第30話:声が、重なった日
◆千穐楽の開幕前、父の来場◆
舞台公演の千穐楽。
楽屋入りしたシュンの胸には、昨日の対話の残響が、ひとしずくのざわめきとなって残っていた。
昨日の父との会話——
たった数行の言葉が、まるで過去から舞い戻った残響のように、心の奥に沁み続けていた。
支度を整える手を止め、シュンは鏡に映る自分の顔を見つめる。
額のかたち、喉仏の輪郭、まなざしの奥。
(……父さんに、似てきたな)
そう思うたび、幼い頃に投げかけられた何気ない言葉がふと甦る。
それは厳しさに包まれていたけれど、今は優しさの匂いがする。
「今日は神回になる気がするな」
共演者のひとりが笑いながら声をかけてきた。
「……だな。千穐楽って、いつもと違う力が降りてくるから」
シュンも静かに頷く。
舞台袖に向かう途中、ふと客席を覗き込んだ瞬間——
(……え?)
観客の波の中に、ひときわ背筋の伸びた男の姿があった。
(父さん……?)
母からは「行かないって言ってた」と聞かされていた。
それなのに——父は、開演前の静けさの中、ただ黙って舞台を見つめていた。
その姿を目にしたとき、心の奥から言葉が立ち上がってくる。
——『お前には、自由でいてほしかった』
あのときの、あの目。
何も言わず、すべてを受け止めていた父の沈黙が、今になって胸を締めつける。
◆舞台中に起きる“異音”◆
開演のベルが鳴り響く。
舞台には、千穐楽だけが纏う特別な空気が広がっていた。
それは緊張とも違う、静かな炎のような集中力。
クライマックスの場面——シュンが、大切な台詞を放ったその瞬間。
ZIXIは、自動で記録モードに移行していた。
《音声ログ収録中:一致率スキャン開始》
だが直後、その画面に異変が現れる。
《警告:音声の重複記録を検出》
(……重複?)
なぜZIXIが“重ね録り”と判断したのか——その答えは、舞台の上にあった。
不意に胸がざわつく。
舞台袖に戻った瞬間、胸騒ぎのままZIXIを手に取り、誰にも気づかれないよう再生を始めた——
そこには、たしかに“もうひとつの声”が重なっていた。
(この声……)
その響きは、かつてログの中で聞いた、兄の声に酷似していた。
その瞬間、時の流れが一瞬止まったような気がした。
カーテンコールが訪れ、舞台は無事終焉を迎える。
この千穐楽の舞台は、観る者、演じる者すべてに、どこか“異質な感動”を残した。
誰も明確に言葉にはできないまま、それぞれの胸の奥に、静かに沈んでいった。
舞台上では誰も気づかなかったようだが、演出家は不思議そうに呟いた。
「……今、一瞬だけだけど……セナくんの声が、二重に聞こえた気がして」
……
楽屋に戻ったあとも、共演者たちはざわめいていた。
「舞台の神が降りてたよね」
「……いや、降りたっていうより……誰かが“重なった”みたいだった」
観客のひとりも、帰り際にぽつりと呟いた。
「……主人公のあのセリフ、途中から……違う人が一緒に喋ってたように聞こえた」
終演の拍手は、どこか震えるような余韻を残していた。
——その時、ひとりの青年が劇場の後方席に立ち尽くしていた。
終演の拍手の中でも、彼の表情は微動だにしなかった。
まるで、自分の“出番”を待つ者のように——。
「……やっぱり、ここか」
ユイの芝居を見つめる瞳には、何かを確かめようとする光が宿っていた。
舞台の中盤、セナの声が一瞬だけ重なったとき、彼は確かに“何か”を感じていた。
けれど、それはまだ——誰にも言えない“違和感”のままだった。
◆打ち上げの静寂と父の姿◆
共演者たちの笑い声が、打ち上げ会場へと遠ざかっていく。
シュンは、ただひとり舞台袖に残っていた。
(……終わったんだな)
通路の先、照明の落ちたロビーに、ひとつの影が佇んでいた。
——父だった。
「……良かったよ」
それだけを呟き、静かに視線を合わせる。
その瞬間、父の瞳がシュンの喉元へと一瞬向けられた。
「……“星”が、消えているな」
「え?」
「……いや、独り言だよ」
父の声には、何か過去と未来をつなぐような揺らぎがあった。
「……ありがとう、父さん」
言葉はそれだけでよかった。
◆消えた“声星”と、兄の記憶の気配◆
帰宅後、シュンは静かにシャツを脱ぎ、鏡の前に立った。
喉元を指先でなぞる。
かつてそこにあった、小さな“星のアザ”——声星。
(……ない)
消えていた。
それは、名もなき星が旅立つような静けさだった。
まるで、誰かに受け継がれていったかのように。
ZIXIが、静かに起動する。
《ログ再生中:HAYATO_Overlay.mic》
再生されたのは、あの千穐楽のシーン。
舞台の上で放ったシュンの声。
——そこに、もうひとつの声が重なる。
それは、録音でも記録でもない。
まるで“記憶の奥”から浮かび上がってきたような感覚。
(……この身体の奥で、兄さんの“声”が目を覚ました気がした)
忘れかけていた感情、言葉にならない想い。
それらすべてが、兄の“声”に導かれるように、胸に染み込んでくる。
(あの夜、あの舞台で……兄さんの声は、俺の中に棲みついた)
◆TINEからの新着メッセージ◆
スマホが震える。
TINEに、新着音声メッセージが届いていた。
差出人:非公開
メッセージ:「次は——“セツナ”の番だ。君は、もう気づいているだろ?」
(……セツナ?)
その名前を目にした瞬間、胸の奥で何かがざわりと動いた。
——既視感。いや、それ以上。
(聞いたことがある……いや、知っている)
そう、確信にも似た感覚が、脊髄を撫でるように走った。
(これは……これまでの“演出”とは違う)
物語は、新たな舞台へと進もうとしている。
(第31話へつづく)




