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「陛下の御膳でそのような世迷い言を! いくら魔王を討伐した勇者といえど許されると思ってか!」
謁見の間の高い天井に太鼓のように低く大きな声が響いた。
床や壁を装飾する滑らかな白い石が振動せせるかのような、それほどまでに大きな声は周りに威厳として映るのだろう。王に最も近い位置に立つ老人の怒声に他の重臣は一瞬で顔を青くする。
ただ、俺は慣れっこだ。この異世界に来る前、向こうで働いていた時は上司や客の罵声に慣れすぎてしまい、このくらいでは萎縮することもなかった。
「まあ、待て。ヴィクタルよ」
王の声は決して大きくはないのだが、貴族の怒声と変わらないくらい不思議とよく通った。
「しかし陛下! 魔王討伐の功に下賜するとはいえ、元は王領でございます。元王領を売春の聖地にするなど、国王陛下自ら売春を公認するようなもの。決して許されるものではございません」
この年老いた男が家臣の中でも位が高いのだろう。他にも家臣はいるが、まるで謁見の間での発言権がないかのように、じっと押し黙っている。
「もちろんだ。しかし、判断をするには材料が必要。そのために、まず話を聞かなければならぬ」
聡明な異世界の王の言葉に、声のデカい老人は口を挟むことができない。
「タカシ=サンよ、そなたの説明を続けて欲しい。恩賞として王都近くの土地が欲しい。その土地で売春をしたいということでいいか?」
「それに加え、先程閣下が述べられたように、下賜いただく土地での売春に国王陛下から公認をいただきたい」
「この無礼者がっ!」
堪らずに老人閣下の怒声が飛ぶ。
俺は気まぐれで売春する土地が欲しいわけじゃない。国王の公認もそうだ。綿密に計画を立ててこの場に立っている。
当然反発されることも想定している。
「下賜いただく土地で売春を公認する代わりに、ここ王都での売春は全て禁じていただきたい。現在の王都では公然と売春が行われております。国王陛下の眼下にも関わらず」
これだけで爺さんはぐぬぬという声を漏らしそうなほどの、典型的な小物の顔に変わった。
建前でも売春は禁じられているはずだが、この提案に反するなら国王のお膝元で行われる売春を見て見ぬふりをすると言っているようなもの。
反論しにくい状況を作り、少しずつ追い詰める。
あと一押しだ。あと一押しで俺の夢の土地が手に入る。
「もちろん売春は王都だけではありません。魔王討伐の道中、魔物や魔族の討伐で倒れた男たちに代わり、女はその体を使い春をひさぎ、生きる糧を得ておりました」
「しかし、魔王討伐により魔物や魔族特有の力は削がれましたから、これからは男たちの命が奪われることは少なくなり、女たちが体を売る心配は無用のものとなります」
「では売春の聖地など不要であろうが!」
今度の怒声は若い男だった。位の高そうな爺さん以外は発言権がない、というわけじゃないらしい。
ただ、それ以外の家臣は黙っている。なにか言いたげな様子すらない。
もしかしたら、他の黙っている家臣は俺の提案が悪いものではないことに気がついていいるんじゃないのか。
だったら、畳み掛けるしかない。
「国王陛下はご存知ないかもしれませんが、王都では街娼を『一夜未亡人』と呼ぶと聞きました。その言葉通り、もともとは一晩だけ街に立っていたそうです。困窮した一晩だけ。しかし、魔王討伐から戻ってきて驚きました」
「いまは一晩どころか、昼夜関係ありません。しかも夫が健在、それどころか結婚前でも体を売る『一夜未亡人』が街に立っています。一夜でも未亡人でもない女性が今日の食い扶持を求めて。ここに来る道すがら、私も何度となく声をかけられました」
