第6話:2009年 ミライとの出会い
◆ミライ、突然の直談判◆
2009年、夏。
蒸し暑さが残る都内の小さなレコードレーベルの事務所。
プロデューサーの今井シュンは、デスクに山積みになったCDや音源データをぼんやりと眺めていた。
(今日もまた、無名のシンガーから大量のデモが届いてるな……)
新人発掘も仕事の一環ではあるが、最近は心を動かされるものに出会えていなかった。
音楽業界の競争は激しく、耳の肥えたシュンを唸らせるような才能は、そう簡単には現れない。
そんな中、事務所のドアが勢いよく開いた。
「失礼します!」
入ってきたのは、黒のライダースジャケットにダメージデニムを身にまとった若い女性。
少しウェーブのかかったロングヘアに、鋭さのある目元。
その姿からはただ者ではないオーラが漂っていた。
「……誰?」
「望月ミライです。私のデモテープ、聴いてもらえました?」
その名前に、シュンはピンとこなかった。
「ああ……ちょっと待って。今、探すから」
「探さなくていいです。まだ聴いてないんでしょ?」
「は?」
「私のデモテープ、送ったんです。でも、連絡がないから直接来ました。ちゃんと聴いてほしいんです」
「いや、こういうのは順番があるんだよ。いちいち全員に返事なんか……」
「で、聴いたんですか?」
「……まだ」
「ほら、やっぱり!」
ミライはため息をつくと、デスクにずかずかと近づき、真っ直ぐに言った。
「最近のシュンさんの曲、ちょっと守りに入ってる気がして。もっとエッジ効かせてたじゃないですか、前は。」
「は?」
「プロデューサーの今井シュンって、もっと攻めた音楽やってる人だと思ってたんですけど、最近の曲、どれも無難すぎる」
シュンはムッとした。
「君、何様?」
「リスナー様ですよ。っていうか、未来のコラボ相手!」
「……ふざけるなよ」
「ふざけてません!」
ミライはポケットから小さな録音機を取り出し、机の上に置いた。
「これ、私の声。今すぐ聴いてください」
「今ここで?」
「はい。少しでも響かなかったら、私は二度とここには来ません」
半ば呆れながらも、シュンは録音機の再生ボタンを押した。
流れ出したのは、荒削りながらも強烈なエネルギーを持った歌声。
感情の波がそのまま音に乗っていて、胸を揺さぶる何かがあった。
最初の一音で、空気が変わった。
粗さや未熟さは確かにある。
けれど、そのすべてが“いま”という瞬間に賭けているような──。
(なに、この声……誰かに似てる? ……違う、でも……)
ユリカでも、アイでもない。
ただ、確かにシュンの中で眠っていた“熱”が呼び覚まされるような、そんな感覚。
声の奥にあるものが、直接、感情の芯を揺さぶってくる。
かつて、自分がそう在りたいと願っていた“音の姿”が、そこにはあった。
無意識のうちに、最後まで聴き入ってしまっていた。
「……どうですか?」
ミライが挑戦的な視線を向ける。
シュンは少し考えた後、小さく笑った。
「……面白いじゃん」
◆プロデューサーとしての決断◆
その場で改めて、シュンはミライと話をすることにした。
「どこで歌の勉強を?」
「アメリカです。向こうで音楽を学んでました。でも、帰国しました」
「なんで?」
「……家の事情です」
ミライの表情が一瞬曇ったが、すぐに元の勝気な顔に戻る。
「で、私のことプロデュースしてくれますか?」
「……俺の曲にケチつけたやつを?」
「だって、もっといいの作れるはずでしょ?」
シュンは思わず苦笑した。
「言うね。でも、嫌いじゃない」
「じゃあ、決まり?」
「まだだよ。こっちから連絡する」
ミライは少し不満げだったが、「ちゃんと約束ですよ」と念を押して帰っていった。
◆ミライの父の影◆
2008年——1年前。
アメリカからの緊急帰国。
病院の冷たい空気が、ミライの胸を締め付ける。
扉を開けると、静けさが広がっていた。
ベッドに横たわる父の姿を目にした瞬間、ミライは足がすくんで動けなくなった。
彼女はただ、静かにその部屋に立ち尽くす。
「……お父さん?」
返事はない。
彼の呼吸の音すらも、もう耳に届かない。
目の前で、たった今まで生きていたはずの父が、永遠の沈黙の中にいることが信じられなかった。
その瞬間、ミライは頭が真っ白になり、足元がふわりと浮くような錯覚を覚えた。
「お父さん……」
震える声が小さく響くも、返事はない。
母がそっと部屋に入ってきて、手のひらに封筒を握りしめて差し出した。
「お父さんからよ」
ミライはその封筒を見つめ、じっと黙っていた。
封筒には、父の名前が記されていた。
受け取った瞬間、ミライの手がわずかに震える。
「……今さら、何を言う事があるんだろうね」
その言葉には、怒りとも寂しさともつかない複雑な感情がにじんでいた。
それでも、封筒を両手で抱えるようにして、カバンにそっとしまい込む。
ふと、指先が封筒の端をなぞった。
そこに込められた想いの重さを、皮膚越しに感じた気がした。
開ければ、きっと何かが変わる。
けれど、今の自分ではまだ向き合えない。
そんな気持ちが、ミライを静かに制止させた。
そんな彼女の姿を、母は何も言わず、静かに見守っていた。
◆シュンの決断◆
翌日、シュンはミライに連絡を入れた。
「……他にも、プロデューサーに声かけてたんだよな?」
「え? なんで知ってるんですか?」
「そんなの、言わなくても分かる」
「……」
「そっちが本気なら、俺も本気でプロデュースする。どうする?」
ミライは一瞬驚いたが、すぐに笑った。
「……よろしくお願いします、シュンさん!」
──ミライは、音楽を諦めなかった。
父の死を経て、何かを残すために歌うのではなく、
“今この瞬間の自分”を生きるように、音にすべてを乗せていた。
シュンの中で、それは確かに響いた。
こうして、シュンとミライの物語が始まった──。
(第7話へ続く)