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18年愛  作者: 俊凛美流人
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第1話:色褪せた世界


──2025年 東京駅──


いつからだろう、この世界が、まるで記憶の亡霊みたいに、色褪せて見えるようになったのは。

ガラスに反射する夕暮れの光が、東京駅のコンコースをゆっくりとオレンジ色に染めていく。

それはまるで、誰かの想いが、この場所に溶け残っているかのようだった。


──あの日も、こんな夕焼けだった気がする──


だけど今のシュンには、その鮮やかささえ、セピア色にしか見えない。

かつて心を焦がした光景が、まるで過去に封じられた映像のように滲んで見える。

静かに、吐息をこぼす。


「18年……長すぎるよな……」

「もう、彼女の声なんて忘れたと思ってたのに」

「……いや、違うな。忘れたんじゃない。忘れた“ふり”をしていたんだ」

「そうでもしないと、壊れそうだったから……」


18年という歳月の厚みに身をゆだねながら、胸の奥で、わずかな予感が音もなく息をしはじめる。


──何かが、静かに始まろうとしている──


「……考えすぎか。今は、今日という“瞬間”を焼きつけておこう」

「18年前。2007年──」

「アイに出会った、忘れられない年」


腕時計の針は、17時42分を指していた。

彼女が現れるまで、あと3分──。

記憶の奥底から、彼女の声が静かにこだましてくる。


──“シュン”──


まるで音もなく胸を震わせる、あの優しい声。

そしてその声に導かれるように──

シュンの中で、18年の記憶が、静かに巻き戻りはじめた。


◆2007年 SNSでの出会い◆


 シュンが彼女に出会ったのは、SNSだった。

当時はまだ、画面越しの言葉だけが繋がりをつくる時代。

顔も声も知らず、ただ綴られる言葉とアイコンの向こう側に、誰かの心が息づいていた

彼が使っていたのは、『ZIXI』というSNS。

音楽プロデューサーとして駆け出しだった頃、忘れられたような古いデモ音源を、自己紹介代わりにひっそりと投稿していた。


──ある日、一通のメッセージが届いた。


【はじめまして。あなたの音楽に、救われました】


短いその言葉が、止まっていた時間の歯車を静かに動かし始める。

彼女は【アイ】と名乗った。


【アイさん、ありがとうございます。昔の音源ばかりですが、そう言ってもらえると救われます(笑)】


最初はただの礼儀として返したつもりだった。

けれど、なぜだろう。

彼女からの返信を、シュンはいつのまにか、待つようになっていた。

彼女の言葉には不思議な温度があった。

画面越しなのに、そこに確かに“息”があった。


【あなたの曲を聴くと、夜空を見上げたくなるんです】

【……本当に? そんなふうに言われたの、初めてだよ】

【ほら、空は繋がっているでしょ?】

【……そうだね】

【シュンくんもこの夜空を見上げてる気がして──】


どこか切なくて、でもあたたかい彼女の言葉。

それは、もう二度と触れることのないと思っていた“歌への情熱”の扉を、静かにノックした。


【ねぇ、お互い"くん付け"や"さん付け"はやめて、呼び捨てにしない?】

【うん……俺、年上のイメージあるでしょ?】

【何年生まれ?】

【1980年】

【私は1981年。じゃあ、ほとんど同い年だね(笑)】

【シュン】

【アイ】

【……なんか、照れるね。でも、距離が縮まった気がする(笑)】

【シュ~ン~~~!シュンシュン!!(笑)】


彼女のその愛くるしい言葉選びや、投稿に対する気遣い溢れるコメントを読んでいくうちに、次第にシュンはアイに惹かれていった。


【今度、電話してみない?】


──送信ボタンを押す指先が震えた。


【嬉しい! うん。シュンの声、聴いてみたい】


その返事を見た瞬間、心臓が高鳴る音が、自分の内側だけでやけに響いた。


──顔も声も知らなかった。


いや──写メのような小さなアイコンはあった。

けれど、画素の粗いその笑顔から、本当の表情までは読み取れなかった。

投稿された風景や食事の写真、そして時折つづられる短い日記。

どこか優しげなその世界に、少しずつ惹かれていたはずなのに──

どうしても埋まらない“距離”があった。

だから、思った。

どうしても──この人の“声”が聴きたい、と。


◆初めての通話◆


 シュンの鼓動は明らかに早まっていた。

どんな声なんだろう。

優しい? 元気? それとも……。


『シュンの声、想像通りだった』

『え?』

『ちょっと切なくて、でも優しい音』

『……そんな風に言われたの、初めてだよ』


電話の向こう、彼女の声は思っていたよりもずっと柔らかくて、温かくて──

