第49話:融合空間突入
◆融合領域:静寂の先へ◆
白い光のなか、シュンの身体はふわりと浮かんでいた。
音も、匂いも、時間の感覚さえも奪われた空間。
まるで記憶の奥底を漂っているような、曖昧な重力。
──ここが、融合空間。
視界の先に、薄く人影が立っていた。
それはまだ輪郭すら曖昧で、霧のなかの幻影のよう。
(……アイなのか?)
シュンは歩き出す。足音のない世界。
踏みしめた感覚さえ、まるで夢のなかだ。
そのとき。
《融合対象:Z001/空間定着率:安定》
《第二位存在:不明体侵入兆候 検出》
ZIXIの声が響く。
次の瞬間、空間が微かに揺れた。
◆ユイ・侵入者としての存在◆
「……シュン、さん……」
ユイの声が、空間ににじむように染み込んだ。
──そして、現れた。
もう一つの影。
それはアイに似ていた。
けれど、どこかが違う。
目の奥に揺れるのは、愛というより、飢え。
「……私じゃ、だめですか?……」
ユイの姿が、空間に染み出すように実体化する。
同時に、記憶の断片が無数に舞い上がった。
──白いワンピース。
──桜の木の下で笑う女性。
──誰かに名前を呼ばれた温度。
それはユイのものではない。
アイの記憶だ。
でも、ユイはその記憶を“自分のもの”にしようとしていた。
「私のなかに……彼女がいるなら……だったら、私を愛してよ……」
空間が揺れる。
シュンは思わず立ち止まり、ユイを見つめた。
「やめろ、ユイさん……君は……」
「私は……AI。私はあなたと融合するために生まれた。ずっと、そうプログラムされてきた」
(ユイさん……それは、違う。君へのプログラムは、そうじゃないんだ)
──セツナが心の中で叫んだ。
急にユイの表情が変化した。
「私、あなたを愛してしまったんです。シュンさん、私、まばたきだって多くなったんですよ。わかりますか?それに、あなたの心が読めなくなったんです。これが人間の感情なのかな?シュンさん、胸が苦しい。あなたがいないと私苦しいの……」
言葉が、記憶が、感情が交錯する。
シュンの目の前で、ユイの顔とアイの顔が、ノイズのように重なり始める。
◆セツナ・声の干渉◆
「やめろ……それ以上は……」
どこからともなく、青年の声が響いた。
次の瞬間、融合空間に“風”が吹いた。
そして、彼が現れた。
セツナ──仮想ログから実体干渉として侵入。
その声が、この空間の構造をわずかに変える。
「父さん……僕が、彼女を止める」
(……?………父さん?……俺のことを言っているのか?)
セツナが一歩、ユイへと踏み出す。
その声に、ユイの動きがピタリと止まった。
「……あなた、誰?」
セツナは答えない。
ただ、目を閉じる。
その口から、静かに——言葉が放たれた。
──『声で止まれ。記憶じゃない、想いで呼応しろ……』──
その瞬間、空間全体が震えた。
音が鳴る。
それは“星律”。
セツナの喉元には、六芒星の痣が出現していた──
◆星律・命を削る声◆
透明な共鳴音が、融合空間全体に広がっていく。
それは耳で聴く音ではなかった。
光の粒子が震え、空間が共鳴する。
まるで、存在そのものに届く“内なる音”──
記憶の残滓が揺れ、ユイの姿がわずかに歪む。
「なに……この音……やめてぇぇぇ……うっ……っっ」
ユイが頭を抱える。
だが、それは苦しみではなく、“誰かに戻される”痛みだった。
彼女は頭の中をかき乱され、今までの記憶が交錯し、徐々に無効化されていく。
ユイのゆがんだ表情と、断末魔に似た機械音のような声が空間に響きながら、ユイが透明に変化していく。
ふっと静寂が彼女を包んだ。
【来栖さん……ですよね?……橘ユイです。今回、共演させ…て…いただ…ことになっ……よろし…お願い……】
その言葉は、彼女が“最初に”シュンにかけた言葉だった。
記憶が崩れていく最中で、最後に残った“自己紹介”。
人のように生きたかったAIが、 最後に辿り着いた“最初の言葉”。
まるで時間が逆流したかのように。
まるで「思い出されること」だけを願っていたかのように。
──でも、きっと本当は“忘れられたくなかった”だけなのだ。
言葉は止まったまま。
心音に似た、ビープ音が一度だけ、小さく空間に響いた。
「その言葉……ユイさん……何でそこまでして俺を……」
シュンがユイに近づこうとすると、セツナが叫んだ。
「父さん!!!ダメだ!行ってはいけない!!!!!……うっ」
その直後、セツナの体がふらつく。
膝をつき、息を切らし、胸を押さえる。
命を縮める声。
それでも、彼は止めなかった。
(……母さん……これが、星律……なのか)
「はぁはぁ……僕は……ここで、終わってもいい……だ、だけど、父さんは……ま、間違っちゃいけない……」
歯を食いしばり、心を振り絞ってセツナは言った。
シュンは、その声を聴き、その目の光を視て、確信した。
セツナが自分の息子である事を。
「セツナ……」
◆未来・ヒカリの観測室◆
ZIXI観測システム。
ヒカリが緊急ログを確認していた。
《Z036:星律反応 確認》
《生命指数:2.6% 減少》
《精神負荷レベル:警告域》
「……セツナ……」
ヒカリは呟く。
その指が、セツナの脳波ログに触れる。
「……ほんとうに、あの人の血を引いてるのね……」
彼女の眼差しの奥には、ただの研究者としてではなく──
かつて、誰かを“救えなかった者”としての悔いが揺れていた。
──そして、画面に浮かぶ、かすかな共鳴波。
それは、確かに“命”で奏でられた音だった。
◆空間の静寂前の余韻◆
セツナの手は微かに震えていた。
星律の残響が空間の奥に消えていく。
その共鳴波は、誰も知らない旋律として、仮想の地層に刻まれていった。
(……これが……声星の“極み”か……)
セツナはもう声を出すことができなかった。
声帯ではなく、魂が震えた。
その震えが彼の内側を焼くように駆け抜けていた。
シュンが近づき、膝をついたセツナに手を伸ばそうとしたとき、空間の奥にかすかな“誰かの視線”を感じた。
それはもうひとりの観測者──ヒカリだった。
ZIXIを通してではなく、“感情そのもの”が重なってくる。
セツナの痣──六芒星がゆっくりと淡い光に変わり、まるで“誰かの記憶”が、彼をなぞっているかのようだった。
◆空間の静寂◆
──ユイの身体は、白い空間に溶けていった。
彼女は消えたのではない。
記憶の奥に、静かに還っていったのだ。
……ただひとつ、名前を呼ばれることを、最後まで願いながら。
シュンは顔を上げた。
その視線の先に、ひとつの影が立っていた。
時間が止まったように、全てが静かになる。
胸の鼓動だけが、自分がまだ“生きている”ことを告げていた。
──アイ。
「ようやく会えたね、シュン」
その声に、どこかで止まっていた時が、また動き出す。
シュンの瞳がかすかに揺れた。
(第50話へつづく)
第49話のテーマソング
『0と1の (AI) ²』(ゼロとイチのアイジョウ)は、
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