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第三十八話 甘い残響と旅立ち


 朝の光がカーテン越しに差し込み、柔らかな金色の輝きを部屋に落とす。


 バレットは静かに目を開けた。


 ぼんやりとした意識の中、体の奥に残る妙な倦怠感を感じる。いつもより重く、そしてどこか満たされたような感覚。それと同時に、昨夜の夢の感触があまりにも生々しく思い出される。


(……夢だったのか? それとも……?)


 無意識に隣へ視線を向ける。しかし、そこに誰かの姿はなかった。


 それでも、シーツの上にはまだ微かに甘い香りが残っている。まるで誰かがそこにいた痕跡のように。


「最近、なんかおかしい……。」


 呟きながら、僕はは頭を振って気を取り直す。妙な胸騒ぎを押し殺し、静かにベッドを降りた。



 食堂へ向かうと、すでにアリスとロザリアが談笑していた。


 二人は楽しげに紅茶を飲みながら、何かを話している。ふわりと漂う茶葉の香りと共に、穏やかな笑い声が部屋に響いていた。しかし、僕が扉を開けた瞬間、その会話はぴたりと止まった。


 一瞬、微妙な沈黙が流れた後、二人は視線を交わし、同時に微笑む。


(……今、何の話をしていたんだ?)


 僕の到着と同時に話を切り替えた。それだけなら些細なことだが、二人の表情には妙な余裕が滲んでいる。まるで、僕には知るべきでない秘密を共有しているような——そんな感覚がした。


「おはようございます、お兄様。」


 アリスが何事もなかったように挨拶する。その笑みはいつも通りに見えるが、どこか含みがあるような気がした。


 ロザリアもゆったりとカップを持ち上げ、涼やかな笑みを浮かべる。


「お目覚めのようですわね、バレット様。よくお休みになれましたか?」


 何気ない言葉のようでいて、僕の胸に何か引っかかるものがある。


「そこそこですかね?」


 曖昧に返しながら席に着くと、二人の間にはまだ何か隠し事を抱えているような雰囲気が残っていた。


(……何かがおかしい。)


 僕は違和感を覚えながらも、それを口にする理由がない。静かに食事を始める。


 そんな僕の様子を見ながら、アリスがふと口を開いた。


「お兄様、最近はよく眠れていますか?」


 スプーンを持つ手が、一瞬だけ止まる。


「……それなりかな。ちょっと不思議な夢を見るせいで眠りが浅い気がするんだ。」


 何気ない問いかけに聞こえる。しかし、その言葉には、僕が気づいていない何かを確かめるような響きがあった。


 アリスの唇がわずかに綻ぶ。


「夜の夢って……とても素敵なものですよね。」


 指先でそっとテーブルをなぞるような仕草をしながら、彼女はゆっくりと呟く。


 ロザリアも静かにカップを置き、柔らかく微笑んだ。


「目が覚めた時に、現実か夢かわからなくなることって、ありませんこと?」


 何気ない言葉。でも、何か試されている気がした。


 背筋に冷たいものが走る。


(昨夜の夢……いや、あれは夢だったのか?)


 ベッドに残る甘い香り、微かに残る指先の感触、身体に残る倦怠感。それらはすべて、ただの夢の名残なのか。


 一瞬、アリスの顔をじっと見つめてしまった。


(……まさか、アリスが? いや、そんなはずはない。)


 彼女がそんなことをするわけがない。僕の大切な妹だ。そんな疑いを抱くこと自体、兄として情けない。


(僕はだめな兄だな……。)


 心の中で自分を叱りつけながら、深く考えることをやめた。


「……かもね。」


 適当な言葉を返すと、アリスは満足そうに微笑んだ。


「ふふ、お兄様がいい夢を見ていたのなら、私も嬉しいです。」


 ロザリアもくすくすと笑いながらカップを傾ける。


 僕は何も言わずにスープを口に運ぶ。


 静かで、穏やかで、それでいて妙に不穏な朝食の時間。


 この違和感の正体を突き止めるべきか、それとも、知らないふりをするべきか。


 僕は、まだ決めかねていた。



 朝食が終わる頃、アリスが唐突に切り出した。


「お兄様、そろそろ冒険者に戻りませんか?」


 バレットは一瞬驚いた顔をする。


「ずっとこの屋敷にいるのも、そろそろ迷惑でしょう?」


 確かに、いつまでもここに甘えるわけにはいかない。


「ロザリア様には感謝しますが、いつまでも甘えているわけにはいかないです。」


 アリスはそう続けた。


「それに……クリスもすっかりこの環境に慣れすぎて、最近は毎日寝坊してるんですよ?」


 それには、僕も苦笑するしかない。


「今もまだ寝ています。」


「確かに、ちょっと良くはないね。」


 ロザリアさんもくすくすと笑う。


 僕は静かに息を吐いた。


「……確かに、そろそろ考え時かもしれないな。」


 アリスは満足げに微笑んだ。




 屋敷の門の前で、アリスとクリスが待っていた。


 僕たちの長い滞在はついに今日で終わりだ。背中には最低限の荷物、心にはほんの少しの寂しさが残る。


「バレット様、またいつでも訪ねてきてくださいね。」


 ロザリアさんがはいつもの優雅な微笑を浮かべながらそう話す。

 そして、ロザリアがそっと近づき、僕だけに聞こえる声で小さな声で囁いた。


「バレット様、旅先でも……薬をちゃんと飲むのですわよ。」


 その言葉に、一瞬息が詰まった。


「……わかっています。本当にありがとうございました。」


 僕が短く答えると、ロザリアは満足そうに微笑み、そのまま後ろへ下がる。

 ロザリアさんから半年分の薬を受け取っている。それに、ロザリアさんはアリスには薬のことを話したようで、アリスの使い魔が定期的に薬を運んでくれることになった。


 アリスは笑顔で頷く。本当にできた妹を持った。


 門を出て歩き出すと、ふいにロザリアの声が響いてきた。


「バレット様、ご存じですか?」


 振り返ると、彼女は柔らかく微笑みながら続けた。


「Aランク冒険者には、公爵家の令嬢と結婚した前例があるそうですよ。」


「……え?」


 思わず足が止まる。


「お兄様、貴族と結婚は大変ですよ。礼儀作法や貴族同士の会合、領地の経営などが必要ですから。」


 アリスが小声で言う。


「ロザリアを見ろ。あの動けなそうな身体。あんなのになっていいのか?」


 クリスが大声で言う。


 振り返りロザリアさんの方を見てみると僕たちの反応を楽しむように、優雅に微笑んでいた。よかったクリスの声は聞こえていなかったみたいだ。



 しかし、動機はともかく冒険者ランクを上げることが一先ずの目標だ。


 少し寄り道をしたけど、僕は英雄になるために、また一歩を踏みしめた。




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