売春が蔓延しているのは脅しでもなんでもない。まぎれもない、この王国の事実。
魔族や魔物に王国領土を荒らされながらも、商業の停滞を防ごうと王は金をばらまいた。景気刺激策としては順当だろう。
しかし、ばらまいたその金はまっとうな商業に届かなかった。
たとえ金があっても魔族や魔物の恐怖が払拭されなければ、商業活動は停滞する。停滞すれば、ばらまいた金は余る。
水はより低い方へと流れるように、余った金の行き着く先は酒と女だった。
俺の無茶な要求にも押し黙る家臣は、この事実を理解しているのだ。
「王都の雰囲気、本っ当に変わってしまいました」
おい、バカ! なんだよその言い方は。俺が上手いこと言おうと必死に説得してるってのに。
打ち合わせ通りに黙ってくれよ。余計な口を挟むなよ。
「帰ってきた私に感謝の言葉もないくせに、エロい目でジロジロと見る男ばかりです」
不躾な口をきくこの聖職者は、ヒーラーとして俺と共に魔王討伐を果たしたセレスティア。
次期聖女候補を自称しているが、そんなんだから自称なんだよ。
「たった2年王都を離れていただけで、ひどい変わりようですよ。私なんてホ別1.5でどうって言われましたからね! しかも、私がブライトン公爵家の娘だと知っていてですよ!」
あぁ、アリアもバカだったか。
魔王討伐では攻撃魔法で敵を撹乱し、俺のサポートで活躍していたっていうのに、なんで突然足を引っ張るんだよ。
しかも、四貴族と呼ばれるとかいう、伝統ある公爵家の若い娘なんだから、ホ別とか言うんじゃない。
「アリア、それは本当なのか?」
「本当です。ホ別1.5は安すぎですよ」
アリアとは以前から面識があったようだが、国王が聞いているのはホ別1.5でいいかどうかじゃないと思うぞ。
「30倍は積んでください」
「……なるほど、30倍か」
なるほどじゃねえよ、国王! 何に納得してるんだよ。アリアもアリアだよ。国王なら出せるぞ、30倍くらい。いいのかよ。
流れを変えようとゴホンとわざとらしい咳払いをしてみたが、この場の空気が変わったようには思えない。
それでも、とにかく声を上げて俺は続けた。
「とにかく! この王都では売春が盛んに行われています」
魔王との戦いで産業は疲弊したこともあるが、いまの王都には売春しかないと言っていい。ひどい有様だ。
しかも、状況はさらに悪くなる。
「このままでは、王都はいま以上に売春が盛んになることでしょう」
「無礼だぞ! 王国復興のため魔王を倒したのは当のお前達ではないか。魔物の活動も収まり、王都は再び明るく活気に満ちるはずだ!」
確かにその通りだ。魔王を倒しこの国を再び輝かせるために俺はこの異世界に召喚され、そして2年をかけて魔王を打ち破った。
だが、世界はそれほど単純じゃない。
「私が魔王を倒したからです。魔王がいなくなり魔物や魔族は力を失い数も少なくなったからこそ、売春が盛んになるのです」
「再び産業が勃興し、商業は活発になる。臣民も以前のように働きまわるだろう。どうして売春が盛んになる。女にも仕事が生まれ、暮らしのために春をひさぐ必要もなくなるのだ」
糾弾する若い貴族の見立てに間違いはないが、それは一側面にすぎない。日陰で何が起こるかを考えていない。
まだ若く貴族という地位にいては世界を知らないのだろう。光が当たれば影が生まれることを。
「確かに王都の商活動は活発になることでしょう。その一方で、辺境で魔物の討伐を生業としていた冒険者は仕事がなくなります。仕事を求め王都に戻ってくるでしょう。今の王都に荒くれ者の冒険者が戻って来るととどうなると思いますか?」
声だけはデカい年老いた家臣が無言になったのは、本当はうすうす気がついているからだろう。
