第35話:未知なる観測者
◆セツナの記録◆
タッチレスのホログラムが宙に浮かび、青白いインターフェースが静かに波打っている。
セツナは無言で視線を動かし、ZIXIの最新型スマートフォンのインターフェースを操作していた。
思考による入力は、すでにこの時代では珍しくなかった。
だが、彼の操作はどこか研ぎ澄まされていて、指先よりも早く意識がデータを処理していく。
画面には、いくつかのログが点滅していた。
《融合プロトコル:D-1 最終観測フェーズ》
《NOTE:M case is still pending》
彼の手元にある記録タブレット。
ページの端には、殴り書きされた一文がある。
《2人の未来を守る――たとえ、その未来が“彼女”ではなく、“他の誰か”とのものだとしても》
「……これが最後の記録になるかもしれない」
小さく呟いた声が、機械の反射音に吸い込まれていった。
そのとき、ZIXIに新たなログが走る。
《予測フレーム:現代観測座標への移行 準備完了》
《対象人物:SENA_KR / ユニットID:Z001》
セツナは一度だけ目を閉じ、深く息を吸い込んだ。
ホログラム画面には過去の映像が断片的に映し出されている。
小さな子どもが、誰かに手を伸ばそうとしている映像――音声はない。
(あの時、もし彼らが……選ばなければ、僕はここに存在していない)
(やり直しじゃない。未来を守るための、唯一の観測だ)
◆劇団事務所/静かな対面◆
劇団の資料返却を口実に、セツナは事務所を訪れた。
ユイの姿はなかった。
――それも、計算に入れていた。
「この間の公演、本当に感動しました。資料だけでもと思って……」
落ち着いた口調。
けれど、その“間”に、シュンは違和感を覚えた。
「……来栖セナさんですよね? あのラストシーン、今でも忘れられません。舞台のラスト、声を失ったまま振り返るあなたの表情が、何か大切な“記憶”を呼び起こすようで……まるで、本当に何かを失った人のように見えたんです」
「ありがとう。何回かメッセージくれたね。」
「はい。どうしても、感動を伝えたくて」
「そうか……でも……あの芝居、ただの演技に見えた?」
セツナの目が揺れる。
――その台詞を、彼はどこかで知っていた。
でも、その理由は言えない。
「……。」
シュンの声は穏やかだったが、その眼差しは鋭かった。
「あなたは……俺のこと、どこまで知ってる?」
セツナは一瞬だけ視線を逸らし、それから静かに言った。
「僕は……セナさんの“声”、忘れられなくて。あのとき胸に響いた音が、ずっと離れないんです。たとえ記憶が曖昧になっても、あの声だけは、消えなかった……」
返されたその言葉が、どこか“過去の回想”のように響いた。そのとき、ZIXIログが静かに点灯する。
《観測ID:S-ID_003》
《観測許容レベル:レベル1/干渉許容量:0.03%》
セツナの言葉が空気に溶けていくその瞬間――
時空を超えた場所で、その“言葉の震え”が静かに記録される。
――この会話は、2042年のZIXI観測センターでもリアルタイムで記録されていた。
「それだけってわりには……言葉の選び方が、妙に懐かしく感じたよ」
シュンが静かに呟く。
セツナは微かに笑みを浮かべるが、何も答えなかった。
(本当は、すべて話したい。でも、それをした瞬間、俺の存在は――)
ZIXIの端末が、胸ポケットの中でわずかに振動する。
それは、これ以上の干渉を抑えるための制限信号。
「……じゃあ、資料、置いていきますね。また」
それだけ言って、セツナは振り返る。
背中越しに、シュンの声が届いた。
「なんかさ……また、どこかで会える気がするよ」
セツナは立ち止まる。でも、振り返らない。
「……ええ。そうですね」
ほんの一瞬、声が震えた気がした。
――その背中を、シュンは見送った。
(あの青年……何か、大事なものを思い出させる)
だけど、その正体に気づくには、まだ時間が必要だった。
◆シュンの内面(声星と疑念)◆
自宅に戻ったシュンは、再びZIXIを見つめていた。
声星の痕跡は、いまだ戻っていない。
それでもZIXIの記録には、こんなログが表示されていた。
《記録:声の同調現象 検出/分類:未解明》
《痕跡転移の可能性 高》
喉元に手を当てる。
(あの夜、何かが自分から離れていった気がした。不思議と苦しくはない。でも、この感覚は何て言い表せばいいんだろう?)
「記録が残っているのに、俺には何も思い出せない……」
ZIXIの画面に、淡い青で文字が流れていく。
《融合候補:Z001》
《補足:感情データとの共鳴状態に移行中》
(……Z001。あの名前、どこかで……)
◆ユイの異変と、声の“再生”◆
ユイは鏡の前に立ち、静かに自分の姿を見つめていた。
まるで、自分の姿をスキャンするように、食い入るように見つめる。
そこに今まで見た事もない表情が見え隠れする。
潤んだ瞳。
苦しみをあらわした唇。
赤みを帯びた頬――
ふと、ユイの中に震えるように“音”が重なった。
「あなたの声が……私の中に入ってくる……」
ZIXIが自動的に起動し、ユイの内蔵センサーからのデータを記録する。
《感情抑制領域:崩壊まであと 8%》
《Zモデル001:動作異常 接近警報》
ユイは一瞬、鏡の中の自分を見つめながら呟いた。
「シュンさんは……誰のために、生きたいですか?」
ユイの声はかすかに震えながらも、どこか決意を帯びていた。
その瞳が、まるで何かを託すように揺れながら、真っ直ぐに鏡の中の“もう一人の自分”を見つめている。
「記憶ごと、私に……貰えませんか?」
その一言に込められた想いは、抑えきれない切なさと、祈るような願いだった。
その声は、ユイ自身のものにしては、あまりに違和感があった。
――まるで、誰かの“台詞”をなぞっているみたいだ。
ZIXIの小さなスピーカーから、ノイズ混じりの音声が漏れる。
『……融合を選べば、永遠に一緒にいられる』
「誰……?」
ユイの瞳がゆっくりと焦点を失っていく。
ZIXIの画面に赤い警告が表示された。
《言語制御オーバーライド:発動中》
《記憶侵蝕ログ:再生元不明》
◆ZIXIが見せた幻の対話◆
夜。
静かな路地を歩くシュン。
ふと、胸元のスマホが振動した。
(通知……?)
画面に触れると、ZIXIがひとりでに起動を始め、強制的に再生モードへと移行する。
《自動再生ログ:アーカイブ映像》
《視点:S-ID_unknown》
視界がふっと切り替わる。
シュンは立ち止まり、まるで夢の中にいるような映像を見つめた。
そこには、淡い光の中、後ろ姿の女性がいた。
『この未来は、あなたの記憶の中でしか繋がらないの』
(何を言ってる……分からない……でも、この感覚は何だ……?)
その声が誰のものなのか、確信はなかった。ただ、懐かしい優しさが、胸の奥に滲んでいく。
(……あの声。忘れようとして、忘れられなかった声……。でも、どうして今、こんなにも切なく胸を締めつけるんだ……?)
◆静かな導き◆
ZIXIの画面に、改めて新たなメッセージが表示された。
《融合プロトコル:残り期限 10日》
その数字が示すものが、運命の分岐点であることを、シュンはまだ知らなかった。
「誰が、俺を導き出そうとしているんだ……。」
声にならない声を発し、答えの出ないもどかしさを抱えながら、シュンは自宅へと足早に帰っていった……。
【第2章:記憶の錯綜編 完】 ――第3章へつづく――




