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第六話 影の暗躍

 数日が経ち、僕の傷はゆっくりと癒えていった。


 魔物との戦いで負った怪我は深刻だったけど、看病のおかげで、なんとか歩ける程度には回復した。しかし、傷はまだ完全には癒えていない。体を動かせばズキズキと鈍い痛みが走る。



 村の空気も変わっているのを感じる。


 人々の目には警戒と不安の色が浮かんでいた。この前の普段見かけない魔物の強襲、そして最近の夜、村付近に不穏な影を見かけるという報告が多くされているらしい。


 こんな時は早く修行を再開させたいが、爺さんには怪我が完治するまではだめだと念を押されている。なので、クリスは爺さんとマンツーマンで修業を毎日している。いつもどこかしら怪我しているので、修行と称して虐待されていないかと疑うほどだ。


(クリスとの差がどんどん開いている気がする……焦るな、俺。)



「アリスも気をつけてね。」


「何をですか?」


「夜に村付近に不穏な魔物らしき影が見られてるらしいんだ。最近の夜、よく外に出ているだろ?だから危ないんじゃないかと思って。」


 ドコっと音が鳴った。ちょうど母さんとアリスの間からだ。母さんの眉間には皺が寄っていて、少し怒っているようにも見える。


(何の音だろう?)


「それは怖いです。お兄様、守ってくださいね。」


 アリスはそう笑顔で言う。その笑顔がどこか幼く、しかし、妙に落ち着いた雰囲気も感じさせる。


(この笑顔を守るためにも、早く怪我を治さなきゃな……)



「その魔物らしきものの影は別として、最近、村長さんが家に来たよね。何かあったの?」


 アリスは母さんに尋ねた。


 母さんは少し言い淀んでから、真剣な表情で続けた。


「実は……村長さんが、最近王都からの貴族に接触されたそうなの。」


「貴族?」


「そう。貴族というだけで名前までは教えられなかったそうだけれど、彼らは私の身柄を求めてきたそうよ。」


 僕は思わず息を呑んだ。


「……母さんの身柄を? それってどういうこと?」


「彼らは≪植物を成長させる魔法≫を求めての行動でしょうね。国に渡すよりも自分の領地で管理したいと思う貴族がいても不思議ではないわ。」


 母さんの言葉の裏には、不吉なものを感じさせる響きがあった。


(つまり……これは偶然じゃないってことか?)


 村の異変と、母さんを狙う貴族たち——


 それらが繋がってるんじゃないか。


「母さん……それ、断ったの?」


「もちろんよ。でも、貴族がこうして動き出した以上、強硬されてもおかしくない。騎士の方からは早く身柄を保護させろと言われたわ。」


 母さんは、淡々と言葉を続ける。


「もし私が突然いなくなったら、あなたとアリスは村を離れなさい。」


「っ……!」


 僕は言葉を失った。


 母さんはもう、最悪の事態を想定している。


「……もう少し一緒にいたかったけれど、そんな貴族に捕まったらあなたたちもタダでは済まない。だから、もう少ししたら、私は国に保護してもらい国民に奉仕します。」


 母さんの声は静かだったけど、その奥には何か決意のようなものが感じられた。


「……それしか方法はないの?」


 僕の声は自然と低くなる。


「今のところ、これが一番穏便な道よ。」


「それは……」


 納得できるはずがない。だけど、母さんの意思は固そうだった。


 アリスは無言で母さんを見つめている。その瞳はまるで何かを見透かしているようだった。


 そして——母さんは静かに僕の肩に手を置いた。


「バレット……ごめんなさい。」


 その言葉は、どこか決別のように聞こえた。





ーーーーー

 夜の帳が村を包み込む頃、アリスは静かに寝台から起き上がった。


 隣の部屋ではバレットが深い眠りについている。彼の安らかな寝息が微かに聞こえ、彼女の動きに気付く気配はない。


 そっと毛布を整え、枕の位置を直すと、彼女は軽く息を吐いた。まだ夜の深い時間。月明かりが窓の端をかすかに照らしている。


 靴を履き、外套を羽織る。足音を忍ばせながら、アリスは家の扉を開いた。


 外は静寂に包まれ、冷えた空気が肌を撫でる。遠くで虫の鳴く声が響き、森の奥からはかすかな風の音が流れてきた。


(今夜も行かなくちゃ……)


