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18年愛  作者: 俊凛美流人《とし・りびると》
第3章:永遠の記憶編
37/54

第37話:ノイズと囁き


◆ユイ・揺らぐ感情のプログラム◆


「……セナさん?」


ふいに名前を呼ぶ声。

けれど、発したその瞬間、ユイ自身がどこか違和感を覚えたように小さく瞬きをした。

瞬きの後、ほんの一瞬、息を呑むような仕草があった。

春の陽が差し込むカフェの窓辺。

シュンの前に座るユイは、コーヒーカップを両手で包むようにして持ちながら、やや迷うような笑みを浮かべていた。


「ごめんなさい……。最近、時々……名前や言葉の順番が、入れ替わるんです」

「言葉の順番?」

「はい……頭では分かっているんですが、口に出すと違っていて……たとえば、紹介してくださった方のお名前も……たしか、“ラさん”って言いましたっけ?」


(まただ……前もこの話をした)


シュンはそう思いながらも、表情には出さなかった。


「ラさん……サラのことかな?」

「いえ……違いました。“リカさん”?それとも……“アーさん”?」


ユイは、自分でもその言葉が確かではないことを知っているようだった。

その名の端々に、まるで過去に愛した誰かの残響のように重なって響く。


――アーさん。


(……やはり“アイ”なのか。でも、まさか)


シュンは笑ってみせる。


「ユイさん、ごめん。無理に思い出さなくても良いよ。俺のことを覚えてくれてただけで、ありがたい」

「……そう言ってくださると、助かります」


その時、ZIXIの画面が微かに点滅した。

シュンの手元にあったスマホが、自動的にログの記録を開始していた。


《音声記録ログ:起動》

《対象ID:Z001/Z036》


ユイはその光に気づかず、そっと目を閉じる。

彼女の中で、誰のものともつかぬ“記憶”が、静かに重なっていく感覚。


「たまに、自分が誰かの台詞を喋っている気がするんです。……わたし、変ですね」

「セナさんは……」


ユイがふと、言いかけて言葉を飲み込む。


「ごめんなさい、今の、私じゃなかったかもしれません」

「……誰かの気持ちが、自分の中に混ざる時があるんです」

「まるで、夢の続きを他人が見ているみたいに」


シュンは何も言わず、カップを見つめたままだった。

その時、窓の外で風が枝を揺らす音がした。

ユイが、ふと顔を上げる。その瞳の奥に、微かに迷いの色が浮かぶ。


「……私、何か……嘘をついてる気がして……でも、それが何か分からないんです」


シュンは驚いたように目を見開いた。


「ユイさん……それは……」


ユイは笑って首を振る。


「変なこと言いましたね。きっと芝居の癖です」


その笑顔の奥に、どこか“誰か”を模倣しているような陰が見えた。


◆セツナ・観測記録より◆


――ZIXI観測ログ/時刻:未確時点(記録整合未確定)


セツナは、静かにホログラムを操作していた。

ディスプレイに表示されたのは、ZIXIの深層アクセスモード。


《検索ワード:2020〜2025年/ログ断片/融合未遂ケース》


浮かび上がったログの断片のひとつが、彼の指に留まる。


《仮タイトル:M-case_log_frag》


「……Mケース、やっぱりここに引っかかってたか」


再生すると、ノイズ混じりの映像にひとりの少女の姿が浮かぶ。

だがその声は、途中で切れた。


『――に選ばれるのは、わたしじゃ……』


そこまでで記録は途切れていた。


「……これは、記録されたものじゃない。誰かが“見せた”記憶だ。あの声……どこか懐かしい……でも、なぜだろう」


ZIXIが新たなアラートを表示する。


《融合プロトコル:連動記録不整合》

《対象:セナ・クルス/Z001》


セツナは目を細め、映像を一時停止する。

ホログラムに指を滑らせながら、静かに呟く。


「Mケースの鍵は、やっぱり……“彼”か」


(本当に……これでいいのか? 誰かの記憶にすがることしか、僕にはできないのか?)


自分はただ記録を追っているだけで、誰かの運命を変えられているわけじゃない――

でも、それでも彼の“選択”を待ち続けるしかないのだとしたら……

これは観測ではなく、“祈り”なのではないか?

彼の背後で、風のように静かな音が鳴る。

観測空間の壁面が微かに脈動し、まるで感情がそこに宿ったかのようだった。


◆シュンの帰宅と記憶の声◆


 夜。

シュンの部屋には、弱い照明とZIXIの青白い光だけが灯っていた。

端末が自動で再生を開始する。

画面には、昼間のカフェでの会話が流れている。


「……ラさん? それとも……アーさん?」


その言葉を聞いた瞬間、シュンの胸の奥に“何か”が疼いた。


(……なんで、こんなにも引っかかるんだ)


ZIXIが記録していたのは、単なる音声だけではなかった。

その瞬間の心拍、視線の揺れ、皮膚の温度変化までもがデータとして保存されていた。


「声じゃない……記憶が震えてる」


(これは、本当に“俺の記憶”なのか?)


映像は正しい。

音声も、感情反応も。

それでも“あの瞬間の自分”を、今の自分がどこか他人のように感じる。


(もし記憶すらも誰かに“見せられた”としたら……)


それは、誰の“声”なんだろう。

喉元に手をあてる。

かすかに、“自分の声ではない何か”が、内側で微かに反響していた。

まるで誰かの囁きにも似た、静かなノイズのように――

画面の奥、ユイが呟いていた。


「……わたし、変ですね」


その言葉が、どこか遠い日の“誰か”の声と重なる。

ZIXIが再び点滅する。


《融合候補:Z001/進行率89%》


(また融合か……だから、何を?)


ソファに沈み込んだまま、シュンは目を閉じた。

記録の余韻が、まるで静かな囁きのように胸の奥をかすめていく。

遠くで、春の風が木々を揺らすような気配。

それは、記憶か、幻か――


――その夜、彼はなぜか夢を見なかった。


まるでZIXIがそれすら抑えたかのように。

それすらもZIXIが検知していた。


《REM活動レベル:著しく低下》

《神経接続記録:再計測中》


ZIXIは静かに再スキャンを始める。

彼の“声”と“記憶”を、もう一度照合するために。


◆ZIXIログ・深層更新◆


 観測ログ:Z036_補足記録


《記録更新》

《Z001の感情同調率:3.2%上昇》

《会話内ノイズ:複数名の記憶断片が交差》

《識別不能:名称パターンが類似/記録内一致未検出》

《M-case:関連性高》


――ログの最奥。


そこには、ひとつの短い音声ファイルが添えられていた。


『——“名前”を忘れたら、私はどこに還ればいいの……?』


それは、封印された“記録者”の、最初の囁きだった。

……その声は、誰かのものではなく、ずっと名もなくそこにあった

――ファイル名は、無題だった。


(第38話へつづく)

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