第4話:10時間の奇跡
◆2025年 東京駅◆
あの日──2007年。
シュンがアイと過ごした“10時間の奇跡”から、シュンの時間は止まったままだった。
そして今、2025年。18年ぶりに、彼女と再会する日が訪れた。
「アイは、変わってるだろうか……いや、変わってしまったのは、俺の方か」
シュンはそっと、首元に触れた。
そこには、小さなネックレス。
──2007年。アイとペアで買ったもの。
もう失くしてしまったと思っていたはずが、なぜか再会の数日前、机の引き出しの奥から出てきた。
……まるで、“再会”の予感に導かれるように──。
◆2007年4月24日 午前11時・東京駅新幹線改札前◆
シュンは朝からドキドキしていた。
この1カ月、心が癒されるようなアイとのやり取りが続いていて、普段の生活を送っていても世界が明るく見えるようになっていた。
今までにない感覚だった。
会う約束ができた時は、飛び上がるほど嬉しかった。
こんな奇跡があるのかと。
アイはシンガポールで脳科学の研究者をしている。
日本で大学院を卒業し就職。
職場の同僚と縁あって結婚し、ご主人が本社に栄転するのを機にシンガポールへ移住した。
アイは父がシンガポール出身の中国人、母は日本人。
両親は今は日本に移住し、大阪に住んでいる。
今回の一時帰国は、母方の法要のためだった。
その合間に「たった1日だけ」東京に来られるという日。
シュンは、その日のために予定をすべてキャンセルした。
──これで1つ、クライアントを失ったが……
だが、会える喜びと同時に、少しだけ不安もあった。
本当に、来てくれるのだろうか? 夢ではないだろうか?
もしかしたら、騙されているのではないか──。
──ダメだ、信じなきゃ。
自分に言い聞かせ、普段よりも少し──いや、かなりおしゃれをして東京駅に向かった。
予定よりも1時間早く到着してしまった。
そして。
改札から現れたアイは、写真よりもずっと──ずっと綺麗だった。
その瞬間、世界がスローモーションになった。
アイが、まるで光の粒子に包まれているように、輝いて見えた。
「君が……アイ?」
「うん。シュン?」
ふたりは初めて対面し、ぎこちなく微笑みあった。
言葉に詰まりながらも、その沈黙さえ、愛おしく感じられた。
「あのぉ」
「あ、どうぞ」
同時に発した言葉。
ふたりは顔を見合わせて笑った。
「ふふ、シュン、やっぱり私たち気が合うね」
「そうだね(笑)」
◆2007年 渋谷・ランチタイム◆
電車を乗り継ぎ、シュンは渋谷にある予約していたイタリアンレストランへアイを連れていった。
なるべくゆっくりと店までの時間を楽しむために、山手線を選んだ。
アイは久しぶりの渋谷にキョロキョロと目を輝かせていたが、シュンはアイに釘付けだった。
愛くるしい中にも、凛とした美しさを宿すその姿。
シュンのドキドキは、止まらなくなっていた。
店のあるビルに着いたときには、もう気持ちが抑えきれなかった。
誰もいないエレベーターの中。
思わず、アイにキスをしそうになった。でも、寸前で思いとどまった。
「ごめん、つい……」
「……いいよ、シュン。今日、夢みたいだから」
レストランでランチをしながら話し始めると、時間があっという間に過ぎていった。
「シュン、音楽やめないでね」
「……俺には、もう無理だよ。今は、生活のためにやってるだけ」
「そんなことない。だって、私の心には届いたんだよ?」
「……あれは、まだ俺が歌えてた頃の曲だから」
「今でも、シュンなら歌えるよ」
シュンは、アイのまっすぐな瞳を見つめた。
「あ、そうだ。アイ、これ──前、欲しがってたもの」
「え? なに?」
シュンは、デビュー前に作ったデモテープと宣材写真をプレゼントした。
「ごめん、こんなもので申し訳ない。写真、チャラいでしょ?(笑)」
「ううん、とっても嬉しい。ありがとう! ずっと大切にするね」
「……あ、私、何も持ってきてない」
「じゃあ、写メ撮らせて!」
「え? 恥ずかしいよぉ」
「いいから、いいから」
シュンは携帯で写真を撮った。
「これ、ずっと待ち受けにするね!」
◆2007年 渋谷の夜空とペアネックレス◆
食事を終えた二人は、渋谷を歩いてウィンドウショッピングを楽しんだ。
