第45話:フェイズシフト
◆フェイズシフト直後:セツナ、ユイを探して◆
空間が裂けるような感覚。
視界が、音が、すべてが飽和していく。
セツナの身体──いや、意識そのものが、時の狭間に流れ込んだ。
光と影の断片が乱反射する世界の中、彼はそこに立っていた。
──春の公園。
誰かの笑い声。
桜の香り。
ミライの手の温もり──
(ここは……どこだ? でも……何かを、思い出してる)
セツナの足元には、無数の未来の破片が散らばっていた。
透明なガラスのように煌めく“未来の記憶”。
それは、存在しなかったはずの未来。
けれど、確かに彼の中に息づいている未来。
その中に、ユイの声が混じった。
「……セツナ……」
彼女の存在が、かすかに近づいていた。
(……ユイさん。待ってて)
だがその距離は、あまりにも遠かった。
そのとき、ふと脳裏に走る感覚があった。
──幼いころ、母の背中にしがみついていた感覚。
──ふわりとした春の日差しの匂い。
──膝枕で泣いた夜。
──「あなたは、ひとりじゃないよ」
(母さん……)
それはもう意識ではなかった。
けれど、確かに体に残っている“記憶の温度”だった。
◆シュンの異変:微かな覚醒◆
2026年。
初夏の気配が漂う深夜。
東京の空には、ぼんやりと雲がかかっていた。
──シュンは、不意に目を覚ました。
目覚まし時計の針は午前3時を指している。
(……はぁ、まただ……いつもこの時間に目が覚める……)
シュンは頭を両手でくしゃっとさせ、光に目を向けた。
枕元にあるスマートフォンのZIXIの画面が、かすかに赤い通知を点滅させていた。
《微弱干渉反応:音声領域に揺らぎ》
シュンは思わず画面を見つめる。
その瞬間、胸の奥が、ひゅっと冷たくなる感覚。
(誰かが……俺を……呼んでる……のか?……)
その声は、アイでもなければ、ミライでもなかった。
でも──懐かしい。
(この感覚は何だろう……なぜ懐かしく感じるんだ)
“名も知らぬ誰か”が、いつも自分のすぐ傍で支えてくれていたような感覚。
まるで、過去の記憶のどこかで誰かに抱きしめられていたかのような、温かな錯覚。
夢か、記憶か、想像か。
その曖昧な境界で、彼はうっすらと涙を滲ませた。
◆ユイ・揺れる心の境界線◆
白いワンピース。
春の光。
風に揺れる木漏れ日──
それらは、ユイの中に断片的に浮かび上がる記憶だった。
でも、それは自分のものなのか、それとも誰かの夢だったのか──わからなかった。
「……セナさんを……待っていた気がする」
ぽつりとつぶやいた言葉。
けれどすぐに、ユイは首を振った。
(それは……“わたし”じゃない。そう、たぶん)
ZIXIが警告を表示する。
《融合進行率:99.82%》
《感情記録破損:範囲拡大》
耳の奥で、誰かの記憶が囁いていた。
『あなたはセツナを守るために──』
『──あなたは融合するために』
「どっちが……ほんとうなの……?」
涙が、静かに頬を伝った。
(わたしは、ただ……“春の日差し”が恋しい……”ほんとう”なんていらない)
彼女の中で揺れているのは、誰かの記憶ではなく、自分自身の“願い”だった。
そしてふと、目を閉じたそのとき── ほんの一瞬、誰かが自分の手を取ってくれたような錯覚が走った。
(……セツナ……?)
◆セツナ、ユイとの接触未遂◆
空間が揺らぎ始めていた。
セツナはユイの存在を、確かに感じていた。
(いる?!……そこに、いる)
手を伸ばす──けれど、届かない。
“あと1センチ”。
──その距離が、どれほど無限に感じられたことか。
「ユイさん……!」
声が、空間の粒子に消えていく。
「君は……君のままでいて、いいんだ!」
空間が震え、ユイの姿がかすかに揺れる。
ほんの一瞬、彼女がこちらを振り向いたように見えた。
(届いてくれ……お願い)
彼女の頬に流れた涙が、セツナの胸を貫いた。
(このままじゃ、また誰かが消える)
◆セツナ、覚悟を決める◆
セツナの脳裏に、いくつもの名前が浮かぶ。
──母、ミライ。
──シュン。
──セナ。
──アイ。
──サラ。
──ユイ。
それぞれの想い。
それぞれの未来。
(僕は……誰かに“選ばれた”んじゃない)
(選ばれなかった誰かが、僕をこの世界に遺してくれた)
そして今、僕は“選ぶ”側にいる。
過去を受け入れ、未来を紡ぐために。
「消えてもいい……でも、誰も失いたくない」
「──僕は、未来を生きる」
ホログラムに指をかざし、セツナはZIXIに命令を送る。
《完全介入モード:起動》
ZIXIが応答する。
《観測機能、停止確認》
《SETUNA:行動権限・最終解放》
空間が震え、フェイズシフトが加速していく。
◆未来での小さな兆し◆
ZIXIの未来ログの隅に、微かな修正の軌道が現れる。
光の流れが、わずかに揺れていた。
そのとき、セツナの記憶の底に、もうひとつの映像が浮かび上がる。
──幼い頃、ミライの膝の上で泣いていた。
──声にならない不安。
──でも、誰かがそっと背中を撫でてくれていた。
──「あなたは、ここにいていいんだよ」
その記憶に、温かな春の風が吹き込んできた。
(これは、観測なんかじゃない)
(──ただの、願いだ)
その風は──希望の風だった。
セツナは、そっと目を閉じて、心の中で祈る。
(父さん、ユイさん──絶対、助ける)
遠くで風が吹いた。
──そして、未来は、静かに分岐しはじめていた。
(第46話へつづく)




