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第三十二話 仕組まれた陰謀

 ロザリアの屋敷での生活は、バレットにとって新たな日常となりつつあった。訓練と食事の合間、ロザリアは何かと理由をつけてバレットの傍にいた。朝の陽が差し込むテラスで、二人は並んで座っていた。ロザリアの手が自然にバレットの腕に触れ、その感触にバレットは小さく身をこわばらせる。


「バレット様、こんな穏やかな朝を共にできることが、私には何よりの幸せですわ。」


 ロザリアは優雅に微笑みながら、バレットの手をそっと包み込んだ。その手は驚くほど柔らかく、しっとりとしていた。バレットは一瞬、戸惑いながらも、強く拒むことはできなかった。


「そんな、大げさですよ。」


「ふふっ、大げさではありませんわ。あなたがそばにいてくださるだけで、私の心は満たされるのです。」


 ロザリアの声はどこか甘く、誘うような響きを帯びていた。バレットは顔を背けようとしたが、ロザリアがそっと彼の頬に手を添える。


「バレット様、もっと私を頼ってくださいな。」


「……いや、でも……。」


 バレットの言葉を遮るように、ロザリアは微笑んだ。そして、彼の額にそっと唇を寄せる。温かな感触が一瞬バレットを包み込む。


「ふふ、可愛い反応ですわ。」


 ロザリアは愛おしそうにバレットを見つめる。その瞳の奥に何が潜んでいるのか、バレットには分からなかった。ただ、自分が彼女にとって特別な存在であるかのような錯覚に陥る。


「私のそばにいれば、もっと強くなれますわよ。」


 バレットは、その言葉の意味を深く考えず、ただロザリアの優しい微笑みに安心してしまっていた。


 庭の訓練場で、バレットとクリスは向かい合っていた。騎士たちが倒れているため、今日はクリスが僕の訓練相手となった。朝の空気は澄んでいて、静寂の中に剣がぶつかり合う音だけが響く。


「兄貴、いくぜ!」


 クリスの一撃が鋭く振り下ろされる。バレットは咄嗟に剣を構え、それを受け止めた。衝撃が腕に伝わるが、以前ほどの重さは感じない。


(速い!)


 衝撃が腕に伝わるが、僕はそれを耐え、クリスの剣を押し返す。


「おっ、いい感じじゃねえか!」


 クリスは軽く距離を取ると、興味深そうに僕を見つめる。


「でも、まだまだ!」


 次の瞬間、クリスはさらに速く動いた。彼女の足さばきが鋭く、風を切る音が聞こえる。僕はその動きを捉え、ギリギリでかわす。


「なかなかやるな、バレット!」


 僕はすぐに反撃に転じる。剣を低く構え、クリスの隙を狙って突きを放つ。しかし——


「甘い!」


 クリスは見事に僕の攻撃を避け、剣の腹で僕の腕を叩いた。


「ぐっ……!」


「惜しいな。でも、前よりは確実に動きが鋭くなってるぜ!」


 クリスの言葉に、僕は小さく息をついた。確かに以前よりも速く、力強く動けている。だが、まだクリスには敵わない。


「もう一本、いくか?」


「……当然。」


 僕は剣を構え直した。もっと強くなるために。


(強くならなきゃいけない——それが、僕の目指す道だ。)


 クリスの剣が、再び僕へと襲いかかる。僕はそれに応じるように剣を振るい、再び激しい鍔迫り合いが始まった——。


 しかし、この戦いの中で僕はふと気づく。以前と比べて、自分の反応速度が確実に上がっていることを。剣を振るう腕に力がみなぎっていることを。


「バレット、なんでそんなに強くなったんだ?」


 鍔迫り合いの最中、クリスが真剣な表情で問いかけてきた。


「……なんでだろう。」


 僕はそう言って誤魔化した。本当は、ロザリアから与えられた薬のおかげだと分かっていた。でも、それをクリスに言うわけにはいかなかった。


(この薬は、誰にでも飲ませていいものじゃない。もし失敗すれば、死ぬ危険すらある——。)


 僕はクリスにこの薬のことを話すわけにはいかない。だからこそ、ただ強くなるために戦い続けるしかなかった。


「よし、もう一本だ!」


「……負けねえぞ、クリス!」


 僕とクリスは再び剣を構え、訓練を続ける。



 夜の静寂が広がる屋敷の廊下を、アリスは静かに歩いていた。バレットとクリスが訓練を終え、ロザリアと共に過ごしている今、彼女にはやるべきことがあった。


(このままでは、お兄様はロザリアの手の中に落ちてしまう……。)


 アリスの心には焦りがあった。ロザリアの手に握られた薬の存在が、バレットの運命を左右している。彼を守るためには、ロザリアを排除するしかなかった。


 しかし、彼女自身が直接手を下すわけにはいかない。貴族や王族が持つ未知の魔道具や魔法により、自らの行動が露見する危険があった。


(ならば、彼女を恨む者たちの手で——。)


 アリスは使い魔を呼び出した。彼女の肩に黒いカラスが留まる。


「周辺貴族のもとに向かいなさい。」


 そう命令し、≪死者に力を与える魔法≫を使い昔に奪った力をカラスに授ける。


「たまには褒美が欲しいものだ。」


「ロザリアを殺すことが出来たのならば、好きにして構わない。」


「いい報酬だ。」


 カラスは分裂し、各地の貴族のもとへと飛び立っていく。


(この騎士たちが全滅したという情報を、彼らがどう解釈するか——それは彼ら次第。)


 そして、貴族たちはそれぞれの館で、黒いカラスが窓を叩く音に驚きながら、アリスからの伝言を受け取ることになる。


「今なら、ロザリア・フォン・エルムハイドを討つことが可能です。」


 淡々とした言葉が、闇の中に響く。貴族たちはこの言葉にどう反応するのか——アリスはそれを予測していた。


 貴族たちの間ではロザリアの評判は決して良いものではなかった。彼女の冷徹な手腕、権力を維持するための冷酷な決断——多くの者が彼女の存在を疎ましく思っていた。だが、これまで誰も彼女に手を出すことができなかったのは、彼女の背後にある強力な家名と、騎士の存在があるためだった。


(でも、今なら違う。騎士団がいない今、彼女は無防備に等しい。)


 貴族たちはざわめき始めた。使い魔を通じて届く彼らの反応の断片を感じながら、アリスは冷静に次の手を考えていた。


「それは本当か?」


「お前は何者だ?」


 使い魔の影越しに、いくつかの声が届く。アリスは冷静に答えた。


「ただ、あの女に恨みを持つ者です。選択はあなた方にお任せします。」


 使い魔の声を通じてそう告げると、貴族たちの間に更なる動揺が走った。


 ロザリアを討てば、彼女の影響力は一気に低下する。貴族たちは自らの立場を考え、それぞれの計算を始める。


(そう、あなたたちは動くしかないのです。)


 アリスは貴族たちに対し、あくまで情報提供者として振る舞いながら、巧みに彼らの感情を煽っていた。ロザリアの存在が排除されることで、バレットを自由にする道が開ける。


 アリスの青い瞳に冷たい光が宿る。彼女の目的はただ一つ、ロザリアを死者として支配すること。そうすれば、ロザリアの薬もバレットの未来も、すべて彼女の掌中に収まる。


(今度こそ、私は間違えない。)


 その決意を胸に、アリスは使い魔を操りながら、屋敷の闇に溶け込んでいった。

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