第十一話 道中の試練
母とアトムとの別れを終え、僕たちは村を後にした。朝焼けの下、家々が小さくなっていくのを見つめながら、僕の胸の中には妙な虚無感が広がっていた。
母さんはもういない。
アリスとクリスがそばにいる。それでも、母がいなくなった現実は重かった。
「バレット、歩くの遅いぞ?」
クリスが少し前を歩きながら振り返る。その顔は明るく、村を離れた悲しさは微塵も見せていない。
「悪い。ずっと暮らしていた村なんだちょっとは感傷もあるだろ?」
クリスは剣を背負いながら、理解できないとばかりに肩をすくめる。こいつ人の心はあるのか?彼は相変わらず体力が有り余っているのか、歩きながらも軽く素振りをしていた。
「まあ、旅は始まったばかりだからですから。ゆっくり行きましょう。」
そうアリスが締めた。
◆
道中は穏やかだった。森の道を抜け、丘を越えながら、僕たちは順調に進んでいく。
「……あんまり魔物に遭遇しないな。」
クリスがぼそっと呟いた。
確かに、村の周囲にはもっと魔物がいるはずだった。襲われることを警戒していたが、ここまで何もない。
「不思議ですね?」
アリスが何気なく言う。けれど、その目はどこか楽しげだった。
「つまんねー……。」
クリスはそう口にした。戦闘を求めているみたいだ。
◆
その夜、僕たちは森の中で野営をすることにした。
焚き火の炎が揺らめき、木々の影を不気味に踊らせる。パチパチと薪が爆ぜる音だけが響く静かな夜だった。
「ちょっとだけ手合わせしてみるか?」
クリスが剣の手入れをしながら、僕にそう提案した。
「え……今?」
僕は少し戸惑った。旅の疲れもあるし、今は休む時間のはずだ。でも、クリスの目は本気だった。
「そろそろ、バレットがどのくらい戦えるのか知っておきたいんだよ。これから先、戦いになることもあるだろうしな。」
その言葉には確かに一理あった。僕は剣を使えるわけでもなく、魔法もまだまだ未熟だ。けれど、今の自分がどこまでやれるのか試しておくのは悪くない。
「……わかった。でも、手加減してくれよ?」
僕がそう言うと、クリスはニヤリと笑った。
「考えとくよ。」
いや、絶対手加減しない気だ。
◆
アリスが近くの切り株に腰掛け、僕たちの戦いを見守る。焚き火の明かりが届く範囲で、僕とクリスは向かい合った。
クリスがゆっくりと剣を構える。
「じゃあ、いくぜ——」
言い終わると同時に、クリスが踏み込んできた。
速い。
僕は慌てて横に跳んで回避する。けれど、クリスはすぐに間合いを詰めてきた。
「甘いっ!」
鈍い衝撃が腕に走る。木剣は僕の防御なんて全く影響しない、僕の体勢が崩れた。そのまま倒れ込みそうになったが、なんとか踏みとどまる。
「防御ばっかりじゃ勝てねえぞ!」
クリスは攻撃の手を緩めない。
焦った。このままでは一方的にやられる。
(落ち着け……冷静になれ。)
そうだ、僕には魔法がある。
「《精神を落ち着かせる魔法》!」
僕の体に温かい光が広がる。冷静さが戻る。
「ほう……それでどうする?」
クリスの動きは止まらない。
しかし、僕はようやくまともに戦える状態になった。冷静に動きを読み、彼の攻撃を最小限の動きで避ける。
「いいじゃねえか!」
クリスが楽しそうに笑う。
僕はまだ攻撃に転じられない。でも、避け続けるうちに、彼の動きのパターンが少しずつ見えてきた。
(……ここだ!)
クリスが右に踏み込む瞬間、僕は左に回り込んで距離を取る。そのまま木剣を振るう。
「おっ!?」
クリスは驚いた顔をしたが、すぐに受け流す。
そして——
「悪くねぇ……でも、まだまだだな!」
再び一瞬で間合いを詰め、僕の木剣を弾き飛ばした。
「ぐっ……!」
次の瞬間、クリスの木剣が僕の肩に軽く当たる。
「俺の勝ちだな。」
くそ……やっぱり強い。
◆
僕が肩をさすりながらため息をつくと、クリスが笑いながら肩を叩いた。
「でも、意外とやるじゃねえか。魔法と動きを組み合わせれば、そこそこ戦えそうだな。」
「……まぁ、ありがとう。」
正直、勝てるとは思っていなかったけど、ここまで戦えたのは少し自信になった。
「でも、もっと鍛えないとだな。」
クリスがにやりと笑う。
「……そうだな。」
僕も剣を拾いながら、小さく笑った。
そのやり取りを見ていたアリスが、ふわりと笑みを浮かべる。
「お兄様、クリスさん、お疲れ様です。」
そう言って、僕たちのために水袋を差し出してくれた。
「ありがとう、アリス。」
水を飲み、息を整える。
旅はまだ始まったばかり。
でも、少しずつ強くなれるかもしれない。そんな希望が胸の奥に灯るのを感じながら、僕たちは焚き火を囲み、しばし休息を取るのだった。
◆
夜の静寂が森を包み込む。焚き火の炎が揺らめき、木々の影を長く伸ばしていた。僕たちは野営の準備を終え、交代で見張りをすることに決めた。
「夜の監視か……俺が最初にやろうか?」クリスが剣を軽く肩に乗せながら言う。
「私がやりますよ。」
