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18年愛  作者: 俊凛美流人《とし・りびると》
第3章:永遠の記憶編
44/54

第44話:観測者の涙


◆ZIXI警告ログ(2042年)◆


 ──ZIXI観測空間。

警告音が静かに、しかし確かに鳴り続けていた。


《観測者離脱警告》

《対象融合進行率:99.6%》


セツナは、薄暗いホログラムの中に立っていた。

青と白の光が、静かに彼の周囲を漂う。


「……うまくいくかどうか、分からない。でも」


手のひらを強く握りしめる。その指先が、かすかに震えていた。


「それでも、止める。絶対に」


ZIXIが無機質な音声で再警告する。


《現在位置、存在座標不安定化進行中》

《観測者自己消失リスク:高》


──わかっている。


でも、まだ僕はここにいる。

もし僕が消えたら、父さんは?

何も知らないまま、人々の記憶からも消えていくのか。


──ユイは?


僕たち親子のせいで生まれ、自我を持ち始めているのに。

彼女もまた、巻き込まれていくのか。

心臓の鼓動が高鳴るたびに、空間に微かなひびが走る。

足元には、青い粒子がゆっくりと降り積もる。


──まるで、消えかけた記憶の断片のように。


(父さん、母さん、僕は——必ず)


胸の奥に微かな温もりが蘇る。

──母の背中にしがみついていた感覚。

春の日差しの匂い。膝枕で泣いた夜の記憶。


(……守りたい。あのぬくもりを、未来へ)


彼の足元で静かに、光の粒子が舞った。

その中に、ほんのわずかに、誰かの歌声のような記憶が揺れていた。


──あれは、母が子守唄のように囁いていた“声”だった。


(この想いが、僕をここに立たせている)


◆シュン・霞がかった夜の記憶(2026年現在)◆


 夜。東京の街は、春の匂いを含んだ風に包まれていた。

シュンはベッドに横たわりながら、天井を見つめていた。


(誰かが……俺を呼んでいる)


そんな錯覚が、今夜も彼を離さなかった。


(俺を呼んでどうする。何が起きようとしている)


窓の外では、小さな鳥が一声、夜を震わせた。

遠くの車の音さえ届かないほどに静かな夜だった。

枕元のスマートフォン。

ZIXIの画面が、微かにノイズを走らせる。


《感情タグ:接続未定義/名前候補:Setsuna(未登録)》


シュンは顔をしかめ、静かにディスプレイに手を伸ばす。

触れた画面が、冷たく震えた気がした。


(何かが、近づいている……)


瞬間、誰かに抱きしめられるような錯覚が胸を締め付けた。

それは、もう戻れない遠いぬくもりだった。

ZIXIの画面に、一瞬だけ、誰かの名前が滲んだ気がした。

思い出せそうで、届かない名前。


(……誰だ)


胸の奥に、名も知らぬ懐かしさだけが、じわりと滲み広がる。

ZIXIがエラー音を鳴らす。

シュンは無意識に心の中で繰り返した。


(ナ……セツ……セツナ……セツナ……)


それが誰なのか、自分でもわからなかった。

ただ、その響きだけが、胸の奥を離れなかった。


◆ユイ・揺らぐ夜更け◆


 その頃、ユイは自室の窓辺に座っていた。

月明かりに照らされたその横顔は、どこか儚げだった。


「セツナ……」


かすかに漏れたその名に、自分でも驚いた。


(セツナ……誰? わたし、知ってる?)


胸の奥がざわめき、記憶の海がざわざわと波打つ。

耳の奥で、声が交錯する。


『あなたはセツナを守るために──』

『──あなたは“彼と”融合するために』


「どっちなの……わたしは、誰なの……?」


ふと、微かな記憶がフラッシュバックする。

白いワンピース、春の風、柔らかな手のぬくもり──


「ねぇ、君、ひとりで降りられる?」


少女は首を振った。

彼は手をのばし、そっと抱き下ろした。


「……君、何ていう名前?」

「わたしは、ユイ」

「そっか、ユイか……素敵な名前だね。僕はセツナ」

「セツナ……ありがとう」


その光景は、光の粒子が舞っているようだった。


(私は……誰かに、大切にされていた?)


頬を伝った涙が、月の光に滲んだ。

ZIXIが赤く点滅する。


《感情同期エラー:拡大》

《自己同一性指数:低下中》


(でも、セツナだけは……私を“私”だと、呼んでくれた気がする)


──名前を呼ばれる、それだけで、存在が確かめられる気がした。


その瞬間、胸の奥に、ぽとりと落ちるような小さな記憶があった。


──「あなたは、あなたのままでいいのよ」


誰かの声。

誰かの手。

それが母のものか、彼のものかは、わからなかった。

けれど確かに“誰か”が、ユイをひとりの存在として受け止めようとしていた記憶だった。


◆セツナ・ユイへの介入決意◆


ZIXIの観測ログに、赤い警告が踊る。


《融合進行率:99.7%》

《対象存在崩壊リスク:極大》


セツナは目を閉じた。

体の奥深く、冷たい恐怖が広がるのを、ただ受け止めるしかなかった。


(もう、観測者じゃいられない)


彼はホログラムに両手をかざし、静かにコマンドを打つ。


《観測空間解除・フェイズシフトモード起動》


ホログラムの粒子が指先に応え、空間が軋み、境界線が溶けていく。


「──僕は、父さんと、未来を守るために、生きるんだ」


胸に浮かぶ顔は、ただひとり。

名も、形も、まだ完全には知らないけれど──

確かにそこに在る、温かな気配。


(必ず、うまくいく。必ず──)


フェイズシフトモードが作動し、セツナの存在が、現実世界に滲み始める。

細かな粒子が、彼の背後で、螺旋を描いて昇っていく。


◆未来での小さな涙◆

 

 ZIXI空間の果て。セツナはそこに立っていた。

光が彼の影を伸ばしていく。

静かに、彼の頬を涙が伝った。


(これは、観測なんかじゃない)

(──ただの、願いだ)


ふと、浮かぶ記憶がある。

──幼いころ、ミライの膝の上で泣いていた。

温かな手が、頭をそっと撫でてくれたあの感覚。


(……母さん……)


セツナは知っていたはずだった。

祈りは、誰にも届かないかもしれない。

それでも、祈らずにはいられなかったのだ。


「これがただの願いなら、それでもいい。でも、願わないと現実は変わらない。無駄だと分かっていても、やるしかないんだ。」


そうつぶやいた瞬間、遠くで誰かの声がした気がした。

春の光の中、誰かが手を伸ばしてくる幻影。

白いシャツを着て、どこか寂しそうに笑う男の姿。

声は聞こえない。

──それは、かつて彼が失ったもの。

そして、これから守ろうとする未来でもあった。


「──父さん……」


その声は、誰にも届かないはずだった。

けれどどこかで——誰かが、それに応える気がした。

足元で、青いホログラムの粒子が、静かに消えていった。


(第45話へつづく)


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