第十五話 初めての依頼
森の奥深く、木々の間を抜けながら、僕たちは慎重に進んでいた。
「もうそろそろ、魔物が現れる頃か?」
クリスが剣の柄を握りながら、周囲を見渡す。依頼によると、この森には小型の魔物が頻繁に出現し、近隣の農地を荒らしているらしい。
「でも、こうして冒険者が定期的に討伐してれば、魔物はもっと減りそうなもんだけどな。」
クリスの疑問に、僕もうなずいた。
「確かに。」
しかし、その言葉にアリスは小さく微笑み、軽く首を振った。
「それは違いますよ、お兄様。」
「え?」
アリスは小枝を指で弾きながら、淡々と説明を始めた。
「魔物というのは、もともとこの世界の“魔素”が凝縮して生まれる存在なんです。」
「魔素?」
「はい。空気中には魔力の源となる魔素が漂っています。人間も魔素を吸収して魔力を生み出しますが、魔物はもっと直接的に魔素を凝縮して体が作られ産まれるのです。」
「ってことは……いくら倒しても、また生まれるってことか?」
「その通りです。」
アリスは頷く。
「魔素が濃い場所では強力な魔物が生まれやすくなります。逆に、人間が多い場所は魔素の消費量が多いので、比較的魔物は発生しにくいんです。だから、町や村付近ではあまり発生せず、森に多く魔物が生まれるのですよ。」
「……じゃあ、討伐しても意味がないのか?」
僕の疑問にアリスは笑顔のまま首を横に振る。
「意味はありますよ。魔物が増えすぎると、生まれる個体もどんどん強くなっていきます。そうなると手がつけられなくなるので、定期的に間引くことが大切なのです。」
「なるほど……」
クリスは渋い顔をしながらも、納得した様子だった。
「増えすぎないようにするために討伐するってわけか。」
「ええ。お母様からそう教わりました。」
アリスの言葉に、僕は母の顔を思い浮かべた。
今頃どこかの都市についていることだろうか。元気にしているだろうか。
「とにかく、目の前の仕事に集中しよう。」
そう言いながら、森の奥へと進む。
◆
「来たぞ!」
クリスが叫ぶと同時に、前方の茂みからゴブリンの群れが飛び出した。
緑色の皮膚に、獣のようにぎらついた目。彼らは人間ほどの知性はないが、簡単な連携をとることができる魔物だ。個々の力はさほど脅威ではないが、数が揃えば厄介な相手となる。
「……六体か。」
クリスがすばやく数を確認する。その瞬間、ゴブリンのうち一体が奇声を上げた。
「まずいな、連携を取ろうとしてるぞ。」
ゴブリンは群れで動き、囲むようにこちらの陣形を崩そうとする。さらに、彼らは単なる力押しではなく、罠や奇襲を仕掛けることもある。
その時だった。
「——左後方から奇襲が来ます。弓です。」
アリスが冷静に警告を発する。
次の瞬間、茂みから別のゴブリンが飛び出した。しかし、それを察知していたスライムゾンビがすばやく反応し、飛びかかるように覆いかぶさった。
「ぎぃぃっ!!?」
ゴブリンの断末魔が響く。スライムゾンビの体内に取り込まれたゴブリンは、じわじわと溶かされながら消えていく。
「すごいな……。」
僕はゾクッとするような感覚を覚えた。
「《精神を落ち着かせる魔法》クリス、分担しよう。俺はあの浮いた一体を相手にする。」
無理をしても仕方がない。僕の実力はわかっている。
「わかった。俺とスライムゾンビで残りを片付ける。」
クリスは即座に駆け出した。
◆
「おらっ!」
クリスの剣が風を切り、ゴブリンの首を狙う。
ゴブリンの一体が短剣を振り下ろしたが、クリスは軽やかに回避し、そのまま剣を突き刺した。
「遅い。」
低く呟くと、剣を横に振るい、ゴブリンの体を地面に転がした。
一方、スライムゾンビも戦いを続けている。
その動きはまるで意志を持つようだった。ゴブリンが飛びかかろうとする前に動きを封じ、体内に取り込む。
「ぎゃぁぁぁっ!」
悲鳴が響くが、スライムゾンビは容赦なく魔物を処理していく。
「バレット、無理するなよ!」
クリスがこちらを気にかけるが、僕はすでに目の前のゴブリンに集中していた。
◆
ゴブリンが短剣を振り上げる。
「《精神を落ち着かせる魔法》!」
瞬時に冷静さが戻る。
「……今だ!」
僕は剣を構え、踏み込む。
ゴブリンの攻撃を紙一重でかわし、隙を見て一撃を繰り出す。
「はぁぁっ!」
ゴブリンが怯んだ瞬間、さらに一太刀。
数秒の攻防の末、ゴブリンが地面に崩れ落ちた。
「……よし。」
肩で息をしながら、剣を下ろす。
◆
「終わったな。」
クリスが剣を収めながら、こちらを見た。
「バレット、宿で待っててもいいんだぞ?」
「……え?」
「危なかったじゃねえか。お前、無理してんじゃねえか?」
クリスはじっと僕を見つめる。
「俺が稼いでやるから、無理すんなよ。」
「……。」
思わず黙ってしまう。
クリスは普段は軽口ばかりだが、こういう時は真剣だ。
「……いや、大丈夫。僕も戦える。」
そう答えると、クリスは少しだけ笑った。
「ま、そう言うと思ったよ。」
◆
「さて、次は証拠の回収ですね。」
アリスが歩み寄る。
「ゴブリンの討伐証明として、耳を切り取って持ち帰らなければなりません。」
「……やっぱり、そういうのあるのか。」
僕は少し躊躇う。だが、仕事として割り切るしかない。
「まあ、証拠がなきゃ報酬はもらえないからな。」
クリスが淡々とゴブリンの耳を切り取る。
「それと、死体の処理もしなきゃいないよな。」
「それについては任せてください。」
アリスが言うと、スライムゾンビがゆっくりと動き出す。
「……まさか。」
僕が見守る中、スライムゾンビはゴブリンの死体に触れると、瞬く間に溶かし始めた。
「おぉ、こりゃ便利だな。」
クリスが驚く。
「これなら後始末も完璧ですね♪」
アリスがにこりと微笑んだ。
こうして、僕たちは初めての討伐を終え、町へと戻ることになった——。