第32話:揺れる影と沈黙のサイン
◆静寂と空白◆
舞台が終わり、静かな日々が戻ってきた。
次の仕事や舞台の予定もまだなく、シュンは久しぶりに予定のない朝を迎えていた。
インスタントコーヒーの湯気が立ち昇るキッチン。
味気ない朝食をかきこみながら、ふとテレビの音に耳を傾けるが、内容は頭に入ってこない。
舞台の余韻は確かにあった。
けれど、それ以上に“虚ろな静けさ”が心の隙間をゆっくりと満たしていく。
「……やっぱり、まだ戻らないか」
鏡の前で喉元に触れる。声星の痕跡は、あの日からずっと現れないままだ。
それなのに――舞台のあの瞬間、確かに感じた。
(もうひとつの“声”が、重なっていた)
兄の記憶。
過去の残響。
それとも――誰かの想い?
どんなに想いを巡らしても、心当たりは見つからない。
その問いは、答えのないまま胸の底に沈んでいった。
◆ユイからの誘い◆
午後、TINEに通知が入った。
差出人はユイ。
『お久しぶりです。よかったら、お茶でもどうですか?』
それは、ただの挨拶のようでいて、どこか温度の測れないメッセージだった。
久しぶりに再会したユイは、以前と変わらず穏やかな表情を浮かべていた。
だが、何かが違っていた。
「最近、どうですか?」
そう訊かれて、シュンはうなずくだけだった。
声が出ないことは、すでにユイも知っている。
「……あの舞台のあと、私もしばらく休もうかと思って」
喫茶店の席で、ユイはそう言った。
カップに口をつける仕草は自然だったが、ひとつひとつの動作に“生気”のようなものが宿っていない気がした。
シュンはふとたずねてみた。
「ユイさん、コーヒーは好き?」
「味は……どうなんでしょう。まだよく分からないんですが」
そう言いながら、微笑を浮かべる。
けれど、その笑みには温度がなかった。
――シュンは一瞬、言葉の意味を読み取れずにまばたきをした。
(まだよく分からない?……何か、ずれてる)
舞台の稽古中から感じていた微かな違和感が、今こうして面と向かって座っていると、よりはっきりと輪郭を持ち始める。
ユイがスプーンをかちゃりと皿に置く。
「でも、思ったんです。何か変わったのかもしれないって」
「え?」
「来栖さんも、私も、あの舞台が何かを変えた……ような気がして」
ユイの声はいつも通り柔らかかったが、ふとした瞬間、瞳の奥にうっすらと陰が差したように見えた。
(……あの時の舞台、俺だけじゃなかったのかもしれない)
◆再び現れる名◆
「そういえば……」
ユイがふと思い出したように言う。
「“レイ・セツナ”っていう名前、覚えてますか?」
シュンは静かにうなずく。
忘れられるわけがない。
「また連絡があったんです。再演の企画に興味があるって。舞台についてもっと話を聞きたいとも」
その言葉に、シュンの背筋がわずかに伸びた。
「観劇アンケートの劇団サイトへの書き込みとは別に、直接、TINEの劇団グループアカウントに送られてきたんです。セナさん見ました?」
(……っ?!セナさん? 今までユイは“来栖さん”って呼んでたはず……)
「い、いや、最近グループTINE開いてなかった。でも、何でグループに入れるんだ?」
「そこが不思議なんですが、一先ず見てください」
ユイはスマホを差し出した。
《I'm interested in how that voice worked. If possible, I'd like to meet the actor personally.》
文末に記された名――Ray Setsuna
「この人、やっぱり……普通じゃないですよね」
「……普通って、何だろうな」
シュンは画面から目をそらし、小さくつぶやいた。
◆ZIXIの記録◆
その夜。
部屋に戻ったシュンは、ふとZIXIのパネルを起動した。
画面に映し出されたのは、未読ログの通知だった。
《RECORD:SETSUNA_Overlay.log》
再生をタップする。
ノイズ混じりの音声の中、かすかに誰かの声が聞こえた。
『……観測は続いている。対象個体の“声”は一時消失。痕跡転移の可能性あり。』
その声に、聞き覚えはなかった。
しかし、誰の声かは思い出せない。
(誰だ……お前は……)
画面が暗転し、ZIXIの光だけが部屋を照らしていた。
「……この光に包まれると、まるで魂の輪郭が透けて見えるようだ……」
思わずつぶやいたその言葉が、誰かに聞かれているような錯覚を生む。
天井を見上げる。
指先が、小刻みに震えていた。
――心の奥に、何かが入り込んできている。
◆青年の記録ノート◆
一方その頃、別の場所で――
カフェの片隅、ノートパソコンの前に座る青年が、ログ再生の映像を見つめていた。
「痕跡の移動……やはり、星の継承は始まってる」
小さく呟いた言葉は空気に溶けるように消える。
青年の前には一冊のノートが広げられていた。
そこには、こう記されている。
《対象:今井シュン/声星痕跡消失確認》
《第7公演データより異常反応を検出》
《関連個体:セナ・クルス(来栖セナ)への干渉開始》
《Note:The M case is unnotified.》
パソコンの画面に戻ると、そこでは舞台の千穐楽の映像が再生されていた。
だが、ある瞬間に画面が切り替わる。
――舞台全体ではなく、ある一点。
シュンの目線と同じ高さ、ユイの立ち位置からのアングル。
「……この視点……まるで……」
思わず身体を起こし、巻き戻しを繰り返す。
「やっぱり……これは観客席からのカメラアングルじゃない……」
唇を噛みしめながら、青年はノートに書き足す。
《記録映像に異常カットイン:俯瞰不可の内部視点確認》
「この映像、どこから送られてきた……?」
画面右上には、ZIXIのマークが小さく光っていた。
――それが、誰の意志による“送信”なのかは、最後まで記されていない。
だが、確かにそこに、“誰かのまなざし”のようなものが、滲んでいた。
青年は目を閉じ、静かに息を吐く。
「……時間は、まだある」
再び目を開いたとき、その瞳には、決意の色が宿っていた。
(第33話へつづく)