アリスがそう言って小さく手を上げる。いつもの無邪気な笑顔を浮かべているが、その口元には微かな企みの色が滲んでいた。
「アリス? 夜は危ないぞ。」僕が心配そうに声をかけると、彼女はくすくすと笑いながら首を横に振る。
「大丈夫です、お兄様。私には頼もしい相棒がいますから。」
そう言うと、アリスは背後の影を指さした。その瞬間、ぬるりとした音を立てて、何かが闇の中から這い出してきた。
「な、なんだこれ……?」
それはスライムのような形状をしていた。だが、ただのスライムではない。その半透明な体の中には、無数の骨片が漂い、時折ゆらゆらと動いている。僅かに発光するそれは、異様な威圧感を放っていた。
「これが私の“スライムゾンビ”です。」アリスが得意げに紹介する。
「は? いや、待て……ゾンビ!?」
「まあ、死体に力を与えて動かしてるだけですから♪」
軽く言うなよ……。
僕が言葉を失っていると、クリスは腕を組みながらスライムゾンビを観察していた。
「……なんか強そうだな。」
「そうでしょう?」アリスが得意げに胸を張る。「私が《死者に力を与える魔法》で強化したので、見張りくらいは余裕です。夜目も効くし、周囲に動くものがあればすぐに察知してくれます。」
「おお、それなら楽できるな!」クリスが感心したように頷く。
「ふふ、頼れる子なんですよ♪」
僕は苦笑しながらも、確かに頼もしいと思った。これなら夜中に奇襲を受けてもすぐに察知できる。
◆
夜、僕たちは眠りについた。アリスのスライムゾンビが見張ってくれるということで、僕たちは少し気を緩めていた。
それからしばらくして——。
静寂を破るように、遠くから何かが近づく音が聞こえた。
「ん……?」
焚き火のそばで横になっていた僕は、微かな違和感を覚えて目を開ける。
ガサガサ……ガサッ……。
森の奥で、何かが動いている。
僕は身を起こし、剣を手に取った。すると、スライムゾンビがぬるりと動き、アリスが静かに目を開ける。
「……来ましたね。」
その言葉に、僕の背筋が凍る。
次の瞬間——
「ギャハハハ! なあ、兄弟、こいつらガキばっかだぜ!」
不意に、粗野な笑い声が響いた。
木々の間から、暗い影がいくつも姿を現す。汚れた革鎧をまとい、剣や斧を手にした男たち盗賊だ。
僕は歯を食いしばった。
「ガキども、おとなしく捕まれや。抵抗するなら……まあ、わかるよな?」
リーダー格らしき男がニヤリと笑う。その背後には10人ほどの手下が控えていた。
「いいじゃねぇか!」
クリスが剣を抜く。
そして、アリスは静かに指示を出す。
一瞬だった。
スライムの体が勢いよく弾け、その粘液が盗賊の一人に襲いかかった。次の瞬間、男の体が溶けるように崩れた。
(これで、また魔力が増える……♪)
だが、バレットの前ではそんな本性を見せるわけにはいかない。すぐに顔を青ざめさせ、震える声を作り出す。
「こ、怖い……! お兄様、なんとかしてください……!」
バレットはそれを見て、ぎこちなく剣を握り直した。
「大丈夫だ、アリス! 俺が……俺が守るから!」
「何をしてる! そいつを斬れ!」
リーダーが叫ぶが、その瞬間——
「おらああああああ!!」
クリスが猛然と駆け出し、盗賊の一人を剣で吹き飛ばした。
「なっ……こいつ、強い……!?」
盗賊たちは怯んだ。
「バレット! お前もやれるか!?」
クリスが叫ぶ。僕は剣を構えながら、大きく息を吸い込んだ。
「やるしかないだろ!」
盗賊との戦いが始まった——。
僕は剣を構え、一人の盗賊と対峙する。
相手はナイフを構えながらゆっくりと間合いを詰めてきた。
(落ち着け……冷静に……!)
そう自分に言い聞かせながら、相手の動きを見極める。
盗賊が一気に踏み込んできた。僕はとっさに剣を振るうが、相手は素早くそれを避け、ナイフで僕の腕を狙ってきた。
「っ……!」
紙一重でかわし、後退する。
「へへ、素人か?」
盗賊がニヤリと笑う。
だが、その瞬間、僕は思い出した。
(……僕には、魔法がある。)
僕は間合いを詰めると魔力を込めた。
「《体を発光させる魔法》!!」
次の瞬間、僕の体が眩い光を放つ。
「ぐぁっ!?目が、目がぁ!!」
盗賊が光に目を焼かれ、怯んだ隙に——
「はぁぁっ!」
僕は全力で剣を振るった。
鋭い一閃が、盗賊の肩を切り裂いた。
「ぐあっ!」
相手はよろめき、ナイフを取り落とす。僕はすかさずもう一撃を叩き込み、盗賊は地面に倒れ込んだ。
「やった……!」
僕は息を切らしながら振り返る。
だが——
戦いは既に終わっていた。
スライムが数体の盗賊を溶かし、クリスは残りをあっさりと斬り伏せていた。
僕が一人の敵に苦戦していた間に、全てが終わっていたのだ。
「クリスそんな強かったのか。」
僕が呆然と呟くと、クリスはばつが悪そうに頬を掻いた。
「悪いな。魔装っつって魔力を体と剣にまとわせる技なんだが、手合わせに使うにはまだ制御ができないんだ。」
そう言って、クリスは剣を鞘に収める。
こうして、僕たちの最初の戦いは終わった。