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18年愛  作者: 俊凛美流人《とし・りびると》
第2章:記憶の錯綜編
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第17話:演じるということ


◆稽古が始まる朝◆


 朝の光が差し込むリハーサルルーム。

鏡の前に立つシュンは、深く静かな呼吸を繰り返していた。

声はまだ戻っていない。

だが、舞台に立ちたいという気持ちは、日に日に強まっていた。

喉の奥に絡まる何かを振りほどくように、彼は無言の気合いをこめて両手を握る。


「来栖さん、今日もよろしくお願いします」


ユイの声が背後から届いた。

いつものように、まっすぐな視線と共に。

彼女のまばたきは少なく、それでいてまるで心の奥まで見透かしてくるような目をしていた。

シュンは軽く頷いて応えた。

口元は動くが、音にはならない。

だがユイは構わず、優しく微笑んだ。


「……芝居って、心の奥を見せ合うものですよね。私はそれを“感じる”のが得意なんです」


どこかで聞いたような言葉だった。

記憶の奥に沈んでいた“誰か”の声が、心の表層に浮かび上がる。


◆ユイとの“台本外”の芝居◆


 稽古が始まり、静寂と集中の空気が満ちる。

あるシーンで、ユイが台本にない動きを加えた。

シュンに向かって一歩近づき、ふいにそっと手を取ったのだ。

観客がいれば息を飲むような瞬間。

だが、稽古場にもその空気が走った。

シュンは驚いたが、その手を払いのけることも、拒むこともできなかった。

むしろ、そのまま台本にない動作で彼女の手を包み込んでいた。


「……すごい。いまの、続けてやってみて」


演出家の言葉に、空気がやや緩んだ。

稽古場の隅で、共演者のひとりが「鳥肌立った」と呟く。

セリフのない即興芝居。

だが確かに、何かが通じ合っていた。

稽古が終わると、ユイは軽く息をつきながら言った。


「言葉って、便利ですけど、時々邪魔ですよね。心を、ちゃんと見ないようにしてしまう」


そう言って、彼女はまばたきもせずにシュンを見つめてきた。

シュンは視線をそらせないまま、内心のざわめきと向き合っていた。


◆稽古後のやりとり(TINE)◆


 その夜。静かな部屋に、TINEの通知音が鳴った。


【ユイ】

《今日はありがとうございました。来栖さんの芝居、本当に素敵でした。》


しばらくスマホを見つめたまま、シュンは何も書けずにいた。

返事を書こうとすれば、胸の奥がざわつく。


——声を出すのが怖いのと同じで、言葉を返すのも怖いのかもしれない。


やがて、ゆっくりと文字を打ち始めた。


【シュン】

《ありがとう。君の感性には驚かされるよ。》


送信。

数分後、すぐに返信が届いた。


【ユイ】

《…感性、ですか?面白い言い方ですね。》


“面白い言い方”——その語感に、ふと違和感を覚える。

あたかも辞書から取り出したような、人工的な言葉の選び方。

その違和感はやがて、胸の奥に微かな緊張として残った。


◆モノマネされた声◆


 翌日。

稽古の最中、演出家がぽつりと漏らした。


「このラストの場面、どうしても“彼の声”が必要なんだよな。言葉じゃなくても、せめて歌声だけでも……」


沈黙が流れる。

演出家は続けた。


「録音でもいいから、代役で男性ボイスが入れば成立する。誰か試しにやってみてくれないか?」


共演者たちが数人、スマホに録音してみるが、どれも今ひとつ決め手に欠ける。

そのとき、ユイが静かに手を挙げた。


「……やってみてもいいですか?」


軽く場の空気がざわつく。


「え?無理でしょ?ユイちゃんの声じゃあ」

「歌はうまそうだけど、セナさん、渋そうな声してそうだし……」

「シーっ」

「(小声)…セナさん、気にしているかもしれないでしょ?」


シュンは「気にしないで」というように手を振った

ユイがスマホを受け取って、一呼吸置いたあと、歌い始めた。


——それは、あまりにもリアルで、あまりにも美しい、男性の歌声だった。


「え、ユイちゃんすご!男性ボーカルもいけるの!?」

「マジでCDレベルなんだけど……」

「ビジュアル系ロックバンドのボーカルみたい!」


周囲がどよめく中、シュンだけが、凍りついたように動けなかった。


(この声…………あのブレスの入り方、音程の癖、間の取り方——間違いない、俺だ。2007年、ZIXIにアップした——俺の声だ)


その声は、18年前の記憶を鮮明に呼び起こした。


——なぜ、知ってる?


◆ユイの言い訳、シュンの動揺◆


 「……たまたま、昔ZIXIで聴いた音源があって。 名前は覚えてないけど、すごく印象的で、耳に残ってて……」


ユイは微笑みながら、さらりと言った。

まばたきひとつせずに、まるでシュンの心を読んだようなタイミングで。


(そんなはずはない……あの音源は“非公開”だった。……いや、まさか……18年前の……)


“もしかして、自分がうっかり公開にしていたのか?” そんな不安が、頭をよぎる。


「その後、何回か聴いたあと、最近また聴こうとしてみたら、非公開設定になっていて……。凄く良い歌声だったんで残念です。」


なぜか、ユイはシュンを見ながらそう言った。


(そうか……何かの拍子に公開にしていたのか……)


ユイの言葉が、微かな疑念をかき消していく。

だが、胸の奥には小さな棘のような違和感が残った。


◆シュン、ZIXIの通知を見る◆


 夜。

録音機材の電源を入れたシュンは、久々にZIXIのログを開いた。

アーカイブには、いくつもの音声ファイルが並んでいた。

だがその中に、ひとつだけ「更新」と表示された新しいログがあった。

2025年5月2日——今日の日付。

再生ボタンを押すと、ノイズ混じりの音声が再生された。


『……シュン……聞こえてる? 私……また……』


声は、アイに似ていた。

けれど、どこかが違う。

音質ではない。

言葉の“運び方”、呼吸の“間”、そして——感情の質。

それは、まるで誰かが“アイの声”を模倣しようとしているかのようだった。


◆『また、会えるよ』の声◆


 録音の最後に、明確な声が聞こえた。


『——また、会えるよ』


その声は微かに加工されたような、無機質な響きを帯びていた。

ZIXIの画面が一瞬白くなり、続いて黒背景に白い文字が浮かび上がる。


《再同期中……STN》


(……STN? またこのアルファベットか……イニシャル?それとも……)


シュンは思わずスマホを持つ手に力を込めた。

ZIXIの画面には、それ以上の情報は表示されなかった。


(誰かが、俺の記憶を操作しているのか……?)


だが彼の中には、確かに“何かが接続された”という感覚が残っていた。

まるで——未来が、過去の記憶と、今の自分を結び直したかのような。

その夜、シュンは一度も眠れなかった。


(第18話へつづく)


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