「荒くれ者の冒険者が売春が盛んなこの王都に大量に押し寄せたら、王都はどうなると思いますか?」
「そ、それは、冒険者だって仕事に忙しく働きまわるだろう」
「冒険者に向いた仕事があればいい。ですが、魔族との戦争で疲弊した今の王都にはそれも十分ではありません。王都に沢山の冒険者が押し寄せれば仕事にあぶれる。そうなれば朝から女を抱き、酒を飲み暴れ、王都は荒廃し風紀が乱されます。その原因は先程から説明しているように、王都では売春が黙認されていることです」
自分で言っておいてなんだが、これは可能性の一つに過ぎない。蓋を開けてみれば冒険者も額に汗して働き、幸せな家庭を築くのかもしれない。
つまり自信がない。
だからこそ反論を挟ませず、ここで一気に畳み掛ける。
「王都で売春を禁じ、拝領いただく地でのみ女を買えるとなれば、荒くれ者が王都に集まることもありません」
「なるほど。荒くれ者を隔離する街をタカシ=サンが作るということか」
「さすがは国王陛下、その通りです。ただ、それだけではございません。新しく売春街を立ち上げれば、花街建設の仕事を冒険者に与えることもできます。王都での売春を禁じていただければ、その取締も私が請け負いましょう」
「なるほど、売春利権の対価に王都の治安維持に手を貸すというわけか。冒険者がこれから王都に集まるという予想もその通りになるだろう。治安維持にはタカシ=サンのような実力者が力を貸すというのなら頼りになる」
「しかし、国王陛下に売春を公認せよとは……」
「売春にお墨付きを与えるなど教会からの反発も」
異世界でもやっぱり教会ってのは性産業を否定するんだな。ただ、俺はそれも想定してある。
俺の夢、永遠のハーレムを作るたった一回のチャンスだ。魔王討伐の帰路、歩きながら延々と考えてきた。
想定した反対意見だけで100パターンを超える。その全てに屁理屈を用意した。
この機会を逃すわけにはいかない。
「さっきからグダグダグダグダ、何言っているんですか!」
突然声を上げたのは、自称次期聖女、聖職者のセレスティアだった。
「あんた達だって、ココから生まれてきたんでしょ!」
ちょっと待て、一体こいつは何をやってるんだ。
「コ・コ!」
俺の左に立つセレスティアは、国王に向かって自身の股間をバンバン叩きだした。ヒトがどこから産まれてくるのかを示しているらしい。
(バカ、待てよお前。せっかく俺がうまいこと言いくるめられそうだったってのに)
小声で聞こえないのかセレスティアはやめるどころかさらに酷いことを始めた。白い祭服の股間に両手を当てて食い込ませたのだ。
興に乗ったのか、それだけでは終わらない。
国王に向かって祭服にできた割れ目を見せつけるように腰を前へ突き出した。
ダメだ。終わった。
異世界に転移した俺はハーレムを作るために命をかけて魔王を討伐したっていうのに、頭の中がピンク色のこいつのせいで全部台無しだ。
異世界に吉原みたいな公認の売春特区を作って、その中で俺は永遠に女たちからチヤホヤされる。俺の完璧な計画が泡と消えた。
あと少しだったのに。
あまりにもあっけない。
だいたい、聖職者のくせに売春街建設に賛成だったのもおかしいとは思ったが、あまりにも頭がピンク色過ぎだ。まさか国王に対してこんなことを言うヤツだとは思ってもみなかった。
あぁ、大失敗だ。
「そうですよ、国王だって夜になれば毎日のようにやってることくらい知っていますよ!」
うなだれる俺に追い打ちをかけるように、今度は右に立つ名門貴族出身のアリアが恥ずかしがることもなくアホなことを叫んだ。
「国王も大好きですよね? 私もドピュドピュ♡大好きです」
好きって何がだよ。ドピュドピュってなんだよ!