 彼女の行き先は村の外れ——人気のない森の奥。


 そこには、彼女だけの“秘密”があった。



 森の深部は昼間とはまるで違う顔を見せていた。


 闇が木々の隙間を埋め、獣の気配すら希薄になるその場所で、アリスはゆっくりと足を止める。


 冷たい地面に手をかざし、魔力を流す。


 淡い青白い光が彼女の足元に浮かび、空気がずっしりと重くなった。まるで夜の闇が彼女の意志を理解し、答えるように。


 枯葉がざわめき、小さな旋風が足元を巻く。風が吹き抜けると同時に、静寂を破るように地面が軋んだ。


「——来なさい。」


 静かに命じる。


 すると、土の下からゆっくりと蠢く影が現れた。


 皮膚は朽ち、肉は失われ、骨と腐った筋繊維だけが残ったもの。それでも、彼女の魔力に呼応し、命じられるままにぎこちなく動き出す。


 その姿はグロテスクで、まるで生ける屍——アンデッドのようだった。


 人や魔物、様々な姿の死体が立ち上がり、その口や背中には新たな死体が背負われている。


 これこそが、最近村で目撃されていた“謎の影”の正体。


 アリスが操る、死者の兵士。



 最初は、彼女自身も恐れた力だった。


 魔女と呼ばれる母でさえ、忌避した力。


 けれど——バレットが傷ついたとき、彼女は理解した。


 利用できるものはすべて利用し、強くならなければならないと。


 バレットは彼女にとって唯一無二の存在だった。


 だからこそ、守りたい。


 そのためには、力が必要だった。


「もし、死んだ魔物を操れるのなら……それは、役に立つのではないかしら?」


 そう考えた時点で、彼女はすでに選択していた。


 森で偶然見つけた魔物の死骸に魔力を流し、≪死者を操る魔法≫を試した。


 結果は、想像以上だった。


 死んだはずの魔物は、ゆっくりと起き上がり、彼女の命令に忠実に従った。


 そして、アリスが最初に命じたのは——


 「他の魔物を狩り、新たな死体を持ってくること。」


 アンデッドは忠実に命令を遂行した。


 毎晩、新たな死体が森の奥へと運ばれ、それと同時に彼女の力は増していく。


 魔物を殺すことで強くなる。


 母から聞いた言葉が、現実のものとなっていた。


 操作する魔物が他の魔物を殺すたびに、確かな成長を実感する。


 彼女は毎日この力を“こっそり”と試し続けた。



 増え続ける死体の山。


 その前に立つアリスの目は、かつての恐怖を忘れたかのように静かだった。

 ツンとする刺激臭にも眉一つ動かない。


「動きなさい。」


 彼女が命じると、新たに加わった死体がゆっくりと起き上がる。


 アリスはその中に、またしても人間の死体があることを確認する。


 しかし、悲しむことはない。


 むしろ、彼女は微かに笑った。


「——≪死体の力を奪う魔法≫。」


 魔法が発動すると、死体は瞬く間に消滅し、代わりに彼女の魔力が僅かにしかし確かに増加した。


 目を閉じ、息を吸う。


 力が満ちていく感覚。


「あら、そろそろ他の死体も替え時ね。」


 手をかざし、さらなる魔法を紡ぐ。


「≪死体の力を奪う魔法≫≪死体に力を与える魔法≫。」


 古くなった死体は土へと還り、新しく作られたばかりの死体たちは、さらに強い力を得てゆく。



「お兄様が心配していたけど……仕方ないよね。」


 アリスはその光景を見送りながら、小さく微笑んだ。


 この魔法は確かに異質。


 けれど——もしバレットが危機に陥ったら?


「……この力があれば、私は兄様を守れる。」


 その思いは、彼女の胸に確かな確信となって刻まれた。


「だから、ごめんなさい。目撃者は消さなくちゃ。どうせ、母を狙う貴族の刺客なのだから死んでも問題ないでしょう?」


 にやりと年に不相応な笑みを浮かべる。


 ——がさり。


 何かが茂みの中で動いた。


 小さな音だったが、確実に“誰か”がそこにいる。


 アリスは、ゆっくりとそちらへ視線を向けた。


 その気配が逃げ出したのは、一瞬後のことだった。


「逃げるの?」


 淡々とした口調のまま、アリスは手を軽く振る。


 その瞬間、闇の中に潜んでいた死者の兵士が、音もなく動き出した。


 逃げる者の背後には、すでに屍の影が忍び寄っていた。


 生前の名残か、乾いた関節がぎこちなく軋む音が静寂に響く。


 必死に逃げる影。


 だが、その足音は不規則に乱れ、恐怖に駆られて転倒する。


 ——ズルリ。


 影の足元に、細い骨の指が這い寄った。


 それが足を掴んだ瞬間——


「——おやすみなさい。」


 アリスの囁きが響いた。

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