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18年愛  作者: 俊凛美流人《とし・りびると》
第2章:記憶の錯綜編
22/54

第22話:見えない脚本


◆本番前夜、小屋入り◆


 本番前日、朝8時。

劇場入り。

“仕込み”が始まる。

舞台セットを搬入し、スタッフたちが手際よく組み上げていく。

照明チームは天井に吊るされたバトンから灯体を吊り下げ、各シーンごとの光を仕込んでいく。

俳優の立ち位置には細かな“バミリ”が貼られた。

音響のラインチェック。

モニターから返ってくる音の響き方を確認し、スタッフが「サウンドチェック、オーケー」とうなずく。

舞台袖では黒衣のスタッフが忙しなく動き、舞台監督が進行スケジュールを読み上げていた。

午後には“場当たり”。

俳優たちが実際の舞台上で動き、照明や音のタイミングを合わせる。

シュンも照明のキッカケに合わせて立ち位置を調整しながら、稽古場とは違う緊張感を感じていた。


そして夜——

通しのゲネプロ(総合リハーサル)。


本番と同じタイムスケジュールで進行されるこの“リハーサル”は、舞台人にとって一つの“本番”とも言える。

観客席には誰もいない。

けれど空間の“重み”は確かにあった。

ゲネ終了後、演出家は一人ひとりに丁寧なダメ出しを行った。


「ラストシーン、シュンの視線、もっと空間の“奥”を意識して」

「ユイちゃんの声、少し優しすぎる。もう少し突き放して」


役者たちはノートを取りながら真剣に耳を傾けていた。

演出家はゲネを終えると静かに言った。


「……セナくん、声の揺らぎがいいね。あえて抑える芝居、そのまま活かして」


シュンは頷いた。

あの“ありがとう”が届いた翌日。

まだ声は完全ではないが、確かに感覚は変わっていた。


◆本番の幕開け◆


 そして迎えた初日。

午前中、劇場入りと同時に演出家は軽く確認だけの一言。


「昨日の修正通りで大丈夫。あとは、楽しんで」


俳優たちは穏やかな緊張の中、それぞれの最終調整に入っていた。

開演十五分前。楽屋に緊張と沈黙が充満する。

シュンは鏡の前で衣装を整えていた。

ユイがそっと現れる。


「来栖さん、調子どうですか?」

「……まだ不安定だけど、昨日よりはマシかも」


ユイは微笑む。


「大丈夫。今日のあなたは、ちゃんと舞台の“中心”にいます」


(……中心?)


その言葉が、なぜか胸に引っかかった。


◆クライマックスでの異変◆


 照明が落ち、静寂が訪れる。

開演。

前半は問題なく進んだ。

共演者たちも、台詞と動きを完璧にこなしていく。

ユイとシュンの初めての対峙シーン。

彼女の台詞のトーンが、稽古のときと微妙に違う。


「……もう、過去には戻れない。だからこそ、ここにいる」


(……ん?)


その台詞、脚本にはなかった。

少なくとも、シュンの記憶には——。

舞台の照明が強くなる。

彼は一瞬、戸惑った。

だが、次の瞬間——


「それでも……俺は、信じていたんだ。君が、ここに来てくれるって」


口が勝手に動いた。


(え? 今のセリフ……)


それもまた、台本にはない台詞。

けれど、ユイは一瞬も止まらず、見事に受けた。


「信じることは、あなたが生きていた証になる。私は……忘れたりしない」


観客のざわめき。

空気が、震えていた。


——そして、幕が降りた。


◆本番後のざわめき◆


 拍手。

カーテンコール。

だが、舞台袖のスタッフは慌ただしかった。


「おい、今のセリフ……どこだ? 台本にあったか?」


舞台監督がタブレットを開く。

PDFの台本データをスクロールする。


「……あるな。“君が、ここに来てくれるって”ってセリフ、ちゃんと印刷されてる」

「でも、俺の保存してた台本にはない。昨日のにはなかったはずだ」


演出家が静かに言った。


「書き換わってる……いや、最初からこうだったのか……?」

「そうだ、手書きの台本はどうだ?」

「書き換わっています……」


演出助手が言った。

シュンはただ、呆然としていた。


◆誰が脚本を書いたのか◆


 舞台関係者が集まる反省会の中、演出家がぽつりと呟いた。


「……あのセリフ、俺、書いた覚え、ないんだよね」


シュンは何も言えなかった。

帰り道、劇場の近くで簡単な初日打ち上げが開かれた。

キャストとスタッフが揃い、乾杯の声が響く。


「ユイちゃん、飲める?」

「すみません、私……お酒、苦手なんです」


彼女はにこやかにそう言って、早めに席を立った。


「お疲れ様でした。今日は、忘れられない日になりました」


——その言葉の余韻が、どこか胸に残った。

まるで、それが“終わり”のようにも、“始まり”のようにも聞こえた。


ユイは丁寧に頭を下げると、夜の街へと消えていった。

その後、帰り道でシュンは彼女の姿を一瞬だけ見かけた。


(ユイ……)


何かを考え込むような、静かな横顔。

その笑顔の奥に、何かを知っているような影があった。


……


帰宅後、自室で台本を開いた。


(……誰が、脚本を書き換えた?)


ZIXIか?それとも“誰か”が——俺たちの人生さえ、演じさせているのか?

そこには、確かに“昨日はなかった”はずのセリフが、印刷されていた。

紙の感触。印刷のインクの匂い。

だが、シュンの記憶は、違う台詞を覚えていた。

彼はページの隅に指を滑らせ、呟いた。


「……これは、誰の台本だ?」


◆ZIXIと“見えない台本”◆


 就寝前、シュンはZIXIを開いた。


《ログ通知:本日19:41の記録に一致する音声を検出》


そこにあったのは、まさにあの舞台上で発したセリフの録音。

だが、日付は3日前になっていた。


(……は?)


録音データの保存日時は、舞台前ではなく、3日前の稽古時刻と一致。

しかもそのログには、ユイの台詞まで正確に再現されていた。


(じゃあ……あのセリフ、俺たちは“すでに”話してた?)


それはあり得ない。


——台本にないセリフを、どちらも自然に話し、録音まで残っている?


ZIXIの画面に、文字が浮かんだ。


《同期完了。脚本一致率:100%》


(……これは何だ?)


目を閉じたその瞬間、シュンの心に浮かんだのは、ユイの言葉だった。


「今日のあなたは、ちゃんと舞台の“中心”にいます」


——あの言葉は、予感ではなかったのかもしれない。


(第23話へつづく)

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