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18年愛  作者: 俊凛美流人《とし・りびると》
第1章:記憶の狭間編
14/54

第14話:2016年 追いかける声


◆映画の中の歌◆


 2016年春。

舞台『月下ノ檻』の成功とMV出演を経て、シュン——“来栖セナ”としての活動は、じわじわと広がりを見せていた。

そんな折、大手映画制作会社からの連絡が入った。


「ミュージカル映画の主演をお願いしたい」


驚きと戸惑い。

だが、脚本を読んだ瞬間、胸の奥がざわついた。

それは、喪失と再生をテーマにした作品だった。

言葉少なく、感情を声と音楽で紡ぐ物語。


「……歌は、無理なんです」


シュンは、はっきりとそう伝えた。

だが、監督は揺るがなかった。


「大丈夫。アフレコで調整する。君にしかできない芝居がある。なんなら歌だけ吹替も出来る」


それでも迷いながら、彼はオーディションを受け、最終的に正式キャスティングされた。

台本を手にしたシュンは、いつしか、心の奥でささやくように呟いた。


「……これは、俺の物語だ」


◆ミライの声との再会◆


 クランクインから数ヶ月。

撮影は順調に進んでいた。

照明の熱、カメラの視線。

身体は確かに表現していたが、心の奥には常に影があった。

そんなある日、スタッフのひとりが言った。


「エンディングテーマ、決まったって。……歌ってるの、ミライだってさ」


ミライ——その名前に、胸の奥がざわついた。

彼女の声が、もう一度、自分の作品のラストに流れる。

偶然なのか。

それとも、誰かが意図した再会なのか。

サラに聞いてみようとした。

でも、元妻の事を聞くのはためらわれた。


——偶然にしては出来すぎている。


だが、この映画はミライの曲に合っている。

いや、ミライのためにあるような映画だ。

心に葛藤という名の希望が生まれた。

だが、再会の時は訪れなかった。


「スケジュールが合わなかったらしいよ」


誰かがそう言った。現場でミライの姿を見かけることはなかった。


——そうだよな。会って、何を言える?


その問いが、撮影のたびに脳裏をよぎった。


◆降板の決断◆


 撮影が折り返しに差しかかったある日。

シュンは、ある重要なシーンのリハーサルに向かっていた。

だが、シュンの顔から役としての表情が消えた。

カメラが回る直前、監督が静かに問いかけた。


「大丈夫か?」

「……ここ、やっぱり……俺じゃない方がいい」


監督、演出助手、サラ——関係者たちが静かにその場にいた。


「この役は……声で訴えるものが多すぎる。今の俺には……足りない」


それは、苦し紛れの言い訳ではなかった。

ずっと自分の中で消化しきれなかった感情への、正直な答えだった。

監督が何か言いかけたその瞬間、シュンが口を開いた。


「……芝居はできる。でも、声を出した瞬間に、自分の中の何かが壊れそうになるんです」

「壊れる?」

「わからないんです。ただ……台詞じゃなく、あの旋律にのせた瞬間、過去と今が混ざって、立っていられなくなりそうで……」


(……本当に俺は、歌えないのか? それとも——歌わない理由を探しているだけなのか?)


監督は静かに頷いた。


「それでも、君の芝居には魂がある」

「ありがとうございます。でも……俺は、この歌を、自分の声で伝える覚悟がまだ持てないんです」


監督が深く息を吐き、視線を落とした。


「歌えないのか?だったらアフレコで。サンプル流すから、君は口パクだけで良い」

「そういう問題じゃないんです」

「じゃあ、別の歌手を立てて吹替でも良いじゃないか」


シュンは少し間を置いて、目を閉じた。


「誰かの声に、自分の気持ちを預けるなんて……それが一番、耐えられない」

「監督、申し訳ないです。……降板させてください」


そのとき、頭に浮かんだのは、アイの声と、ミライの背中だった。


——なぜ歌えない? 怖いのか? 声を出した瞬間に、あの記憶が崩れてしまいそうだから?


シュンの中で、過去の“声”と“沈黙”がせめぎ合っていた。

監督はしばらく無言のまま彼を見つめたあと、静かに頷いた。


「……君の覚悟は、伝わった。ありがとう」


その日の夜、サラがシュンの元を訪れた。


「逃げたって思う人もいる。でも、私は違う。止まったってことは、まだ終わってないってこと」


その言葉に、大学時代の小劇場の舞台で一緒に泣いた記憶がよみがえった。


——終わってない。


その言葉が、静かに胸に残った。


◆忘れられない名——今井ハヤト◆


 撮影を離れたあとも、シュンは俳優としての道を細々と歩き続けていた。

ワークショップの講師、時折のCM出演、小劇場での脇役。

ある日、映画関係のワークショップで講師を務めていたとき、生徒のひとりが手を挙げた。


「先生って、“今井ハヤト”さんの弟さんとかじゃないですよね?」

「……え?」

「だって、演技のスタイル、すごく似てて。声の出し方とかも……あと、苗字が同じだから」


また同じことを言われた。

以前映画の撮影スタッフに言われたから、シュンはその名を記憶してはいた。

だが、詳しくは知らなかった。

父から聞いたこともなく、母も一切語らなかった。

偶然なのか——今井なんてありふれた苗字だ。

一致はありえる……それとも……

帰宅後、シュンは検索ボックスに「今井ハヤト」と打ち込んだ。

10年以上前に他界した舞台俳優。

若き天才と呼ばれた男。

だが、孤独と共に舞台を降りたと記されていた。

モノクロ写真の中の男。

見覚えがあるわけではないのに、なぜか、胸がざわついた。


──舞台袖の、薄暗い階段。子どもの頃に見たことがあるような、懐かしい光の屈折──


「……俺は、お前を知らない。なのに、どうしてこんなに……」


まだ見ぬ“誰かの記憶”に触れたような、不思議な痛み。

そしてふと、心にひっかかるものがあった——


「……俺も、この写真にあるステージに立ったことがあるような……」


◆声と記憶の境界線◆


 ある日の夜。静かな部屋で、シュンは再び音声ファイルを再生していた。


『じゃあ、またね』


アイの声。

その響きは、記憶の中で美しく、そして淡く揺れていた。

だが、その声には、かすかな“ズレ”を感じていた。

ZIXIのログを改めて見返す。

そこでふと、気づいた。


——“声”のタイムスタンプと、“文字”のタイムスタンプが、数分ずれている。

まるで、音声だけが別の時間軸から届いたように。


「……これは、本当に“過去”の記録なのか?」


その問いに、確かな答えはなかった。

ただ、心の奥でなにかがざわめいていた。

ZIXIの画面を操作する指先が、一瞬止まる。


(このデータ……保存時刻がおかしい。再生時のラグでは説明できない)

(……まさか、これが誰かの手によって“編集”されているとしたら?)


過去か、未来か。

現実か、幻か。

ログを眺める指先が、震えていた。


——おかしい。


“彼女の声”が、俺の記憶より先に届いている気がする。


——それって……どういうことだ?


思考の迷路を歩くように、シュンの心に不確かな靄がかかっていく。

見えない何かが、少しずつシュンを包み込み始めていた。


(第15話へつづく)


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