第二十話 逃げた影と戦闘の開始
僕は肩の傷を押さえながら、ゆっくりと息を整えた。矢は深くは刺さっていなかったものの、じわじわと血が滲んでいる。思った以上に痛みがあり、戦闘に支障が出るかもしれない。
「お兄様、じっとしていてください。」
アリスが冷静な声で言うと、すぐに傷の処置を始めた。彼女は手際よく傷口を消毒し、包帯を巻いていく。その間、一度も動揺した様子はない。
「回復薬を飲みましょう。あと、念のため解毒薬も。」
アリスはそう言いながら、小瓶を僕に差し出した。僕は受け取り、一気に飲み干す。体の内側から温かさが広がるが、完全に痛みが引くわけではなかった。
体内の魔力を使い、傷が治療されていく。傷は塞がるが既になくした血は回復しない。少しふらふらとする。でも、そんなこと考えていられない。
「くそ……逃がしたのは痛いな。」
斥候の一体が逃げたということは、ゴブリンの群れに僕たちの存在が知られたということ。もしかすると、もう明日の戦いに影響が出るかもしれない。
「何があった?」
その時、クリスが寝袋から飛び起き、僕の肩の包帯を見て顔をしかめた。
「……バレット、怪我したのか?」
「ああ、ゴブリンの斥候を倒していたら、一体だけ逃げた。その時、矢を受けたんだ。」
「……マジかよ。」
クリスの目が険しくなる。だが、なぜか彼女は次にアリスを睨みつけた。
「なあアリス、お前がいて結果になったのか?」
「……寝ていた方に言われたくありませんね。」
アリスは涼しげな表情で問い返す。クリスはしばらく黙った後、ため息をついた。
何か納得がいかないような表情をしながらも、クリスはそれ以上追及しなかった。
◆
カインたちの野営地に向かい、簡潔に状況を説明した。
「は? 逃がした?」
カインは呆れたように眉をひそめた。
「情けねぇな。お前が足引っ張ってんじゃねえのか?」
予想通りの反応だった。
「おい、気づきもしなかったやつがよく言えるな。」
クリスが鋭く言い返すと、カインはムッとした表情を浮かべた。
「は? 俺たちは見張りを交代でやってたんだよ。そっちの気味の悪いスライムがいなきゃ、お前らだって気づかなかったんじゃねえの?」
「それはどうかしら。」
アリスが微笑みながら言う。カインは一瞬、アリスの言葉に引っかかるような表情を見せたが、それ以上は何も言わなかった。
「ま、いい。とにかく、これでゴブリン共に俺たちの居場所が知られちまったわけだ。もう待ってる暇はねぇな。」
「そうですね。移動を早めるべきでしょう。」
アリスが静かに言った。
「……ってことは、夜明けを待たずに行動開始か?」
クリスが少し驚いたように尋ねる。
「そうだ。ゴブリンが対策を取る前に、こちらから仕掛けた方がいい。」
僕が決断すると、クリスは頷いた。
「まあ、その方がいいな。先に動けば主導権を握れる。」
「ちっ……こんな急な出発、気に食わねえが……仕方ねえ。」
カインも渋々同意した。
「じゃあ、準備しよう。」
僕たちはすぐに装備を整え、ゴブリンが支配する廃村へと向けて動き出した。
霧のかかる森を抜けた先、ついにその姿が見えた——ゴブリンたちが占拠する廃村。
◆
村の様子を慎重に観察すると、事前情報とはまるで違う危険な状況が見えてきた。
「……数が多すぎるな。」
「はい、事前情報とは大きく乖離しています。」
僕のつぶやきにアリスが同意する。ギルドで話に聞いていた規模とは段違いだ。
村のあちこちに見張りのゴブリンが立っており、通常のゴブリンだけでなく、明らかに上位種と見られる個体が複数確認できる。彼らは通常のゴブリンとは違い、体つきが明らかに大きく、装備もより洗練されている。武器も粗末な骨の短剣ではなく、まともな鉄製の剣を携えている。僕らの存在が斥候にばれたせいなのか常に敵は警戒している。
さらに、村の広場には人間が捕らえられているのが見えた。労働力として使われているのか、それとも——。
「アリス、スライムゾンビを使って詳しく調べられるか?」
「はい。」
アリスが小さく頷くと、彼女の手元で小さく蠢いていたスライムゾンビがするりと地面に溶け込むように移動し、村の中へと忍び込んでいった。
「……やはり、警戒が非常に厳重ですね。」
しばらくして、アリスがそう報告する。
「上位種が複数いて、さらに……黒い個体がいます。」
「黒?」
「はい。普通のゴブリンとは異なり、身体が黒色です。魔力量もかなり多く見えました。」
わからないことが多い。単純に突っ込むだけでは危険すぎる……。
「一度戦い方を決めよう。」
僕がそう切り出すと、クリスとアリスが頷き、カインたちもこちらを見た。