まるで、心の奥に直接触れてくるようだった。

その瞬間、胸の奥に固く縛られていた何かが、静かにほどけた。


『シュンって、もう歌わないの?』


その問いは、唐突だった。


『歌わない……いや、歌えない、が正しいかな。もう誰にも求められてないし──』

『シュンの歌声って、誰かのためにあるんじゃないかな』

『そうかな? でも……もう自分が納得する声は出ないし、俺の夢は終わったんだ』

『終わってないよ。私は、まだ聴きたいもん』

『でも、今聴いても、きっと失望するだけだよ』

『それでも、私は聴きたい。たとえ枯れた声でも、あなたの“音”には心があるから』


彼女の言葉に、シュンは静かに息を呑んだ。

自分の“音”をそんな風に受け止めてくれた人は、初めてだった。

それは──閉じた扉の向こうに差し込む、一筋の光のようだった。


『シュンって、「でも」とか、否定する言葉多いね。それ、シュンの悪いところだよ!』

『え? そうかな。でも……』

『ほら、また「でも」って言った(笑)』

『あ……』

『シュンの歌声なら、私、どんな声でも失望しない。……たとえ、どんな声であっても、シュンの声を聴けるだけで幸せになれるよ』


その言葉に、シュンの心はそっと、やさしく解かれていった。 


──初めての会話──


緊張と安堵が入り混じる中、シュンはすでに気づかぬうちに恋に落ちていた。

彼女の声は、音としてではなく、まるで“心そのもの”のように、胸の奥に染み込んできた。


──でも、同時にどこか、届かない場所にいる気がしていた──


それは、深い霧の向こうに立つ誰かと、互いに輪郭だけを手探りしているような、不思議な距離。

彼女が“存在している”のは確かだ。

でも、どこか──“この世界にはいない”ような、そんな感覚すらあった。


◆その後◆


 初めての通話のあと、数日が経った。

やり取りは続いていた。

コメントやメッセージは、以前と変わらず返ってくる。

けれど、誘ってもなかなか電話には応じてくれなかった。


──きっと仕事が忙しいんだろう──


彼女は「研究の仕事をしている」とだけ言っていた。

その言葉に嘘は感じなかった。

でも、どこか引っかかる。

“研究”という響きにしては、声に含まれる温度が、あまりにも脆かった。


──なぜだろう。彼女の“声”には、どこか──痛みがあった。


ようやく、再び電話がつながった日のこと。


『ねぇ、アイって、普段何してるの?』


思い切って聞いたその問いに、少しだけ沈黙があって──


『仕事以外は……主婦をしてるよ』

『そっか……』


少しだけ強く脈打った。


──そうだよな。素敵な人なら、誰かのものだって、不思議じゃない。


そう思おうとした。

けれど、なぜか、その一言だけで、胸の奥がひどく軋んだ。


『でも……』

『でも?』

『……ううん、なんでもない。ただ……シュンの声が聴けて、幸せ』


その声の最後が、ほんのわずかに震えていた。

泣いていたのか、言葉を閉じ込めていたのか──

彼女は、きっと何かを隠している。


──きっと、俺には踏み込めない世界がある。

──聞いてはいけない。

──彼女の世界に深入りしてしまえば、きっと何かが壊れる。


そう思った。

そう思いながらも──

その声が、心の中で反響して止まなかった。

踏み込むべきではないと分かっていながらも、シュンの心は静かに、確実に、アイへと惹かれていった。


──シュンは高校時代に喉を壊して、歌えなくなった。

そのときから、誰に対しても心を開かず、付き合った彼女にさえ、本当の自分を見せられなかった。

以来、舞台に立つことも、人前で歌うこともやめた。

SNSだけが、唯一の接点だった。

そこに、喉を壊す前の音源をひっそりと残していた。

ほとんど誰にも聴かれることのなかったその音楽を──

アイだけは、まっすぐに見つけて、聴き取って、受け止めてくれた。


──彼女だけが、あの頃の“声”を、もう一度、光のようにすくい上げてくれた。


◆2025年 東京駅◆


本当に来るのかな……

──あの日も、そんなことを思ってた気がする


あれから18年。

時間はすべてを遠ざけて、そして、時折やさしく引き戻す。

もし、彼女が高校時代の自分に出会っていたら──

どんな言葉をくれただろうか。

名前さえ呼ばずに、ただ微笑んでくれるだけだったかもしれない。

けれどそれだけで、未来は変わった気がしてしまうのは、なぜだろう。

そんな想いが、胸の奥を、静かに、ゆっくりと揺らしていた。


(第2話へつづく)


『18年愛』Prologue Movieは、こちらからご覧いただけます!

https://www.youtube.com/watch?v=T_93WaUV9z0


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