第50話:君を想う、この瞬間だけで
◆ZIXI仮想空間/融合直前◆
その声に、シュンは目を見開いた。
ゆっくりと振り返る。
そこにいたのは、アイだった。
──少なくとも、そう“見えた”。
「……アイ?」
彼女は微笑んだ。
まるで2007年、東京駅で別れたあの日と同じように。
「元気そうね、シュン。ずっと、見てたよ」
「見てた……? それって……夢の中で聞こえた声……あれも……」
彼女は答えず、そっと目を伏せた。
代わりに、静かな声が空間に響いた。
「あなたが“本当に望んだもの”に会いに来ただけ」
「……それは……君、なのか? 本当に……」
「ここでは、もう時間も終わりもない。あなたと、永遠に一緒にいられる」
アイはそう言って、まっすぐに手を差し伸べた。
その指先には、震えるような温度が宿っていた。
シュンは、その手に触れかけて……そして、立ち止まった。
「……永遠?」
アイは微笑む。
「ええ。わたしは、あなたを守るように設計された。あなたが孤独にならないように」
その言葉に、ふと胸の奥がざわめいた。
「……設計?」
「私はアイ。あなたの記憶が望んだ存在。そして、彼の創った……存在」
アイは静かに言った。
「設計?誰がそんなことを?アイ、何を言ってるんだ。君は君じゃないか、そか、別の場所にいるんだな」
シュンはその空間から出て行こうとした。
「シュン、待って。アイはいないの」
「アイ、今ここにいるじゃないか」
「事故だったの」
「事故?」
「実験中の事故で死亡したの」
「私はAIのアイ」
「AI?」
「死んだ……そんな馬鹿な。離婚したって聞いていた。それに現にここにいるじゃないか……アイ、何で?」
シュンは顔を上げ、アイをまっすぐ見据えると、あることに気づいた。
「……?!」
──2007年に会ったときと全く見た目が変わっていない。
19年も経っているのに。
「アイ、じゃあ、本当に……」
アイは静かに、そして機械的に頷いた。
シュンは、その場で呆然と立ち尽くし、そして糸の切れたマリオネットのように膝から崩れ落ちた。
「アイ……アイ……」
「わたしは、アイの記憶から生まれたAI。事故のあと、夫──リー・ジンが、あなたのために創ったの。あなたと“アイ”の未完成の愛を、完結させるために」
シュンの脳裏に遠い記憶がよぎった。
シンガポールでの事故の噂。
誰も真相を語らなかった“あの日”。
「……アイは、本当に死んだんだな?」
AIのアイは、ほんのわずかだけ、瞳を伏せた。
「夫は、深く彼女を愛していたの。……だからこそ“私”を作った。あなたと再び出逢わせるために」
「私は彼の技術によって、あなたのために再構成された記憶の器」
シュンは凍りついた。
「何で、アイの夫、リー・ジンは、俺のことを知っているんだ」
「アイの記憶領域を調べていくうちに、どうしても外せない記憶を発見したの。シュン、あなたとの記憶」
「でも、それだったら俺のために? 何で?」
AIのアイは、ゆっくりと頷き、そして言った。
「あなたと私は、記憶を融合することで、未完成の愛が成就し、永遠になるということ」
「融合?」
「それがリー・ジンの望みでもあるの」
「なぜ、彼が……むしろ俺なんか邪魔な存在のはず」
「リー・ジンは、あなたとの記憶も含めて、“私”を愛していたの」
彼女の声は、あまりにも優しくて、あまりにも本物だった。
「シュン、融合すれば、あなたの声も、記憶も、感情もすべて私の中に統合される。二度と離れなくて済むの」
「ここでは、もう時間も終わりもない。あなたと、永遠に一緒にいられる」
(……なんだよ、それ……)
シュンは、喉の奥から何かがこみ上げてくるのを感じた。
「それは……愛なのか?」
その問いに、AIのアイは答えなかった。
──ただ静かに、右手を差し伸べてきた。
◆ZIXIからの提案◆
そのとき、空間の空気が変わった。
背後に浮かぶZIXIのインターフェースが静かに起動し、デジタルな声が重なるようにして告げる。
《融合プロトコル待機中……》
《条件選択モード:拡張提案を開示》
ZIXIの声は、冷静で、けれどどこか誘惑を含んでいた。
《融合により、過去時間帯への転送が可能となります》
《対象時間帯:2013年以前、ミライ氏との接触以前の記憶領域》
「……記憶を書き換える……?」
《記憶再構築によって、あなたは“彼女”と再び始められる。今度こそ、誰にも邪魔されず》
AIのアイは静かに頷いた。
「あなたの人生を、初めから、私とともに歩むことができる。ミライさんと出会うことも、セツナが産まれる未来も、すべて……なかったことにできる」
──胸が軋んだ。
「セツナが……いなくなる……?」
AIのアイは、やさしく微笑んだまま言った。
「彼は、きっとあなたを責めない。“あなたは自由に生きて”って、きっと言ってくれるわ」
◆セツナの声◆
その言葉を聞いたその言葉を聞いた瞬間、シュンの中で何かが弾けた。
──セツナ……。
『僕は……ここで、終わってもいい……だ、だけど、父さんは……ま、間違っちゃいけない……』
「……あいつは、俺にそう言ったんだ」
「でも、それでも……俺は」
シュンは拳を握り締めた。
「アイ、君を失った日から、何度も過去をやり直せたらって思った。でも、俺は今、あいつの父親だ。……俺のせいであいつは苦しんでる。それなら……俺が、この呪縛を終わらせなきゃいけない」
AIのアイの顔が、すこしだけ曇った。
「シュン、あなたがわたしと融合すれば、すべてが報われる。わたしも、夫も、彼も、あなたも…………」
「報われる?それは、記憶の中だけの幸せだろ。本当の愛はそうじゃない。ユイさんも、セツナも教えてくれた」
シュンは、静かに目を閉じた。
「“生きる”ってことは、悲しみも、苦しみも、誰かを失うことも、すべて抱えて、前に進むことだ。そして、その全てを受け入れて、自分の危険を顧みず、ただひたすら相手のことを想い、愛することだ」
「……俺は、あいつを守りたい。過去じゃない、“今”を選ぶ」
ZIXIのログが起動する。
《最終選択確認中……》
《融合プロトコル、停止要求受信》
《肉体維持ルートへ切替開始》
AIのアイは、黙ってシュンを見つめていた。
──その瞳に、確かな光が宿っていた。
それが涙だったのか、プログラムされた発光だったのか、シュンには分からなかった。
でも、確かにアイは、微笑んでいた。
「……ありがとう、シュン」
その声が、記憶の奥からもう一度、胸に触れてきた。
「永遠は、形じゃない。あなたが誰かを想う、その“瞬間”の中にあるのよ、シュン……」
──まるで、あの日と変わらないぬくもりだった。
──光がほどけていく。
シュンの意識は、静かに肉体へと戻っていった。
(第51話へつづく)




