表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
18年愛  作者: 俊凛美流人《とし・りびると》
第2章:記憶の錯綜編
31/54

第31話:声のない季節のはじまり


◆舞台が終わった日常◆


 千穐楽から数日。

劇場の余韻もようやく落ち着きを見せた頃、シュンは静かに日常へと戻っていた。

劇場はすでに撤収を終えていた。

冷たい床と静寂だけが残された空間には、あの熱狂の残像が微かに漂っているようだった。

舞台袖の片隅にわずかに落ちたテープの切れ端すら、誰かの想い出の断片に見えた。

あの夜、打ち上げの乾杯の音が響く頃には、スタッフたちの手によって舞台装置も楽屋も片づけられていた。


「……終わったんだな」


そう呟きながら、シュンは閉じられたカーテンのあった場所を見つめた。

そこには、もう誰の手も触れることのない静けさだけが残っていた。

その手に、少しだけ熱が残っていた気がした。

指先の奥で、まだあの夜の鼓動が続いているようだった。


――声はまだ、戻っていない。


けれど、あの夜の舞台で何かが変わった。

「声にならない叫び」が、確かに誰かに届いていたような、そんな感覚があった。

思えば、声を失ってからというもの、演じることでしか心を伝えられなかった。

けれど、だからこそ届いた言葉もあるのかもしれない。

鏡の前で、自分の喉元をさりげなく確認する。

星の痕跡は、やはり見当たらなかった。

まるで、何もなかったかのように滑らかな肌がそこにあるだけだった。

けれど、その“何もない”という事実が、逆に胸の奥にぽっかりと穴を空ける。


(……あれは、誰かに渡されたのかもしれない)


まるで、何か大切なものが静かに役目を終え、そっと旅立っていったような――そんな余韻だけが残っていた。

そんな言葉が、ふと心の中を通り過ぎていった。


◆シュンの小さな日常◆


 稽古場も劇場もない日々。

静かすぎる朝が、シュンにはどこか不自然に思えた。

ベランダに干した洗濯物が風に揺れている。

インスタントコーヒーの香りが部屋に立ちこめる中で、ふとした音にだけ、舞台の記憶が蘇ってくる。


――カツン、と靴音。


それは、舞台袖で誰かが立つ音に似ていた。


「……幻聴かよ」


自嘲気味に笑いながら、ソファに身を沈めた。

テーブルの上には、舞台の台本と、まだ捨てられないバラの花。

その横に置かれたTINEの通知ライトが、小さく光った。


◆TINEの通知◆


 スマホが震える。

TINEに1件のメッセージが届いていた。


差出人:不明

本文:「あの舞台、観させてもらいました。とても、印象的でした」


それだけだった。

だが、どこか言葉の端に、熱のようなものを感じた。


(この文体……妙に落ち着いている)


返信しようとしたが、ユーザーはすでにアカウントを削除していた。


(誰だ……?)


数分後、再び通知が来た。同じような文章。

少しだけ表現が違っていたが、全体の構成や口調はほとんど変わらない。


――そしてまた、返信しようとしたその瞬間、アカウントは消えていた。


三度目も、同様だった。

まるで誰かが意図的に痕跡を残し、すぐに消しているような――


(これは……試されている?)


胸の奥に、じんわりと冷たい予感が差し込んできた。

四度目の通知が鳴ったとき、シュンはため息まじりにスマホを手に取った。


(またか……)


いつものように“差出人:不明”を予想しながら画面を覗き込んだ――

しかし、そこに新たな通知はなかった。

それ以降、TINEは静かなままだった。


◆ユイとの会話◆


 舞台後、久々にユイからTINEで連絡が来た。

次のプロジェクトの話かと思いきや、「しばらくゆっくりしてください。私もそうするつもりです」とだけ、シンプルな文字が続いていた。

いつもの柔らかな口調の中に、どこか距離を保とうとする響きが混じっている気がした。

続けて、ユイからメッセージが届いた。


「そういえば……ちょっと変わったアンケートがあったんです」

「英語で書かれていて、“I watched with interest. Especially, I was impressed by Sena Kurusu's amazing acting ability in the way her vocalization sounded like a double voice.”って……」

「でも、なぜか下に日本語訳も添えてあって、“興味深く拝見しました。特に来栖セナさんの、二重に聞こえる発声の仕方には、驚異的な演技力を感じました。レイ・セツナより”って書かれてたんです」


その言葉を耳にした瞬間、シュンは一瞬、動きを止めた。

レイ・セツナどこかで聞いたような、けれどはっきりとは思い出せない。

名前の響きが、喉の奥に引っかかったまま、消えてくれない。

まるで、その名前が自分の過去に刻まれた“何か”を、呼び起こそうとしているかのように。

シュンは思わず顔を上げた。


「レイ・セツナ、っていう名前……なんだか妙に気になってしまって。苗字が“レイ”ってちょっと珍しくないですか?」


その名前を聞いた瞬間、シュンの心にざらりとした感覚が走った。

聞き覚えのない名前。

けれど、どこかで視線を交わしたような、そんな気がした。

ユイがスマホの写真を送ってくる。

後方席から写された公演当日のスナップ写真。

そこに写っていた青年は、黒いコートを着て、舞台をまっすぐに見つめていた。


(……こいつ)


あの目、あの姿に見覚えがある……気がする。

いつもこの目に監視されていたような……


――だが、思い出せない。


「名前の読み、珍しいよね。“セツナ”って」

「ええ。そう言えば、本人が“セツナって呼んでください”って言ってたみたいです」


その響きが、シュンの胸の奥で何かを揺らした。

“セツナ”――刹那、切な、節名……意味を持つその音が、妙に引っかかる。

なぜか、ただの名乗り以上の何かを込めているような気がした。

それが単なる偶然の名か、それとも彼の存在そのものを象徴する意図なのか、答えは見つからなかった。

けれど、どこかで「その名前は、かつて自分が何かを強く願った時に、心のどこかで呼んだことがあるような気がする」――そんな感覚が一瞬だけよぎる。

その言葉に、胸の奥が微かに疼いた。


◆青年の独白◆


 その夜。

オンライン配信で公開されていた舞台映像を、ひとりの青年が静かに見つめていた。

再生リストには、初日公演と千穐楽の両方が記録されている。

彼はヘッドホンを装着し、ノートパソコンの画面に目を凝らしていた。

画面の中のユイの演技。その一挙手一投足を、彼は微かに眉をひそめながら繰り返し確認する。


「……やっぱり、ここにいたんだ」


目は千穐楽のシュンに向けられている。

台詞を発したあの瞬間、画面越しでも“何か”が重なったように聴こえる。


「二重に……聞こえた。やっぱり」


初日の演技ではなかった現象。

それは、彼にとって偶然では済ませられない違和感だった。


「違う……」


声に出すと、思っていたより少しだけ震えていた。

彼の手元には、一冊のノート。

びっしりと何かが書き込まれている。

その一ページ目には、こう記されていた。


《目的:過去を修正することはできない。だが、未来は変えられる。》


視線を落とすと、次のページにはこう続いていた。


《観測:第7回公演にて“二重音”確認。千穐楽で顕著。》

《対象:声の重なり――遺伝的継承の可能性あり》

《備考:重なり方は音響現象ではなく、まるで“もうひとりの声”が重なるように聴こえた。響きに体温があった》


そのつぶやきが、画面の奥へと消えていった。


(第32話へつづく)


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