第12話:2014年 それでも君を嫌いになれなかった
◆週刊誌の報道と、静かな波紋◆
2014年初夏、ある週刊誌がミライの海外進出計画と共に、極秘結婚の噂を報道した。
見出しはこうだった。
『新進気鋭の歌姫ミライ、極秘結婚か? 同行する謎の男性の正体は?』
掲載された写真には、目隠しされた男性の後ろ姿が写っていた。 顔は映っていない。
だが、その髪型、肩のライン、身に着けているグレイのコートの質感——ミライには、それがシュンであることがはっきりと分かった。
記事は憶測まじりの内容だったが、業界内には瞬く間に広まった。
ミライの所属事務所はイメージ戦略を最優先にし、ミライに「一旦距離を置いた方がいい」と伝えた。
その夜、ふたりは静かな部屋で向き合っていた。
「……これ、どう思う?」
ミライがスマホを差し出す。
シュンは画面をひと目見ると、眉をわずかにしかめ、すぐに視線をそらした。
「俺のせいだな。ごめん。」
「違うよ、シュンは何も悪くない。」
「いや、俺がもっと配慮していたら、こんなことには。君は何も悪くない」
——シュン…いつも自分のせいにするのね。
ふたりの言葉は優しく、でも、どこかに深く突き刺さるものを含んでいた。
「……仕事のために、しばらく離れてみる?」
「そうだな。お互い、冷静になれるかもしれない。」
どちらも、心からそう思っていたわけではなかった。
けれど、その選択が正しいと、どこかで思いたかった。
ミライはあくまで仕事のためと自分に言い聞かせていたが、それだけではなさそうな、予感めいた感情を禁じえなかった。
◆音楽の終焉と、ふたりの境界線◆
数日後、ミライの次回アルバムは海外の著名プロデューサーと制作されることが正式に発表された。
世間からは、週刊誌報道を発端に、ミライが自分は潔白であると示すためだと揶揄された。
「……そうか。よかったな。」
「本当に、それでいいの?」
シュンは、小さく頷いた。
「私は、あなたとこれからも一緒に作っていく気持ちに変わりはないよ。それに私はあなたを…」
その言葉を遮るようにシュンは言った。
「君の音楽が、もっと多くの人に届くなら。それが一番だよ。」
ミライはそれ以上、何も言えなかった。
かつては音楽がふたりを繋いでいた。
けれど今、その糸は静かにほどけていく。
——お父さん、本当にこれで良いのかな?
ミライは心の中でそう呟いていた。
◆壊れた夜とネックレス◆
その夜、シュンが不在の時間。
ミライはふと、彼の作業部屋に足を踏み入れた。
机の隅に、小さな箱が置かれている。
何気なく開けると、そこには光沢のあるシルバーのチェーンと、長方形のブラウンのペンダントトップ。
「……これ……」
ずっと、気になっていた。
シュンが時折、無意識に胸元を触れていたあのネックレス。
あえて見て見ぬふりをしていた。
それがどんなものであろうと、私には関係ない。
私と会う前にシュンが誰と何をしていようが関係ない。
今は私がそばにいるんだから——でも…。
シュンが帰宅すると、ミライはその箱を手に取ったまま、静かに尋ねた。
「ねえ、これ……誰にもらったの?」
シュンは一瞬動揺し、目を伏せる。
そして、何も答えなかった。
「どうして、黙るの?」
「……。」
ミライの声には、苛立ちと、寂しさが混じっていた。
「そんなに大切なら……どうして、隠してたの?」
沈黙。
それが、何よりも答えだった。
ミライはそっとネックレスを持ち上げ、キッチンへと歩いていく。
「……捨てておくね。」
ごく小さな音で、金属がゴミ箱に落ちた。
乾いた金属音。
まるで、それがふたりの関係の終わりを告げる鐘のようだった。
シュンは止めなかった。
——止められなかった。
その夜、ふたりは別々の部屋で眠った。
眠れたかどうかは、分からない。
ふたりの距離が離れていく音が、静寂の中に横たわっていた。
◆最後の夜◆
次の日の夜。久しぶりに、ワインを開けた。
「ねえ、どうして怒らないの?」
ミライがぽつりと訊いた。
「何が? ああ、ネックレスの事?」
「そう。捨てても、何も言わなかった。言ってくれなかった。私、もっと怒って欲しかった」
「怒っていいほど……ちゃんと君を愛せてたか、分からないから。」
「……そういう優しさが、一番つらいよ。」
ふたりの言葉は、優しくて残酷だった。
「ねえ、最後に名前で呼んでくれる?」
しばらく沈黙が流れた後——
「……ミライ。」
その名前は、どこか遠くの音のように響いた。
「ありがとう。」
それは、別れの言葉だった。
◆別れと旅立ち◆
数日後。 引っ越し業者が荷物を運び出す中、ふたりは無言で部屋を整理していた。
最後に、空港までシュンがミライを送った。
「じゃあね。」
ミライは涙も見せずに、笑って言った。
ほんの少し唇が震えていたことに、シュンは気づいていた。
でも、その震えに触れてしまえば、ふたりとも崩れてしまいそうで——見て見ぬふりをした。
「うん。またな。」
そう返したシュンの笑顔は、どこかぎこちなく、けれど本物だった。
搭乗ゲートへ向かう彼女の背中を見送りながら、シュンは心の中で呟いた。
——君を、嫌いになんてなれなかったよ。
◆余韻◆
夜。
シュンはひとり、ベッドサイドの机を開けた。
中には、小さなノート。
1ページだけ、筆記体のような柔らかい文字で書かれていた。
「ありがとう」
ただ、それだけ。
シュンは、そのページをそっと閉じた。
その手が、微かに震えていた。
——まだ、何かが終わった気がしなかった。
(第13話へつづく)