ここは謁見の間だぞ、エッチぃの間じゃないぞ。スケベしないと出れない部屋じゃないぞ。
お前は国王に何を聞いているのかわかっているのか。昭和の飲み会じゃないんだから雑なセクハラをするんじゃねえよ。
「ドピュ♡するの、好きですよね?」
国王の御前でなんの擬音を口にしてるんだよ。直球すぎなんだよ。
「その、なんだ、もし私が売春の聖地を認めたら、……2人は、その、やっぱり、そこに行けば、私にも買えたりするんだろうか」
どもりながら何を言ってるんだ国王まで。国王が顔真っ赤にして言うことがパパ活交渉かよ。大丈夫なのかよ、この国は。
「残念ながら私はタカシの女なので国王陛下といえど、この体をひさぐことはできかねます」
ああぁ、国王がっくりと肩落とちゃったよ。顔真っ赤にしながらも、勇気を出してやっと言えたのに。
「あたしだってタカシの女ですから、しかもタカシの最初の女、それって特別な女です。もちろん国王とはできません」
なんでついでみたいな扱いするんだよ。目の前にいるのは国王だぞ。国王ってのは国の王だぞ。
俺の特別より国王の方が大切だろ、どう考えても。
「セレスティア、もしかしてそれはマウントですか!? 最初の女ってマウントですよね? でも、昨日したのは私なんですけど。最初だけど最後じゃないって、もう飽きられたんじゃないですか!」
「そんなわけないですぅ! ドピュドピュ♡した回数はあたしの方が多いですぅ! 飽きられてるのはそっちじゃないですかぁ?」
なんだよ、普段したことない煽るその口調は。国王の前でやることが煽り合いかよ。
「そっかぁ……、2人はもうタカシ=サンに夢中なんだね」
そっかぁじゃねえよ! 国王もさっさと諦めろよ。
だいたい国王なら、もっといい女集められるだろ。別に2人が大した事ないってわけじゃないけど、上には上がいるからね。国王に見合った女っていると思うってことでね。
あぁ、もうさっぱりわからない。
国王と俺のヒロインズ二人が何を言っているのかさっぱり意味はわからないが、このタイミングだ。それだけは間違いなくわかる。
俺の夢、ハーレムを作る夢を叶えるならこのタイミングに賭けるしかない。
「いい加減にしろ!」
誰よりも声を張ることで俺はこの場を支配した。最後のチャンスに賭けるしかない。
「国王、いいですよね? 作りますから、俺は。売春の聖地を。その時は国王が羨むような、この2人のことなど綺麗さっぱり忘れさせるイイ女が見世に立ちます。イイ女だけではありません。売春の聖地はそこで働く女を全員幸せにするし、王都の治安と繁栄を約束します」
口からでまかせだろうと、このタイミングで押し切るしかない。
俺の思いつきの口車にはなかなか乗ってくれなかったけど、頭の中にアレしかない2人のせいで国王もやりたい雰囲気になったから。
「その顔を見ればわかる。そなたの言葉に嘘はない。認めよう。国王レオルドの名においてタカシ=サンに与える土地でのみ売春を認める」
「「国王陛下!」」
二人の重臣が未練がましくすがろうとするが、一度に2人から振られた国王のだらしない表情を見れば、それは無駄なあがきだとわかる。
俺の勝ちだ。
「ヴィクタル、王都にある売春宿に伝えろ。売春は禁止されたと。もし続けるのであれば、タカシ=サンの指示を仰ぐようにと」
何がなんだかよくわからないが、公認売春特区、もしくは俺の異世界ハーレムは無事に認められた。
「ただし、ただし条件がある」
「条件ですか?」
「疑っているわけではないが、3年後にもう一度判断したい。タカシ=サンが説明したように、王都の治安や花街で働く女が幸せなのかどうかを」
「もちろんです。国王陛下との約束を違えるわけがありません」
「期待しているぞ」
謁見の間に響く威厳のある声とは裏腹に、国王は下卑たエロいおっさんの笑みを隠しきれていなかった。