第十話 旅立ちの朝
朝日が村の大地を金色に染め上げる。空は澄み渡り、雲ひとつない快晴だった。
それは、まるで「良き門出」を祝福するような天候だった。
だが、僕の心はどこまでも重かった。
家の前には、荷物をまとめた母さんと、静かに佇むアトム爺さんの姿があった。爺さんはいつものように寡黙だったが、その背中には、どこか哀愁が漂っていた。
「……やっぱり、行っちゃうんだね。」
僕は母さんを見つめながら呟いた。
母さんは微笑みを浮かべながら、そっと僕の頬に手を添える。
「バレット、あなたなら大丈夫よ。私がいなくても、ちゃんとやっていけるわ。」
「でも……。」
言葉が詰まる。
昨日の夜、何度も考えた。
何か、母さんを引き留める方法はないかと。
でも、母さんの決意は固く、それを覆すだけの力が僕にはなかった。
悔しさと無力感が胸を締め付ける。
「あなたにはアリスがいるじゃない。」
母さんの手が離れ、代わりにアリスがそっと僕の腕を握った。
「お兄様、私がいます。」
母さんの言葉をなぞるように、アリスは優しく微笑んだ。
僕はその言葉に少しだけ安心したが、母さんが何か言いたげにアリスを見つめていることには気づかなかった。
◆
「アリス。」
母さんが静かに娘の名を呼んだ。
「少し、二人で話しましょうか。」
アリスはほんの一瞬だけ驚いたような顔をしたが、すぐに微笑みを作り、頷いた。
「はい。」
◆
家の裏手、小さな庭園の隅。
母と娘は静かに向かい合った。
「……あなた、本当は私がいなくなることが嬉しいのでしょう?」
母の問いかけに、アリスは一瞬目を見開く。
しかし、すぐに口元に笑みを浮かべた。
「お母様、そんなこと……。」
「嘘をつかないで。」
母の声が鋭くなる。
その鋭さに、アリスは肩をすくめた。
そして、ため息をつきながら、静かに笑った。
「……さすが、お母様です。全部、お見通しなのですね。」
「あなたのことは、母親としてずっと見てきたもの。」
母の瞳には優しさと厳しさが宿っていた。
「私がいなくなれば、あなたは自由に動ける。そう思っているのでしょう?」
「ええ、まあ。」
アリスは無邪気な子供のように笑う。
「でも、お母様もそれを理解した上で、私にお兄様を託すのでしょう?」
「……ええ。」
母は静かに頷く。
「あなたの本性がどうであれ、私はあなたの力とバレットへの思いだけは信じている。だから、私はあなたを信じるわ。」
「ふふ、なんだか、妙な気分です。」
アリスは目を細めた。
「お母様を追い出したのに、そのお母様から信じられているなんて。」
母は小さく息を吐いた。
「……アリス。昔はごめんなさい。魔法だけでなくあなた個人をもっと見てあげるべきだった。それに今はあなたも大事な家族よ。今更あなたを大事に思っているなんて言っても信じてもらえないかもしれないけど、その気持ちは本当よ。」
そう語ると、優しくアリスを抱きしめた。
アリスの表情が、一瞬だけ曇る。
しかし、それもすぐに消え、
「お母様。お兄様は任せてください。」
アリスはにこりと微笑んだ。
◆
「俺も行くぞ!」
突然、クリスの声が響いた。
僕とアリス、そして母さんが一斉にクリスを見る。
「えっ、お前どこに?」
「決まってるだろ、お前とアリスの行く先だよ!」
クリスは胸を張って宣言した。
「俺は、もっと強くなりてぇんだ! アトム爺さんのとこで鍛えられたけど、もっと広い世界で戦ってみたい!」
クリスの目は本気だった。
それを見て、アトム爺さんが近づき、静かにクリスの肩を叩いた。
「……お前はもう、立派な戦士だ。」
その言葉に、クリスの目が見開かれる。
「爺さん……。」
「だが、広い世界にはまだまだ強者がいる。慢心するな。お前がどこまで行けるのか……見届けさせてもらうぞ。」
クリスは力強く頷き、拳を握りしめた。
◆
そして、旅立ちの時。
母さんとアトム爺さんは王都へ向かい、僕とアリス、そしてクリスは近くの大きな町へ行くことになった。
村を離れ、新たな旅路が始まる。
それぞれの未来に向かって——。