「アイ、手を繋いでいい?」
言い終わる間もなく、アイが先に手を繋いできた。
「こうしてみると、完全にカップルだね!」
「うん!」
その時のアイの横顔は、どこか儚げだった。
……
アクセサリーショップに立ち寄った。
そこは世界にひとつしかない、ハンドメイドの作品を扱う店だった。
──シュンは事前に調べていた。
そして、ペアネックレスを購入した。
「これで、アイと俺は──どこにいても、心が繋がれるね」
「うん……」
アイは泣きながら喜んだ。
……
その後、最終の新幹線まで少し時間があったので、ふたりはカラオケに向かった。
「ねぇ、シュン。あの歌……歌ってくれない?」
「え? あの歌?どのアーティストの?」
シュンはリモコンで探し始めた。
「そこには入ってない。シュンの曲、“夢を翔ける”」
「さっき、デモテープを渡したじゃん?」
「今のシュンの声で、聴きたいの」
「え……久しぶりだから、うまく歌えないかもしれないけど、いい?」
シュンは、かつてバンド時代に作った「夢を翔ける」をアカペラで歌った。
ためらいながらも歌い始め──高音部分で、声が出なくなった。
シュンは顔を覆った。
「ごめん、アイ……俺、声が出なくなって、夢を諦めたんだ」
アイは優しく微笑んでいた。
そして、その手元の携帯には、そっと録音が残されていた。
──これが、私の宝物になる……。
その後、限られた時間の中で、ふたりは音楽の話、人生の話、そして未来の話を語り尽くした。
「ねぇ、アイ。もし、また会いたくなったら……ここに来て」
シュンは、そっと住所を書いた紙を彼女に渡した。
「アイ……もし、今度逢えたらさ……」
「うん?」
「“愛の言葉”、いや、“合言葉”を決めておこうよ」
「合言葉?ふふ、なんだか子どもみたい」
「いいじゃん、俺らっぽくて」
(少し黙ってから)
「……“あいのまたたき”」
「……えっ、なにそれ(笑)」
「ん、なんとなく」
「……変なの。でも、気に入ったかも」
「俺が“アイの”って言ったら、アイは“マタタキ”って返してな」
「うん。絶対、忘れない」
◆2007年4月24日 午後9時 東京駅ホーム◆
最終の新幹線発車まで、あと10分。
改札を抜け、ホームへ。
アイは静かに微笑みながら、シュンの隣に立っていた。
溢れる想いが止められなくなり、シュンはギュッとアイを抱きしめた。
「周りに人がいるよ、恥ずかしいよ」
アイは呟くが、抵抗はしなかった。
同じ想いを、アイも感じているのだ。
「また、逢えるかな?」
「……わからない。私、結婚してるから」
その言葉に、シュンの胸は締め付けられる。
「アイ……俺のこと、忘れないで」
「シュン、記憶って痛みのカタチなんだよ。忘れるわけがないよ。……でも、きっと嬉しさも一緒に残るよ」
「アイ……俺……っ」
新幹線の発車ベルが遮るように響き、アイは入り口のタラップへと入っていった。
シュンは思わず、アイの手を引き寄せそうになった。
でも──できなかった。
ほんの数秒、心が揺れた。
もしこのまま彼女を抱きしめ、引き寄せていたら、何かが変わっていたのかもしれない。
けれど、できなかった。
過去に一度きりの関係を持った女性はいた。
でも──アイには、できなかった。
……そうか。これが、“愛する”ってことなんだ。
その瞬間、頭の中で、メロディが鳴り響いた──
『君を抱きしめたかった この手を強く引き寄せ 加速するエンジン音が さよならを告げる静かに』
──これが、終わりなのか……。
ドアが閉まり、アイを乗せた新幹線が、無機質な光を残して遠ざかっていく。
あの手を、離さなければ良かったと、何度も思いながら──。
(第5話へつづく)
◆第4話テーマソング『運命の悪戯 –Silent Farewell at the Station–』
本作のためにTØSHI_Rebuilt が、プロデュース・制作したオリジナル楽曲です。
シーンの余韻とともに、ぜひお聴きください。
本編でシュンの頭の中で鳴り響いた曲です。
➤ 視聴はこちら→https://suno.com/s/dYcGs8zPDhb2bYgJ
※現在、商用配信は行っておりません。作品世界に合わせた特別公開です。