ」


「リネル様は一見いちげんの客とはベッドを共にすることはございません。今日だけの特別です」


 もしかして、この真面目そうな使用人は最中もずっと見ているつもりなのか。見られていると思うと恥ずかしいな。


「ほらどうぞ、勇者様。脱がせてください。それとも、誘うように女が自らから脱ぐ方がお好きですか?」


「どっちも好きです!」


「タカシ! 何をしにここまで来たのか忘れてしまったのですか? だいたい、ドピュドピュ♡なら朝から2回もしてきたじゃないですか」


「いま、それは言わなくていいだろ」


「借金クソ野郎のタカシが高級娼婦に手を出そうとしているからですよ。そんなお金、うちにはありませんよ」


「ふふ、お金なんて構いません。この国を救った勇者様ですから、その感謝をこの体を使って示したいのです」


「そもそも、どうしてこんなところにエルフがいるのです? エルフが住むのは、魔王城にかなり近い場所でした」


「さすがは勇者様の御一行。エルフの国にも足を運ばれたことがお有りのご様子」


「まあな。人間には友好的ではないと聞いていたが、一日も早く魔王を討伐するためにはエルフの領地を避けることはできなかったからな」


「まぁ、そうでしたか。それでは私の家族も勇者様に助けていただいかのかもしれません。もっとも、あそこを出てから200年ほど経っていますから、私のことなど誰も覚えていないのかもしれませんね」


 エルフってのは長命故に生き死にに接することが多く、人間と比べると過去に固執しないと聞いたことがある。


「王国に来てからこれまで、娼婦をしていたのでしょうか」


「そうです。150年前に王都に来て以来、娼婦を続けています。ですが、それも終わりにしなくてはいけない。今日はそのことでお越しになられたのでしょう」


 エルフが長命とはいえ、150年も娼婦をやっているには相応の理由があるんじゃないのか。俺たちが触れてはいけないような理由が。

 だとすると、花街行きを拒否する可能性もあるか。


 だが、俺もここで引くわけにはいかない。花街の存続がかかっているんだから。


「話が早くて助かる。娼婦を続けたいのなら俺たちの花街に来てもらう。それが嫌なら娼婦から足を洗い愛妾として大人しく暮らしてくれ。愛妾だと言い張れば俺たちは何も文句は言わない。全く何も言えない。引き下がる」


 頼むから愛妾だと言ってくれ。


「愛妾ではございません」


 やっぱりそうか。


「もちろん花街に住まわせていただきます」


 へ!?


「本当にいいのか? 文句を言いたい男だっているだろ。囲っている男が。そいつの考えを聞いてからでも遅くはないから。お願いだからよく考えてくれ」


 予想外の返事に混乱しているのか、なぜか思ってもいないことを口にしていた。


「王都での売春が禁じられたと聞いて以来、考えは決まっております。花街に移ると。花街なら娼婦を続けることが叶い、しかも花街では勇者様のお世話になれるというのですから断る理由などございません」


