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玉砕パティシエ小豆田  作者: 花奏希美
1章 玉砕パティシエ小豆田と、お菓子の甘くてほろ苦い思い出
4/13

Mémoire 2

 翌日、閉店三十分前。


 今日も残りわずかなケーキを眺めながら、客足が引いた店内に立っていた。


 最近はずっとこうしている。


 ケーキを買うお客様の顔を見たら、自分が自分のケーキに何を求めているのか、わかる気がしたから。


 閑散とした店内とケーキを眺めて、物思いに耽る。それを許してくれるシェフと同僚には感謝しなければ。ここを去るのに、こうも甘やかしてくれるのだから。


 不意に、カランコロンと扉の鐘が鳴る。


 見ると、一人の女性が来店していた。


 ……昨日、閉店間際に来た人だ。


 ジーンズにパーカー、髪は軽く内に巻いただけのストレート。昨日はコンタクトだったのか、黒縁の眼鏡を掛けている。随分とラフな恰好だ。今日も平日だけど、会社は休みだったのだろうか。


「いらっしゃいませ」


 僕と目が合った彼女は会釈しながらこちらに歩み寄った。


「よかったです。ようやくお会いできて。昨日は閉店間際にすみません。本当にありがとうございました」


 そう言って、ペコリと頭を下げた。


「ケーキ、とても美味しかったです」


「恐縮です」


「本当に、美味しかったです。美味しすぎて、涙が出るくらい」


 もうすでに泣いていた人に言われると、信憑性が増す。


 何で泣いていたのかはわからないけれど、憔悴しているように見えた。きっと、良いことで泣いていたわけではない。


 それを「美味しい」という感情で上書きできたなら、一安心……、でいいだろうか。


 言葉を返せないでいる僕に、構わず女性は言う。


「おかげでまた、今日から頑張れます」


「……あまりご無理なさらないでくださいね」


 女性は切なく笑いながら「お心遣いありがとうございます」と言って続ける。


「昨日のは、今度出る新作ですか? 今販売されてるラインナップとちょっと雰囲気が違いますけど」


「あれは、こちらの店では販売しないものなんです」


「どちらで販売されるんですか?」


「実は、独立する予定でして。僕の店で販売予定なんです」


 独立することを、オーナーもシェフも同僚も、応援してくれたし喜んでくれた。僕も、独立に向けて着々と準備してきた。


 けれど、胸の虚空は、わずかでも、徐々に大きくなっていく。


 こんな状態で、お菓子を作り続けてもいいのだろうか。


 迷っていた僕に、シェフは店で売ろうと思っているメニューを一つ、作ってみろと言った。それを食べてもらって、「やっぱりこれがお前の菓子だよ」とだけを言われた。同僚も納得した様子で食べていた。けれど、何が良いのかわからない。教えてもらおうにも、「それは自分で気付かにゃならんよ」と言われるだけだった。


「お店、どちらで開くんですか?」


「候補はいくつかあるのですが、まだはっきりとは決まっていなくて」


「お店の名前は決まっていますか? 検索したら、オープンの情報出てきますか?」


「すみません、店名もまだで……」


「そうですか……」


「僕、最近この時間帯は売り場に出るようにしているので、またお会いした時にでも進捗をお伝えしますね」


「この時間帯だけなんですね。だから昼間にはいらっしゃらなかったんだ」


「昼間にもいらっしゃったんですか?」


「開店時、昼過ぎ、夕方、何回か覗いてみました。昨夜コックコート着ていらしたので、厨房にいらっしゃるのか、それともお休みなのか、よくわからなくて……」


「僕にご用がございましたら、店の者に小豆田(あずきだ)を呼ぶようお申し付けくだされば、いつでも伺いますよ」


「あずきだ、さん?」


「小さい豆のあずきに、田んぼの田です」


「小豆! 私、小倉(おぐら)です。餡子(あんこ)繋がりですね」


 眼鏡の奥の目が、柔らかく解れた。


「うちの店、よく来られるんですか?」


「たまに。家から一番近いケーキ屋なんです。コンビニよりも、やっぱりケーキ屋のが美味しくって。昨日いただいたケーキ、これまで食べた中で一番美味しかったです」


 最後の一言は、囁くようにそっと告げられた。


「今まで見てきたお店のラインナップは、幅広い年齢の方が抵抗なく買えるような親しみやすいものだったので、一瞬目を疑いました」


 子供からお年寄りまで、多くの人に愛されるケーキが、うちの特徴だ。


「小豆田さんのお店で販売されるんですね。納得です」


 少し視線を下げて、一人言を言うように、それでも柔らかな声で言った。


「あっ、すみません、もうすぐ閉店のお時間ですよね。すぐ選びますね」


 壁に掛かっている時計の針は、もう十五分も経過していた。彼女はショーケースの中を見始める。昨日と同じように、曲げた膝に手をついて、中腰になり、髪を耳に掛けて熱心に選び始める。が、思い出したように顔を上げる。


「明日と明後日、定休日でしたっけ」


「はい、お休みとなっております」


「じゃあ明日と明後日は買えないですね……。今日中に食べた方がいいですか?」


「本日中を推奨しております」


 フルーツを使ったものでなければ、翌日翌々日くらいは大丈夫だろう。が、売り物となると、安易なことは言えない。


 少しだけ彼女の顔が、シュンとしたように見えた。


「焼き菓子でしたら、お日持ちしますが」


 彼女の顔が、パァッと華やいだように見えた。


「小豆田さんのオススメはどれですか?」


「えー、どういったものがお好きですか?」


「甘い物は大抵何でも好きなので。小豆田さんのオススメが食べてみたいです」


 お客様がお求めになっているものをお渡しできるのが一番なのだが。


 日持ちして量があるものなら、クッキーがいいだろうか。ケーキを今日含めて三日分買おうとしていたなら、それが一番ちょうどいい気がする。


 クッキーを手に取ろうとして、はたと隣のマドレーヌが目に入る。


 キツネ色の貝殻。


 そのシンプルながらもどこか可憐で品のある姿が、なんとなく彼女と重なった。


「マドレーヌ、でしょうか」


「じゃあ、マドレーヌを三つお願いします」


 レジを打ち、マドレーヌを紙袋に詰めて、彼女に手渡す。


 昨日はそれだけで、彼女との何かがプツリと切れてしまったように感じたけれど。


「ありがとうございました」


「また来ます」


 この繋がりは、もう少しだけ、続く。


 いつまでかはわからないけれど、もう少しだけ。


「お待ちしております。またお越しくださいませ」


 そんな気がした。

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