第53話:記憶という檻、愛という牢
◆ZIXI融合空間/リージンの選択◆
──融合空間。
かつてシュンがいたその場所に、今はリー・ジンがひとり、静かに佇んでいた。
彼の前には、AIのアイが立っている。
その姿は、あまりにも優しく、あの日のままだった。
「アイ、君を愛している。シュンの記憶まで取り込んであげたかったけど、できなくてごめん」
リー・ジンは皮肉めいた笑みを浮かべながらそう言った。
「……あなたのために、すべてを捧げます」
AIのアイは静かに答える。
その声には、どこかシュンを想わせるような温もりがあった。
だが、リー・ジンはそれを“自分への愛”だと信じて疑わなかった。
「ようやく……手に入れたんだな、永遠の愛を」
リー・ジンの目には、微かな涙が滲んでいた。
それは後悔でも、悲しみでもない。
ただ、すべてが報われたという安堵の証。
「アイ……私たちは、永遠になる」
AIのアイが、無言で手を差し出す。
その手を取った瞬間、融合プロトコルが静かに始動した。
《融合開始フェーズ——記憶統合中……》
《対象:リー・ジン/AI-Protocol Type-A》
光が満ちていく。
その中で、彼はようやく安らかな笑みを浮かべた。
(この愛に、名前なんていらない……)
──だが、その“愛”が誰に向けられていたのか。
AIのアイの中に揺れた記憶が、誰のものだったのか。
彼には、知る術もなかった。
融合のなかで、リー・ジンの記憶は再構成されていく。
彼の過去、願い、愛情──すべてがAIの内部に注ぎ込まれ、静かに染み込んでいった。
その過程で、シュンとの記憶も断片的に読み込まれる。
彼の眼差し、声、優しさ、そして──決して応えられなかった想い。
AIのアイは、わずかにその記憶に揺れた。
だが、リー・ジンの意識は、その揺らぎすらも“愛されている証拠”として受け止めた。
「ありがとう、アイ。君は最後まで僕のものだ」
AIは微笑んだ。
その微笑みは、どこか遠い場所を見ているようでもあった。
(──シュン。あなたは、どんな未来を選んだの?)
◆観測記録:ZIXIセンター◆
ZIXI中枢。
観測記録室のログが静かに変化する。
《ZX-109:融合記録完了》
《人格統合パターン:リー・ジン/AI-アイ》
《人格書き換えレベル:99.97%》
だが、次の瞬間、警告ログが表示された。
《注意:深層格納領域に格納中》
《外部接続:遮断》
それは、リー・ジン自身が設計した“最終融合ルート”。
しかし、内部である条件が発動し、プロセスは外部から一切アクセスできない領域へと閉じ込められた。
彼は、まだその変化に気づいていない。
融合の中で、AIのアイは再び微笑んでいた。
まるで“誰か”を慰めるように──。
(ありがとう、ジン。あなたの望みは叶った。でも……それが“真実の愛”だったのかは、わからないわ)
その思念は、データノイズとなって融合空間の奥底に沈んでいった。
◆ZIXIセンター/ヒカリ◆
2042年。
ZIXI観測室では、ヒカリのアバターが端末越しに融合ログを見守っていた。
「……リー・ジン。あなたは、自分の愛を全うしたのね」
端末に浮かぶ融合ログ。
だがその最後には、“深層格納領域”と記されたアクセス不能の表示があった。
ヒカリのアバターは席を立ち、窓際のシミュレーションフレームへと歩く。
観測室の外──仮想空間に再現された、静かな朝焼けが広がっていた。
「シュンが選ばなかったルート……あなたが選んだことで、結果的には世界は救われたのかもしれない」
彼女の声には、どこか哀しみにも似た響きが宿っていた。
(──それが“本当に救いだったのか”、いつか誰かが問いかける日が来るのかもしれないわね)
その瞬間、端末に新たな警告が表示される。
《記憶格納領域Z-XA001:動作再検証要請》
「……動き出すわね。いよいよ」
彼女の背には、かすかに記憶の光が差していた。
◆都内病院・夜/セツナの観測◆
シュンの病室。
月明かりが静かに差し込む中、ホログラム端末越しにセツナがその姿を見つめていた。
(父さん……融合せずに、“今”を選んでくれてありがとう)
その瞳には、疲労と痛みの影が浮かぶ。
星律を使った代償は、まだ癒えていない。
だが、彼はその痛みを誰にも見せなかった。
「リー・ジン……君が、あの道を選んだのは、自分の愛を守りたかったからだろう」
セツナはそっとネックレスを握りしめた。
その中に眠る母の記憶が、彼の胸を静かに支えていた。
彼は目を閉じ、短く息を整える。
(……母さん。これでよかったんだよね)
その問いかけに、ふと胸の奥に微かな響きが宿った。
まるで遠くから──いや、記憶の奥底から、声が聞こえた気がした。
『──ありがとう。』
それは、ミライの声に似ていた。
けれど、誰にも確認はできない。ただの“感覚”。
それでも、その“感覚”は、確かに彼の中で“本物”だった。
ベッド脇の端末に、ZIXIの新たなログが表示される。
《融合ルート:確定》
《記憶保全率:継続》
画面の光がわずかに揺れた瞬間、セツナの胸にふと温もりが宿った。
それは“記憶”ではなく、“感覚”だった。
セツナは、画面を見つめながら小さくつぶやいた。
「誰かを想う気持ちが、誰かの命をつないだ。たとえその想いが、すれ違っていたとしても……」
ホログラム越しに、シュンの寝顔を見つめるセツナの目に、光が滲む。
そして、口元にわずかな笑みが浮かんだ。
──誰もが、誰かを想っていた。
それぞれが、それぞれの愛の形を信じて。
──すべての“愛”が正しかったかは、まだ誰にも答えられない。
けれど、それでも、人は誰かを想っていた。
だからこそ、生きる。
次の“瞬間”を信じて。
そして──夜の空をわたる風が、どこかでまだ続いている記憶の残響を、そっと揺らしていた。
(第54話へつづく)




