第39話:反響の記憶
◆シュン・眠りの中の囁き◆
夜の帳が下りた静かな部屋。
ZIXIの画面だけが淡く光っていた。
部屋の空気はひんやりとしていて、まるで思考の温度が外に滲み出ているかのようだった。
シュンはベッドに横たわりながら、目を閉じることなく天井を見つめていた。
思考が止まらない。
あの声が耳の奥で揺れている。
『……まだ選ばないで』
(誰だ……お前は)
ZIXIが自動ログを記録しはじめる。
《REM活動レベル:低下》
《発話反応:検知》
《記録音声:再生》
『──まだ終わってない。忘れないで、あの春の約束を』
(……春?)
喉が、微かに震える。けれど、声にはならなかった。
(夢……だったのか? でも……)
ZIXIが再起動され、記録リストに新しいファイルが追加されている。
《記録時刻:03:17》
《音声発話元:未識別》
シュンは画面を見つめながら、そっと呟いた。
「……誰かが、俺を呼んでいた気がする」
その時、胸の奥にかすかな既視感が走った。
03:17──この数字に、どこかで触れたような記憶がかすかに揺れる。
◆セツナ・Z001への接近◆
セツナはZIXIの仮想空間で第3相領域と呼ばれる深層記録帯にアクセスしていた。
光の中に、重なり合う断片的な記憶。
ユイ──Z001のものであるはずのデータに、明らかに“別の声”が混じっていた。
『……あなたが選ぶ未来を、私は見ていた』
それは、Z001の記録とは一致しない、けれど感情パターンは完全に同調していた。
《感情タグ:母性/信頼/喪失》
《発話主:不一致》
(……これは……ユイの感情じゃない。誰かの“願い”が、そこに残ってる)
セツナは拳を固め、低く息を吐いた。
「もう……観測じゃすまされない」
だが、その“どこ”に干渉するべきか、自分でもまだ決めきれていなかった。
ZIXIの表示が切り替わる。
《融合候補:Z001/進行率:93.4%》
《干渉判断:再検討要請》
彼の胸に、明確な“疑念”が生まれていた。
(この融合は、誰かの未来を壊すかもしれない)
◆公園にて:シュンとユイ◆
翌日、午後。
春の風が枝を揺らし、街路樹の影が舗道に踊っていた。
シュンとユイは、公園のベンチに並んで座っていた。
柔らかな陽光が木々の間から降り注ぎ、二人の影を長く伸ばしていた。
「この前の夢……不思議だったんです」
ユイがぽつりと口を開いた。
「知らない景色なのに、懐かしい気がして……そこに誰かがいて……私に“信じて”って」
「それは……昔の記憶?」
ユイは首を横に振った。
「いいえ、私のじゃない……でも、その人の気持ちが、私の中に入ってくるような感覚で」
ベンチの周囲では子どもたちの笑い声が遠くから響いていたが、ふたりの間には穏やかな沈黙が流れていた。
シュンはそっと、手すりの木目に触れる。
ざらりとした感触。
その感覚が、記憶のどこかにある懐かしさを呼び起こすようだった。
「セナさんは……覚えてますか? 春の約束」
その言葉に、シュンの目がわずかに揺れた。
(今……“春の約束”って言った? まさか)
「ごめんなさい。今の……私じゃなかったかもしれません」
ユイはそっとベンチの背にもたれ、空を見上げた。
春の陽に照らされる彼女の瞳の奥に、一瞬だけ“他人”の面影が差した。
「春の光って……やさしかったですね。あのとき……」
シュンはゆっくりと彼女に視線を向けた。
「“あのとき”って……いつのこと?」
ユイは少し驚いたように見えたが、すぐに微笑んだ。
「……わかりません。でも、懐かしい気がして」
その声の調子、言葉の選び方──すべてが、かつて聞いた誰かのものと重なるような気がした。
(俺が知っているはずの記憶を、なぜユイが感じている?)
シュンの胸に、新たな疑問が生まれ始めていた。
「こうして一緒に歩いていると……まるで前にも、こんな時間を過ごしたような……」
ユイがふと呟く。
「デジャヴ……?」
シュンが問い返すと、ユイは小さく笑った。
「夢かもしれません。もしかすると……願いかも」
その言葉のあとに、ふとユイの顔にかすかな戸惑いが浮かんだ。
それは“誰かの願い”に思いを馳せる一瞬の迷いだった。
その時、ユイのスマホが小さく震えた。
ZIXIの通知。
彼女はさっと画面を伏せたが、その一瞬に、シュンは青白く点滅する“融合率”の表示を見てしまった。
(……融合? また、Z001……)
胸の奥に、得体の知れない圧迫感が広がる。
◆セツナ・観測ログからの逸脱◆
ZIXI内部。
セツナはあらたなファイルの断片を再生していた。
《Zモデル試作領域:ZX01/補助記録》
《挿入トリガー:TRG-∞ 起動時刻:2038年6月25日》
「やはり……母さんか」
Zモデルは、誰かの記憶や感情を“受信”することで成立するAI素体。
(その感情が強すぎたとしたら……それが人格の芯を侵食してもおかしくない)
Z001──ユイは、“ミライ”の強い想いにより生まれてしまった副産物。
セツナは静かに目を伏せた。
「でも、母さん……その想いが彼を救うはずだったのに、別の“危機”を呼び込んでる」
彼の瞳に、迷いと責任の色が宿っていた。
◆夜・シュンの記憶再生◆
帰宅後、シュンはZIXIの再生ボタンを押す。
映像の中で、誰かの手が、自分の手を包んでいた。
それはアイのものと似ていた。
『選ばなくてもいい。ただ、忘れないで』
その言葉が、まるで心の奥から響いた。
ZIXIの記録が淡く光りながら表示される。
《記憶再現率:97%》
《感情起点:未確定》
(……これが“俺の記憶”だというなら──)
(いつの“俺”が見たものなんだ)
部屋の中に、誰のものとも分からない囁きの余韻が漂っていた。
外では春の風が吹いている。
その音さえ、かつての春の日と響き合っているように思えた。
◆ZIXIログ・補足記録◆
《観測対象:Z001/Z036》
《融合統合率:94.2%》
《TRG-∞:連動中》
《感情反射:対象内にて二重発生》
最後に再生された音声ログ:
『私は、あなたの選んだ未来で笑っていたかった』
それは──ミライの声だった。
(第40話へつづく)