 思いもしなかったあっけない決着に、俺だけでなくアリアもセレスティアも、知らずのうちにこもっていた力が肩から抜けた。


「ただ一つだけ、お願いがございます」


「可能であれば、他の娼婦とは差をつけていただきたいと思っております。高級娼婦と呼ばれるプライドだと憐れんでくださるのなら」


 そのくらいお安い御用。というよりも、願ったりかなったり。最初から花街の看板にするつもりだった。用意がある。


「もちろんだ。俺たちが直接経営する娼館が建設途中だ。他の娼館よりも立派なものになる。娼婦はまだ一人もいないし、ここに来ればいい」


「ご高配いただき、ありがとうございます」


「高級娼婦と聞いて、どんな我儘女だろうかと身構えていましたが、素直な方でよかったですね」


「国王が決められたことに従うのは当然でございます」


 これだけの美貌だ。一目見ようと男たちが花街に押し寄せるのは間違いない。リネルが俺たちの娼館で働けばその上前もハネられる。

 つまり金になる。

 借金返済は思っていたよりもずっと早いかもしれないな。


「少し早いですが今日はもう帰りましょうか。タカシもドピュドピュ♡が足りなかったみたいですし」


 マフィアの怖いのが出てこなくて安心したのか、アリアは嫉妬心も隠さず半ば強引に話を切り上げようと椅子から立ち上がった。

 間髪を容れずセレスティアもそれに続くから、仕方がなく俺も2人に従った。


「それではお別れのご挨拶を」


 そう言うとリネルはアリア、セレスティアと続けてハグをして、当然俺にも両手を背中に回してギュッとハグをして、花の匂いを漂わせながら耳元で妖しく囁いた。


「次は是非お一人でお越しくださいね。今日は止められてしまいましたが、続きをいたしましょう。エルフは匂いが違うのですよ、その太い指を使って確かめてください」


 匂いって体臭ってことじゃないよな。体臭なら嗅いだし指は使わないよな。

 指を使って匂いを確かめるって、♡の匂いだよな。違うのかエルフは!これは確かめなきゃならんでしょ!


「あぁ、忘れていました!」


 突拍子もなくセレスティアが叫ぶものだから、リネルの囁きが聞こえたんじゃないか、俺の下心を感じったのじゃないかと体が硬直する。


「花街に行くということは、この館は空き家になるのですね。アイサ教実践派の教会にするので、寄進してください」


「教会でございますか。さすが次の聖女候補と目されるお方は立派なお考えをお持ちですわね。でも、申し訳ございません。この館は私のものではないのです」


「というと、賃貸物件でしたか」


「賃貸とも違いまして、ご厚意で住まわせていただいております。ヴェランス公爵閣下の」


「ぐぇ。よりによってヴィクタル=ヴェランス公爵ですか」


 元貴族のアリアが苦々しい声を漏らした。公爵ってことは少なくとも建国の四貴族と呼ばれ、アリアの実家と並ぶ名家。

 当然アリアはその男のことを知っているのだろう。


「タカシはヴェランス公爵も忘れたのですか。あの時の、謁見の間で花街に反対していたご老人ですよ。国王陛下がヴィクタルと呼んでいた、あのご老人です」


 まじか!

 間違いなく王国の重鎮って感じだったよな。あの雰囲気だと恐らく、いや間違いなく国王に次ぐナンバー2。


「この館に住むようになってからは閣下に囲われていると思われて、他の男性は私を求めてくださらないのです」


 あの貴族が囲ってる女を王国から締め出すってまずいだろ。だいたい、あの時猛烈に反対していたのはこれを見越してなのか。


 だとしたら報復だってあり得る。いや、必ず報復される。


「ちょっと待ってくれ。公爵に囲われてるってことは、それはもう愛妾だろ。娼婦じゃなくて。最初に言っただろ、愛妾なら別にいいんだよ。ここに住み続けても」


「そ、そうです。ここで愛妾として公爵との時間を大切にされるのがよいかと」


 この館を乗っ取って教会にしようと企むセレスティアまで緊張した様子で促した。


「いえ、花街にいかせてください。だって花街に行けば、ヴェランス公爵を恐れずに沢山の男性が私を求めてくださるでしょう」


 あの爺さんが囲っていた女を売り物にするとか、激怒間違いなしじゃねえかよ。


「住まわせていただく娼館の完成、楽しみにしております。イリス、勇者様を玄関までご案内差し上げて。それでは私はここで失礼いたします」


 イリスと呼ばれた女の使用人が俺たちとリネルの間に入ると、リネルは後ろを向きドアの方へと歩き出した。


「ちょっと待ってくれ」


 それが高級娼婦の振る舞いなのかもしれない。俺の言葉などお構い無しにリネルはは振り返ることもなく客間から出ていってしまった。


 もっともリネルが足を止めたとしても、愛妾としてこの館に残るのではなく、娼婦として花街へ移る決意を翻せる言葉を俺は持っていない。


 間違いない。あの若い貴族、俺たちを嵌めやがった。


 あいつはリネルがここを離れる考えがあることに気づき、俺たちに背中を押させてヴェランス公爵の怒りを俺たちに向かわせる。

 最初からその腹づもりだったんだ。

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