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第三十六話 不穏な朝食


 ようやく服を整え、気を取り直して食堂へ向かう準備を始めた。


 ドアを開けると、すでに食堂にはロザリア、アリス、クリスが揃っていた。


(え? なんでアリスとクリスがここにいるんだ……?)


 昨夜、彼らは宿屋にいたはずだ。だが、当たり前のように席について朝食をとっている。


「おはようございます、お兄様。」


 アリスがにこやかに声をかける。しかし、その瞳にはどこか探るような光が宿っていた。


「お、おう……。」


「おう、バレット。随分ゆっくりしてたじゃねぇか?」


 クリスが何も考えてなさそうな顔で呟く。どうやら何も気づいていないようだ。


 一方で、ロザリアは微笑みながら紅茶を口にし、何も言わない。ただ、視線が僕の方をちらりと見ているだけだった。


 席につくと、アリスが少し身を乗り出してくる。


「お兄様、昨夜は……お楽しみでしたね?」


「っ!? こ、こらアリス、何を——」


 言い終わる前に、アリスの指が僕の腕を掴んだ。そして——。


「いったっ!!」


 強く抓られた。


「……どうかしました?」


 アリスはあくまで穏やかな笑みを浮かべている。しかし、その力の強さが彼女の内心を物語っていた。


「な、なんでもない……。」


 クリスは特に気にすることもなく、肉を頬張っている。


「バレット様、気持ちよく眠れましたか?」


 ロザリアが穏やかに問いかける。


「ええ、まあ……。」


 何か裏の意味を感じながらも、適当に答えた。


「それはよかったですわ。」


 彼女は満足そうに微笑む。

 アリスの抓りが強くなった。


 その後も、アリスの視線が鋭く突き刺さる中、僕は朝食を口に運んだ。何か言い訳を考えねばならないが、どう言葉を紡ぐべきか悩んでいる間にもアリスの小さな攻撃は続き、僕の腕には赤い痕が多く残ることになった。



 朝食が終わり、使用人たちが食器を片付け始める頃、アリスはなおも僕の腕を軽く抓み続けていた。


「アリス……もういいだろ?」


「そうですか? お兄様が“反省”しているなら、やめてあげてもいいですけど?」


 そう言いながら、彼女の笑みは微妙に鋭さを帯びていた。


(くそ、これ以上やられたら腕に痣が残る……。)


「さ、バレット様。今日はどのように過ごされるのですか?」


 ロザリアが優雅にティーカップを傾けながら尋ねる。その口調は変わらず穏やかだが、僕の反応を楽しんでいるように見えた。


「そうだな……。」


 屋敷の異変が完全に解決したとはいえ、まだ落ち着かない。何かが終わったようでいて、新たな問題が始まりそうな気がする。


「クリス、今日はどうする?」


「ん? 俺はちょっと剣の手入れでもしようかと思ってたが……。」


 クリスは剣の柄を軽く叩きながら、僕を見た。


「お前も手合わせするか?」


「……そうだなやるか。」

 いい気分転換になる。


「アリスさん、少しお話しませんか?」


 ロザリアさんがアリスに提案する。その瞳には、明らかに何か言いたげな光が宿っていた。


「……そうですわ。私もちょうど話すべきだと考えていました。」


 アリスが微笑み頷いた。





 ロザリアとアリスは、食堂を出て屋敷の広いテラスへと歩いた。朝の風が優しく二人の髪を揺らす。だが、その優雅な光景の裏で、二人の間には張り詰めた緊張が漂っていた。


「それで、ロザリア様。何をお話しされたいのでしょう?」


 アリスが先に口を開く。その声音は穏やかだったが、冷ややかな探るような視線がロザリアへと向けられていた。彼女の微笑みの奥には、決して消えることのない毒が滲んでいる。


 ロザリアは軽く目を伏せ、紅茶のカップをゆっくりと回す。その所作は上品で優雅だったが、その目の奥にはアリスと同じく冷酷な計算が渦巻いていた。


「どうやら、私は今までバレット様を愛してまではいなかったようです。」


 その言葉に、アリスの眉がかすかに動く。だが、それ以上驚く様子もない。むしろ、期待していたかのように、彼女は興味深そうにロザリアの言葉の続きを待った。


「……へぇ?」


 ロザリアはカップをテーブルに戻し、微笑みながらアリスを見つめた。その笑みは慈愛に満ちたものではなく、むしろどこか挑発的だった。


「バレット様は私にとって、確かに好きになるに値するお方でした。ですが、それは今まで多く愛した男の中の一人にすぎません。彼らは皆、私の手のひらの上で転がる哀れな駒でした。ですが——」


 ロザリアの微笑みが、わずかに歪む。


「今は違います。」


 アリスの表情がわずかに引き締まる。


「今は……?」


 ロザリアはふっと微笑むと、遠くを見つめた。その瞳はまるで囚われの姫を装うような純真さを装っていたが、彼女の本性を知る者が見れば、それが偽りであることは明らかだった。


「彼を失いたくないと思ったのです。彼の存在が、私にとって本当に大切なものだと気づいてしまったのですわ。」


 その言葉には、彼女のこれまでの態度とは違う、確かな執着が込められていた。単なる道具としてではなく、心からバレットを手に入れたいと願う女の顔。


 アリスはじっとロザリアの瞳を見つめる。その双眸には、自分と同じく、狂気じみた所有欲が宿っていることを理解した。


「それは……あなた自身の本心なのですね?」


「ええ、そうです。」


 ロザリアの微笑みは、これまでの冷ややかで計算されたものではなく、どこか恐ろしいまでに確信に満ちていた。


「それを知ることが出来たので、今回の襲撃は水に流して差し上げましょう。貴方の仕業ですわよね?」


「はい。」


 隠すことなく、笑顔でアリスは答えた。その表情には一切の罪悪感がなかった。それどころか、ロザリアが自分を責めるつもりなど微塵もないことを見越しているかのような、余裕の笑みすら浮かべている。


「私もロザリア様に感謝すべきことがあります。」


「なんでしょうか?」


「私、独占欲が強いことが分かりました。昨夜、何度暴れてあなたを殺そうとしたかわかりません。」


「私を消しますか?」


 ロザリアの声音はどこまでも優雅だったが、その瞳には暗い光が宿っていた。まるで、自分の運命を甘んじて受け入れるようにすら見えるが、実際には違う。彼女は負けるつもりはなかった。


「いえ、それはお兄様が悲しみます。ですが、これ以上女の影が増えるのは許せません。協力して、頂けますね?」


 アリスの微笑みは鋭さを増した。その笑顔は天使のように純粋だったが、悪魔のように狡猾でもあった。


「勿論です。」


「それと、今夜は私が頂きますね?」


「言っておきますが、初めてはそれなりに痛いですわよ。協力してあげましょうか?」


「結構です。」


 アリが微笑み、ロザリアもまた、微笑む。その唇の端がわずかに上がり、まるでアリスと共犯関係を結ぶことを楽しむかのようだった。


 二人の間には、男を手に入れるための冷酷な協定が結ばれた。


 おそらく、バレットがこの事実を知ることはない。


 だが、彼が彼女たちの“愛”にどのように飲み込まれていくか——それはまだ、誰にも分からなかった。



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