第14話:2016年 追いかける声
◆映画の中の歌◆
2016年春。
舞台『月下ノ檻』の成功とMV出演を経て、シュン——“来栖セナ”としての活動は、じわじわと広がりを見せていた。
そんな折、大手映画制作会社からの連絡が入った。
「ミュージカル映画の主演をお願いしたい」
驚きと戸惑い。
だが、脚本を読んだ瞬間、胸の奥がざわついた。
それは、喪失と再生をテーマにした作品だった。
言葉少なく、感情を声と音楽で紡ぐ物語。
「……歌は、無理なんです」
シュンは、はっきりとそう伝えた。
だが、監督は揺るがなかった。
「大丈夫。アフレコで調整する。君にしかできない芝居がある。なんなら歌だけ吹替も出来る」
それでも迷いながら、彼はオーディションを受け、最終的に正式キャスティングされた。
台本を手にしたシュンは、いつしか、心の奥でささやくように呟いた。
「……これは、俺の物語だ」
◆ミライの声との再会◆
クランクインから数ヶ月。
撮影は順調に進んでいた。
照明の熱、カメラの視線。
身体は確かに表現していたが、心の奥には常に影があった。
そんなある日、スタッフのひとりが言った。
「エンディングテーマ、決まったって。……歌ってるの、ミライだってさ」
ミライ——その名前に、胸の奥がざわついた。
彼女の声が、もう一度、自分の作品のラストに流れる。
偶然なのか。
それとも、誰かが意図した再会なのか。
サラに聞いてみようとした。
でも、元妻の事を聞くのはためらわれた。
——偶然にしては出来すぎている。
だが、この映画はミライの曲に合っている。
いや、ミライのためにあるような映画だ。
心に葛藤という名の希望が生まれた。
だが、再会の時は訪れなかった。
「スケジュールが合わなかったらしいよ」
誰かがそう言った。現場でミライの姿を見かけることはなかった。
——そうだよな。会って、何を言える?
その問いが、撮影のたびに脳裏をよぎった。
◆降板の決断◆
撮影が折り返しに差しかかったある日。
シュンは、ある重要なシーンのリハーサルに向かっていた。
だが、シュンの顔から役としての表情が消えた。
カメラが回る直前、監督が静かに問いかけた。
「大丈夫か?」
「……ここ、やっぱり……俺じゃない方がいい」
監督、演出助手、サラ——関係者たちが静かにその場にいた。
「この役は……声で訴えるものが多すぎる。今の俺には……足りない」
それは、苦し紛れの言い訳ではなかった。
ずっと自分の中で消化しきれなかった感情への、正直な答えだった。
監督が何か言いかけたその瞬間、シュンが口を開いた。
「……芝居はできる。でも、声を出した瞬間に、自分の中の何かが壊れそうになるんです」
「壊れる?」
「わからないんです。ただ……台詞じゃなく、あの旋律にのせた瞬間、過去と今が混ざって、立っていられなくなりそうで……」
(……本当に俺は、歌えないのか? それとも——歌わない理由を探しているだけなのか?)
監督は静かに頷いた。
「それでも、君の芝居には魂がある」
「ありがとうございます。でも……俺は、この歌を、自分の声で伝える覚悟がまだ持てないんです」
監督が深く息を吐き、視線を落とした。
「歌えないのか?だったらアフレコで。サンプル流すから、君は口パクだけで良い」
「そういう問題じゃないんです」
「じゃあ、別の歌手を立てて吹替でも良いじゃないか」
シュンは少し間を置いて、目を閉じた。
「誰かの声に、自分の気持ちを預けるなんて……それが一番、耐えられない」
「監督、申し訳ないです。……降板させてください」
そのとき、頭に浮かんだのは、アイの声と、ミライの背中だった。
——なぜ歌えない? 怖いのか? 声を出した瞬間に、あの記憶が崩れてしまいそうだから?
シュンの中で、過去の“声”と“沈黙”がせめぎ合っていた。
監督はしばらく無言のまま彼を見つめたあと、静かに頷いた。
「……君の覚悟は、伝わった。ありがとう」
その日の夜、サラがシュンの元を訪れた。
「逃げたって思う人もいる。でも、私は違う。止まったってことは、まだ終わってないってこと」
その言葉に、大学時代の小劇場の舞台で一緒に泣いた記憶がよみがえった。
——終わってない。
その言葉が、静かに胸に残った。
◆忘れられない名——今井ハヤト◆
撮影を離れたあとも、シュンは俳優としての道を細々と歩き続けていた。
ワークショップの講師、時折のCM出演、小劇場での脇役。
ある日、映画関係のワークショップで講師を務めていたとき、生徒のひとりが手を挙げた。
「先生って、“今井ハヤト”さんの弟さんとかじゃないですよね?」
「……え?」
「だって、演技のスタイル、すごく似てて。声の出し方とかも……あと、苗字が同じだから」
また同じことを言われた。
以前映画の撮影スタッフに言われたから、シュンはその名を記憶してはいた。
だが、詳しくは知らなかった。
父から聞いたこともなく、母も一切語らなかった。
偶然なのか——今井なんてありふれた苗字だ。
一致はありえる……それとも……
帰宅後、シュンは検索ボックスに「今井ハヤト」と打ち込んだ。
10年以上前に他界した舞台俳優。
若き天才と呼ばれた男。
だが、孤独と共に舞台を降りたと記されていた。
モノクロ写真の中の男。
見覚えがあるわけではないのに、なぜか、胸がざわついた。
──舞台袖の、薄暗い階段。子どもの頃に見たことがあるような、懐かしい光の屈折──
「……俺は、お前を知らない。なのに、どうしてこんなに……」
まだ見ぬ“誰かの記憶”に触れたような、不思議な痛み。
そしてふと、心にひっかかるものがあった——
「……俺も、この写真にあるステージに立ったことがあるような……」
◆声と記憶の境界線◆
ある日の夜。静かな部屋で、シュンは再び音声ファイルを再生していた。
『じゃあ、またね』
アイの声。
その響きは、記憶の中で美しく、そして淡く揺れていた。
だが、その声には、かすかな“ズレ”を感じていた。
ZIXIのログを改めて見返す。
そこでふと、気づいた。
——“声”のタイムスタンプと、“文字”のタイムスタンプが、数分ずれている。
まるで、音声だけが別の時間軸から届いたように。
「……これは、本当に“過去”の記録なのか?」
その問いに、確かな答えはなかった。
ただ、心の奥でなにかがざわめいていた。
ZIXIの画面を操作する指先が、一瞬止まる。
(このデータ……保存時刻がおかしい。再生時のラグでは説明できない)
(……まさか、これが誰かの手によって“編集”されているとしたら?)
過去か、未来か。
現実か、幻か。
ログを眺める指先が、震えていた。
——おかしい。
“彼女の声”が、俺の記憶より先に届いている気がする。
——それって……どういうことだ?
思考の迷路を歩くように、シュンの心に不確かな靄がかかっていく。
見えない何かが、少しずつシュンを包み込み始めていた。
(第15話へつづく)