「僕の考えでは、まずは少しずつ数を減らしていくのが最善だと思う。」
「どういうことだ?」
カインが不機嫌そうに眉をひそめる。
「斥候や見張りを確実に排除し、こちらの存在を悟らせない。できる限り、罠や暗殺を利用して敵の数を減らしていけば、最終的な戦闘の負担が軽くなる。」
僕が説明すると、カインは鼻で笑った。
「は? ゴブリンなんて、一気に潰せば終わるだろうが。」
「それは——」
「お前ら、まさかビビッてんのか?」
カインはニヤリと笑う。
「コソコソしてるうちに、ゴブリンの奴らに何かされるかもしれねぇだろ? さっさと突っ込んでぶっ倒せば、そんな手間いらねぇって。」
「……俺は一応、バレットに賛成する。」
クリスが口を開く。
「だけど、カインの言うことも間違ってはいない。慎重に行くのはいいが、悠長に構えてると向こうも対策を取るかもしれないしな。」
どちらの選択が正解なのかは、なのだろうか。
「ぐずぐずしてる間に敵が動いたらどうすんだよ!」
カインは苛立ちを隠さずに言うと、仲間たちを振り返った。
「おい、やるぞ! 」
「おい、待て!」
僕が止める間もなく、カインたちは村へ向かって駆け出してしまった。
「多く倒した分の報酬は頂くからな!!」
迫るカインたちを見たゴブリンの見張りが即座に叫び声を上げる。
「ギギャァァッ!!!」
その瞬間、村中のゴブリンが一斉に動き出し、戦闘態勢に入った。
「最悪だ……」
「もう後戻りはできませんね。」
アリスがため息をつきながら言う。
「やるしかねぇな!」
クリスが剣を構え、前線へと向かう。
「行こう!」
僕たちも覚悟を決め、戦場へと駆け出した。
戦場は混沌としていた。
カインたちは互いに声を掛け合い、連携を駆使しながらゴブリンの群れを削っていた。彼らの動きは洗練されており、単独で戦うよりもはるかに効率的だった。しかし、ゴブリンの数が圧倒的に多く、加えて弓矢を持ったゴブリンの狙撃によってじわじわと追い詰められていく。
「くそっ……数が多すぎる!」
カインの仲間の一人が叫ぶ。剣で何体ものゴブリンを斬り伏せても、次から次へと押し寄せてくる。しかも、弓を構えたゴブリンが遠方から矢を放ち、確実にカインたちの動きを制限していた。
「チッ……!」
矢がカインの肩を掠める。
着実にカインたちは追い詰められていた。
一方、クリスの戦闘力は圧倒的だった。
「どけ。」
そう言うと、彼女の剣が一閃し、複数のゴブリンが一瞬で斬り伏せられた。時折飛んでくるゴブリンチーフの魔法の火の玉も難なく切り裂く。
スライムゾンビもまた、ゴブリンの群れを飲み込み、一瞬で消していく。
そして、弓で狙うゴブリンたちはスライムゾンビが着実に狩っていく。そして、アリスは捕まってた人間たちを次々と解放し、回復薬で治療する。
そして、僕もまた成長している。
「……行くぞ。」
通常のゴブリンは難なく倒す。クリスと違い一撃必殺ではないが、剣を素早く振るい、機動力、武器を持つ腕を斬り、最後に首を狩る。
ある程度倒すと、ゴブリンの上位種が僕の目の前に立ちふさがる。
筋肉が隆起した一回り大きなゴブリンだ。普通に戦えば苦戦は免れない。
僕はゴブリンに接近する。
手のひらをゴブリンに向け、≪身体を発光させる魔法≫を使う。手のひらのみから眩い光が発する。
「グギァっ!?」
閃光が放たれると、ゴブリンたちは視界を奪われ、怯んだ。僕はその隙を突き、素早く剣を振るい、ゴブリンを討伐した。
「大丈夫ですか?」
僕は捕まっていた人たちをアリスを手伝い、捕まっていた人々をゴブリンの手から守るために戦った。
多くのゴブリンを倒した。ゴブリンの弓兵も全てスライムゾンビが倒してくれたらしい。
そして、ゴブリンチーフはすでにクリスによって倒されていた。
危険だったカインたちもゴブリンが減り、徐々に楽になっていったようだ。
そんな中、一匹の異質なゴブリンが目についた。黒いゴブリンだ。
リーダーが倒され散り散りに逃げる中、そのゴブリンは動かない。
黒々とした肌に、不気味な赤い呪印が刻まれている。体は小さい。しかし、その存在感は、今までのどのゴブリンとも違っていた。
「……なんだ、あいつ。」
カインもそのおかしさに気づいたらしく、声を上げる。
「ただのゴブリンだろ? こんなの——」
カインの仲間がそう言いかけた瞬間、黒ゴブリンが凄まじい速度で詰め寄った。
「っ……速い!」
襲われたカインの仲間の一人は、慌てて盾を構えた。
——ドゴォッ!!
鈍い音が響いた。
黒ゴブリンの一撃は、盾ごと仲間の身体を砕き、そのまま頭部を粉々にした。
「っ……!?」
血飛沫が舞い、倒れた仲間の姿に、カインの表情から余裕が完全に消えた——。