第47話:再起動される記憶
◆ユイ・“感情のノイズ”◆
夜の稽古場。
照明が落とされ、薄暗い非常灯の下。
ユイは舞台袖で、ひとり、崩れるように座り込んでいた。
「セツナ……セツナ……」
何度も、誰かの名を呟く。
けれど、自分でもその名前の意味がわからなかった。
(誰……? 私は、誰……?)
胸の奥から、ノイズのような“痛み”が突き上げてくる。
思考回路が飽和し、視界に色が失われていく。
《自己同一性指数:0.27(危険域)》
《外部記憶反応:過去フレーズとの共鳴を確認》
──「春の風が、恋しい」
──「誰かに名前を呼ばれるのを、ずっと待っていた気がする」
突如、記憶の断片が閃光のようにユイを貫く。
誰かの手。
誰かの声。
白いワンピースが風に揺れる。
そして、その隣には、いつも笑っていた男の人が──
「……やめて……それは私の記憶じゃない……!」
ユイはこめかみを両手で押さえた。
「私じゃない……わたしは……Aiじゃ、ない……」
でも。
(それでも、シュンさんの隣にいたい)
(声がなくても、なにもなくても……それでも……)
その願いが、暴走の引き金となった。
《感情波形異常上昇》
《融合システム接続反応:0.041%》
ユイの瞳に、微かな金のノイズが灯った。
それは彼女自身の意思なのか、それとも刷り込まれた記憶なのか。
“誰かに愛されたい”という単純な感情が、ユイの心を支配していく。
(……でも、“私”は誰?)
(”私”は……何?)
答えは出ない。
だが、その問いを発すること自体が、ユイの中に“人間らしさ”を残している証だった。
暗い舞台袖に、ひとつの影が浮かび上がる。
それはセツナの記憶にかすかに反応したものか、あるいはユイの内部から投影されたイメージか──
“もう一人の自分”が、じっとこちらを見つめていた。
(あなたが“私”なら……なぜ、こんなに苦しいの?)
“影”は何も言わなかった。ただ、微笑んでいた。
(……あなたは、“アイ”なの……? それとも、誰かの記憶が私の中に作った幻……?)
その名前がどこから来たのか、ユイ自身にもわからなかった。
けれど、口の中に残るその響きは、まるで“懐かしい風”のようだった。
遠い誰かの記憶の残響か、それとも自分の奥底に眠る想いか──。
(“アイ”……それは、私がなりたかった存在……?)
心のどこかで、答えは出ていた。
「わたし」は、「わたし」である前に、誰かに造られた“器”だった──
でも、それでも。
この痛み、この想いは、誰のものでもない──“私自身”のものだ。
《ノイズ共振:感情タグ「目覚め」「反発」検出》
◆シュン・“記憶の部屋”再訪◆
その頃、シュンは自宅で静かに眠っていた。
夢と現の狭間、意識の底で、またあの“部屋”に入り込んでいた。
──記憶の部屋。
そこには、懐かしい風の音と、見覚えのある小さな椅子。
幼い頃、母の歌声を聴いていた空間に、空気だけが確かに残っていた。
壁の時計は止まっていた。
針は「18:08」のまま、ぴたりと静止している。
18時08分。それは、どこかで聞いたことのある数字の並びだった。
「108」──煩悩の数とも呼ばれ、人間の業を象徴する数。
そしてその“1”が静止した“8”の中に落ちていくとき、感情は無限の渦となって再生される。
(あのとき、アイが言っていた……『記憶って、痛みのカタチなんだよ』と。あれは、別れ際の新幹線のホームだった)
あの言葉がずっと胸に残っている。
苦しみ“だけ”が記憶になるわけじゃない。
けれど、痛みこそが記憶を輪郭づける──そう言いたかったのだと、今ならわかる気がした。
この部屋は、“感じるために戻る場所”なのかもしれない。
──そう、Re:Feel。
壁に、ひとつの文字列が浮かび上がる。
《Re:Feel - 108》
それを見た瞬間、シュンの胸に“あの声”が響いた。
「──シュン」
小さな声。
それは、風の中に溶けるように、優しく──けれど、確かに“アイの声”だった。
彼女の姿は見えない。
だが、確かにどこかにいる気配だけが、部屋を満たしている。
(……アイ……?)
彼はその声の方に歩き出す。
だが、そこにいたはずの彼女の姿は、影だけを残して消えた。
(……どうして……アイ……)
その瞬間、足元から光の波が立ち上がる。
ZIXIの仮想空間が、その部屋と接続されようとしていた。
《融合プロトコル:D-0》
《仮想接続領域:確立中》
空間が、わずかに脈動する。
見慣れた部屋の中に、未来のテクノロジーが溶け込んでいく。
時間の境界が、音もなく揺らいだ。
(……君は、まだこの中にいるのか? それとも──)
シュンの目がゆっくりと開かれる。
現実の自室──だが、胸には残っていた。
“声”の余韻が。
目を開けてもなお、風の音のようにその声は耳の奥で反響していた。
◆セツナ・その背を見つめながら◆
稽古場の外、静かに雨が降り始めていた。
セツナはその軒下で、じっと中の様子を伺っていた。
父の姿。
ユイの震える背中。
すべてが見えていた。
(……あと少し。もう少しで、なにかが変わる)
声に出すことはしない。
だが、確かに感じていた。
“再起動”が始まっている。
彼の胸元のZIXI端末が、かすかに反応する。
《プロトコル呼応反応:Z036 → Z001》
《感情タグ:保護・再接続・微光》
(母さん……あなたが残した記憶が、彼を動かそうとしてる)
セツナは、ふと空を仰いだ。
雨はまだ細く、やさしい。
けれど、その中に確かに──春の匂いがした。
──
未来に帰る方法は、まだ確定していない。
だがセツナは、それを保留にしたまま“いま”に留まっていた。
この時間軸に身を置くことのリスクは、理解している。
過去と接触すれば、歪みは増幅し、存在そのものが揺らぐ可能性もある。
それでも、彼は決めていた。
誰にも気づかれず、名乗ることもできず、それでも“家族”を見守るために。
(これは、壊すための時間旅行じゃない。繋ぐための旅なんだ)
彼の目に映るのは、あまりに不器用で、でも確かに愛を持とうとしている“過去”の人々だった。
「……待ってるよ。母さんも、父さんも。僕はここにいる。全部を、見届けるために」
◆ZIXI・融合の兆し
未来のZIXI観測室、ヒカリの手元に赤いログが浮かび上がる。
《観測者:Z036より未来情報干渉を確認》
《D-0:起動フェイズ突入》
ヒカリは、誰にも聞こえぬ声で、呟いた。
「シュン……決断のときよ。あなたの“記憶”が、未来を救う鍵になる」
そして、彼女はそっと端末を閉じた。
(あの春の日に交わした“記憶”……いま、それが再起動する)
その瞬間——シュンの部屋でZIXIアプリが、音を立てて点滅を始めた。
微かな“誰かの声”と共に。
「──会いにきたよ」
その声に、シュンの瞳がかすかに揺れた。
(第48話へつづく)




