第33話:沈黙の中の呼び声
◆シュンの疑念と再確認(ZIXI・セナ・ユイ)◆
部屋の片隅、ZIXIの端末が青白く光っていた。
その光は、夜の静寂を裂くように鋭く、冷たく張りつめたような空気を部屋に満たし、まるで“何か”が見ているかのような無機質な緊張を漂わせていた。
昨夜再生されたログの断片が、シュンの中で何度も反芻されていた。
『……観測は続いている。対象個体の“声”は一時消失。痕跡転移の可能性あり。』
(……痕跡転移?)
声星の痕跡は、舞台の千穐楽以降消えている。
喉には何の印もない。
だが、あの夜、確かに自分の声に重なる“もうひとつ”の響きが存在していた。
兄のものなのか、それとも……。
誰にも話せない。その声が、自分の中から発されたとは思えない。
ZIXIのログは、あの日から自動的に記録を続けていた。
だが、ノイズのせいか再生できないファイルも多い。
(……何かが記録されている。けれど、鍵がかかってる)
そして、セツナ——あの青年。
舞台を観に来た“ただの観客”としては、あまりに観察が深すぎた。
(何者だ、お前は)
◆セツナの行動(劇団訪問)◆
その日、劇団の事務所にひとりの青年が訪れていた。
黒いコートの襟を立て、静かに名乗る。
「この前の公演で感動して……資料などを閲覧できないかと思いまして」
若手の劇団スタッフが丁寧に応対するも——
「ありがとうございます。個人の観覧は基本的にお断りしています」
と断る。
「そうですか……また出直します」
彼は名刺を差し出し、会釈して立ち去る。
名刺にはこう印字されていた。
——Ray Setsuna
その裏面には、手書きの英語でこう書かれていた。
“I’m not from here.”
スタッフはその文字を見つめたまま、しばらく動けなかった。
その手には、微かに震えが走っていた。
まるで、名前の裏に込められた“何か”を直感的に察知したかのように。
◆ユイの“ノイズ”◆
カフェでの対話。
ごく日常的な再会のはずだった。
けれど、何かが“演じられている”ように感じた。
(それにしても、ここ最近、ユイさんからの誘いが多いな……)
「セナさん、今日も声……あまり出ないんですね」
その響きは優しかった。
だが——どこか、温度が感じられなかった。
「ああ、でも前会った時よりだいぶ出しやすくなったよ。日常会話程度なら、ボリュームは出ないけど、何とか。」
「良かった。心配していました」
「ユイさん……ずっと気になっていたんだけど、どうして、あの舞台に?」
ユイは少しだけ首をかしげる。
「たしか……あの公演と、シュ……セナさんを紹介してくれたの、ラさんだったと思うんですけど……」
「ラさん?」
(シュ?今シュンと言いかけた?……あ、そうか、ラさんってサラのことかもな)
(でもサラのやつ、何も言ってなかったよな)
「あっ……違いました。リカさん、だったかなリカさんに……勧められて……」
ユイ、少し黙り込む。
「……いや、アーさん、かもしれません」
シュン、眉をひそめる。
「アーさん?」
ユイ、表情を曇らせながら、少し笑って。
「すみません。記憶が……ちょっと混乱していて。名前が、時々、混ざるんです」
(……アーさん。妙に引っかかる響きだ。アイ、に近い。でも……まさか、そんなはずは——)
ユイはカップを見つめながら、ぽつりと言葉を漏らす。
「でも、どの方も……セナさんのこと、すごく気にかけてたって、そう記憶してます。なぜか……」
その瞬間、シュンの心に一瞬だけ波紋が広がる。
だが、ユイはすぐに話を続ける。
「遠い親戚のようなもので、あの舞台に出てみないかと紹介されて」
ユイは小さく首を傾けたまま、ふと笑った。
「……おかしいですね。最近、感情が……こう、言葉の順番に影響するんです。前はこんなこと、なかったのに」
ユイは言葉を選ぶように間を置きながら話していたが、まるで感情の起伏が、そのまま文法の配置に滲んでいるようだった。
言いたいことが途中で変形し、最後の語尾が急に別の意味を帯びてしまう。
(……結局誰のこと?なぜ、名前を濁した?)
何気ない一言の中に、どこかロジックの乱れのような“ノイズ”が混じっていた。
◆ZIXIログの自動更新/「融合プロトコル」◆
深夜、シュンの部屋。
ZIXIが、自動的に起動された。
ログ画面が勝手にスキャンを始める。
《融合プロトコル起動条件の確認中》
《対象記憶との同期率:85%》
《選択の刻限まで——残り13日》
(……融合? 記憶の一体化? 何のことだ?)
その言葉の背後に、ZIXIという存在が無感情にこの“選択”を促しているという事実が、静かに——しかし不気味に——シュンの神経を締めつけていた。
ZIXIの冷たい光が、部屋の闇を淡く照らす。
その“融合”が何を意味するのか、まだ誰も知らない。
——その夜。
シュンは眠れずに、ZIXIの画面を見つめていた。
不気味なまでに沈黙するそのアプリが、ただそこにあることさえも、胸の奥に重くのしかかっていた。
ふと気まぐれに、再び舞台映像のファイルを再生する。
「……?」
シュンの眉がわずかに動いた。
《ZIXIログ:特別記録/視覚同期ファイルの再生を開始しますか? Y/N》
《Y》
《録画元:視覚センサー U-13》
《時刻同期:千穐楽公演・22時47分45秒》
映像には、自分とユイが演じるあの舞台のラストシーン。
だが、そのカメラの角度は通常のアーカイブとは異なっていた。
(このアングル……客席じゃない。まるで……袖から?)
息を呑むような違和感が、胸の奥にじわりと広がる。
しかも、その視線の揺れ方には、明確な“感情の波”が見えた。
(……これ、ユイ視点の映像か? そんな記録……残ってたか?)
画面の中のユイの表情が、どこか儚げに光っていた。
◆記録ファイル:Observation Log◆
《観測記録:第7公演において声星の反応異常。痕跡転移は確認された》
《干渉レベル:最小に抑える必要あり》
ZIXIの画面には、淡い光で点滅するログが浮かんでいた。
【M-Case : Log Access Pending】
誰かの声が、ひそやかに呟く。
「Mは……まだ見つかっていない」
その言葉を聞いた瞬間、シュンの胸の奥に、針のような記憶の引っかかりが生じる。
——“M”とは、何のことなのか。
語られぬまま、光だけが、ログを照らしていた。
(第34話へつづく)




