第15話:2025年 東京駅の君へ
◆空白と時間の断絶 2017年〜2019年◆
季節がいくつ巡ったのかもわからないまま、シュンは俳優として細く生き続けていた。
CMのナレーション、ワークショップ講師、地味な小劇場。
生活は静かに続いていた。
時には学生に演技を教え、ときには地方の劇団に呼ばれ、名もない舞台で汗を流した。
表舞台には戻れなかったが、演じることだけはやめられなかった。
心の奥には、いつも誰かの面影があった。
ZIXIのアプリは、何度も再インストールしては消した。
再生される、あの音声——
『じゃあ、またね』
それは、いつ聴いても、時の中に置き去りにされたような、甘くて痛い響きだった。
◆未来からのログ◆
時は進み、2025年の春。
最近になって、音声ログにひとつの“更新”が加わっていた。
《2025年4月24日 17:45 東京駅》と記された、未開封の通知。
「……は?」
ログが未来を示していた。
しかも、今日の日付で。
(なぜ、未来の予定が……?)
スマホを何度かスワイプしても、ログの時刻は変わらない。
再起動しても、通知は消えなかった。
毎日、その日の日付で《2025年4月24日 17:45 東京駅》の通知が更新される。
スマホの時計を確認する。
どこにも異常はない。
けれど、違和感だけが確かにあった。
「俺……何を見落としてきた?」
——そして、ふと呟く。
「……俺に……未来の誰かが、何かを伝えようとしてるのか……?」
「2025年4月24日——18年前と同じ日付。誰にも教えなかった、ふたりだけの秘密の日。……まさか、アイが……」
(……あの日の駅、風のにおい、君の笑い声——今でも全部、覚えてる)
◆2025年4月24日 東京駅 18年目の再会◆
午後。
東京駅・丸の内口。
待ち合わせ場所の“あの場所”を、シュンは少し離れた場所から見つめていた。
——ここに、アイは来るのか?
いや、そもそも——アイは、存在していたのか?
18年前、たった10時間だけ過ごした“奇跡”。
そして、その後のすれ違い。
名前を呼ぶ声も、笑い方も、温度も。
記憶は輪郭を曖昧にしながら、シュンの中でずっと、そこにいた。
ZIXIの通知は、たしかに、この日この場所を示していた。
《2025年4月24日 17:45 東京駅》
理由も、仕組みもわからない。
ただ、彼はここに来なければならない気がした。
そのとき、ふと視線を感じてシュンは振り返った。
コンコースの片隅で、ひとりの青年がじっとこちらを見ていた。
黒いコートに身を包み、どこか見覚えのある顔。
でも……どうしても忘れられない“誰か”の面影が、そこに重なった気がした。
目が合った瞬間、彼はふっと目を伏せ、そのまま人波にまぎれて消えていった。
(……誰だ? 今の……)
何か、胸の奥に引っかかる。
だが、それ以上考える間もなく、周囲の雑踏が、ふと静かになる。
——まるで、時が滲むように。
時刻は17時45分。
視線の先に、ひとりの女性の姿が現れた。
ブラウンのコート。
淡いブルーのワンピース。
そして、どこか懐かしい眼差し。
18年前と全く変わらない。
——間違いない。あれは、アイだ。
けれど——その姿は、一瞬にして遠ざかっていった。
「……アイ……?」
その名を呼んだ時には、すでに彼女の背中は人波の中に溶けていた。
——あれ?人違いだったか……そうだよな。
18年前と同じ?
いや俺の記憶がバグっているのか?
アイは、まるで、時間の向こうに帰っていくように去っていく。
——人違いでも良い。とにかく声をかけてみよう。
慌てて追おうとしたその時。
足元に何かが落ちた。
それは、シュンの首にかけていたネックレスだった。
光沢のあるシルバーのチェーン。
そして、ブラウンの長方形のペンダントトップ。
「……あれ?……何で?」
2007年。
アイとお揃いで買った、あのネックレス。
ずっと前にミライに捨てられたはずだった。
けれど、なぜか、数日前——机の引き出しの奥から、ひょっこりと現れた。
まるで、“再会”に導かれるように。
震える指で、それを拾い上げる。
その瞬間——
世界が、ふっと、光に包まれた。
駅の喧騒が遠ざかる。
時間の流れが、一瞬だけ止まったようだった。
胸ポケットのスマホが震える。
そこには、再生中の音声ファイルがあった。
『ねえ、シュン。もしこの声が、届いてるなら——』
——この声は、いつの記憶?
それとも——幻聴なのか?
目を閉じる。
そこに、たしかにアイがいた。
そして彼は、ようやく、心の中で名を呼ぶ。
「……アイ」
◆消えたネックレス、時を超えて◆
その場に立ち尽くすシュン。
ふと、手元を見ると、ネックレスが——なぜか、なくなっていた。
(……さっき拾ったはず、なのに)
そのとき、遠くから微かに女性の声がした。
『……ありがとう、まだ覚えていてくれて』
まるで風に乗った幻聴のように。
でも、たしかに“アイ”の声だった。
そして、スマホのZIXIアプリが再起動される。
そこにあったのは、たった一行のログ。
《記録:東京駅・再同期完了。》
「……再同期?」
シュンはスマホを握りしめたまま、深く息を吐いた。
その言葉の意味が、じわりと現実に染み込んでくる。
——記憶と記録が、再び“接続”されたのか?
◆アイという存在——現実か、記憶か◆
帰宅したシュンは、録音機材の前に座っていた。
アイの声。
彼女の記憶。
あの日のネックレス。
それらすべてが、ふたたび心に蘇ってきた。
「君は……本当に、存在してたのか?」
「俺は君を見た……18年前と全く変わらないアイだった」
「俺は夢を見ているのか?…幻覚か?」
「でも、確かに見た……すれ違っただけだが、この目で」
声が震える。
涙が頬を伝った。
しかし、それは悲しみではなく、確かな“再会”だった。
彼は録音ボタンを押す。
小さな声で、静かに語り始める。
「2007年4月24日……君と出会った日。2025年4月24日……君を追いかけた日。……触れたら壊れてしまいそうで、ずっと、触れられなかったんだ。18年経っても、俺の中に君はいる。——ありがとう。もう一度、君に会えた気がする」
◆幕引きと始まりの予感◆
その夜、シュンはZIXIのログをひとつずつ見返した。
ある日付のログだけ、“返信していない”ことに気づく。
(……返信、しよう)
文字を打ち込む。
【もう一度、会いたい。君が本当に、君なら——】
送信ボタンを押した瞬間、ZIXIの画面が白くフラッシュした。
《再接続:未来の記憶へ》
目の前に、ZIXIの画面とは別に、もう一つのログが現れた。
《STN・接続開始》
——STN? シュンはその見慣れぬイニシャルに、なぜか既視感を覚えた。
心のどこかが、静かに疼いていた。
——まるで、どこかでこの名を呼んだことがある気がして。
——未来が、過去を呼んでいる。
【第1章:記憶の狭間編 完】 ——第2章へつづく——




