第22話:見えない脚本
◆本番前夜、小屋入り◆
本番前日、朝8時。
劇場入り。
“仕込み”が始まる。
舞台セットを搬入し、スタッフたちが手際よく組み上げていく。
照明チームは天井に吊るされたバトンから灯体を吊り下げ、各シーンごとの光を仕込んでいく。
俳優の立ち位置には細かな“バミリ”が貼られた。
音響のラインチェック。
モニターから返ってくる音の響き方を確認し、スタッフが「サウンドチェック、オーケー」とうなずく。
舞台袖では黒衣のスタッフが忙しなく動き、舞台監督が進行スケジュールを読み上げていた。
午後には“場当たり”。
俳優たちが実際の舞台上で動き、照明や音のタイミングを合わせる。
シュンも照明のキッカケに合わせて立ち位置を調整しながら、稽古場とは違う緊張感を感じていた。
そして夜——
通しのゲネプロ(総合リハーサル)。
本番と同じタイムスケジュールで進行されるこの“リハーサル”は、舞台人にとって一つの“本番”とも言える。
観客席には誰もいない。
けれど空間の“重み”は確かにあった。
ゲネ終了後、演出家は一人ひとりに丁寧なダメ出しを行った。
「ラストシーン、シュンの視線、もっと空間の“奥”を意識して」
「ユイちゃんの声、少し優しすぎる。もう少し突き放して」
役者たちはノートを取りながら真剣に耳を傾けていた。
演出家はゲネを終えると静かに言った。
「……セナくん、声の揺らぎがいいね。あえて抑える芝居、そのまま活かして」
シュンは頷いた。
あの“ありがとう”が届いた翌日。
まだ声は完全ではないが、確かに感覚は変わっていた。
◆本番の幕開け◆
そして迎えた初日。
午前中、劇場入りと同時に演出家は軽く確認だけの一言。
「昨日の修正通りで大丈夫。あとは、楽しんで」
俳優たちは穏やかな緊張の中、それぞれの最終調整に入っていた。
開演十五分前。楽屋に緊張と沈黙が充満する。
シュンは鏡の前で衣装を整えていた。
ユイがそっと現れる。
「来栖さん、調子どうですか?」
「……まだ不安定だけど、昨日よりはマシかも」
ユイは微笑む。
「大丈夫。今日のあなたは、ちゃんと舞台の“中心”にいます」
(……中心?)
その言葉が、なぜか胸に引っかかった。
◆クライマックスでの異変◆
照明が落ち、静寂が訪れる。
開演。
前半は問題なく進んだ。
共演者たちも、台詞と動きを完璧にこなしていく。
ユイとシュンの初めての対峙シーン。
彼女の台詞のトーンが、稽古のときと微妙に違う。
「……もう、過去には戻れない。だからこそ、ここにいる」
(……ん?)
その台詞、脚本にはなかった。
少なくとも、シュンの記憶には——。
舞台の照明が強くなる。
彼は一瞬、戸惑った。
だが、次の瞬間——
「それでも……俺は、信じていたんだ。君が、ここに来てくれるって」
口が勝手に動いた。
(え? 今のセリフ……)
それもまた、台本にはない台詞。
けれど、ユイは一瞬も止まらず、見事に受けた。
「信じることは、あなたが生きていた証になる。私は……忘れたりしない」
観客のざわめき。
空気が、震えていた。
——そして、幕が降りた。
◆本番後のざわめき◆
拍手。
カーテンコール。
だが、舞台袖のスタッフは慌ただしかった。
「おい、今のセリフ……どこだ? 台本にあったか?」
舞台監督がタブレットを開く。
PDFの台本データをスクロールする。
「……あるな。“君が、ここに来てくれるって”ってセリフ、ちゃんと印刷されてる」
「でも、俺の保存してた台本にはない。昨日のにはなかったはずだ」
演出家が静かに言った。
「書き換わってる……いや、最初からこうだったのか……?」
「そうだ、手書きの台本はどうだ?」
「書き換わっています……」
演出助手が言った。
シュンはただ、呆然としていた。
◆誰が脚本を書いたのか◆
舞台関係者が集まる反省会の中、演出家がぽつりと呟いた。
「……あのセリフ、俺、書いた覚え、ないんだよね」
シュンは何も言えなかった。
帰り道、劇場の近くで簡単な初日打ち上げが開かれた。
キャストとスタッフが揃い、乾杯の声が響く。
「ユイちゃん、飲める?」
「すみません、私……お酒、苦手なんです」
彼女はにこやかにそう言って、早めに席を立った。
「お疲れ様でした。今日は、忘れられない日になりました」
——その言葉の余韻が、どこか胸に残った。
まるで、それが“終わり”のようにも、“始まり”のようにも聞こえた。
ユイは丁寧に頭を下げると、夜の街へと消えていった。
その後、帰り道でシュンは彼女の姿を一瞬だけ見かけた。
(ユイ……)
何かを考え込むような、静かな横顔。
その笑顔の奥に、何かを知っているような影があった。
……
帰宅後、自室で台本を開いた。
(……誰が、脚本を書き換えた?)
ZIXIか?それとも“誰か”が——俺たちの人生さえ、演じさせているのか?
そこには、確かに“昨日はなかった”はずのセリフが、印刷されていた。
紙の感触。印刷のインクの匂い。
だが、シュンの記憶は、違う台詞を覚えていた。
彼はページの隅に指を滑らせ、呟いた。
「……これは、誰の台本だ?」
◆ZIXIと“見えない台本”◆
就寝前、シュンはZIXIを開いた。
《ログ通知:本日19:41の記録に一致する音声を検出》
そこにあったのは、まさにあの舞台上で発したセリフの録音。
だが、日付は3日前になっていた。
(……は?)
録音データの保存日時は、舞台前ではなく、3日前の稽古時刻と一致。
しかもそのログには、ユイの台詞まで正確に再現されていた。
(じゃあ……あのセリフ、俺たちは“すでに”話してた?)
それはあり得ない。
——台本にないセリフを、どちらも自然に話し、録音まで残っている?
ZIXIの画面に、文字が浮かんだ。
《同期完了。脚本一致率:100%》
(……これは何だ?)
目を閉じたその瞬間、シュンの心に浮かんだのは、ユイの言葉だった。
「今日のあなたは、ちゃんと舞台の“中心”にいます」
——あの言葉は、予感ではなかったのかもしれない。
(第23話へつづく)




