「選ぶのはだれ?」
お腹の子の、父親にしてもらえないかな
心安らぐせせらぎが聞こえるいつものデート場所、日当たりの良い公園にて。
ある日、彼からこう切り出された。
彼とは、もう2カ月もおつき合いしている。
それはどちらかと言うと、ステディな関係に限りなく近いと言って良いと、思う。
銀縁の眼鏡の奥の目はいつになく真剣で、わたしが好きなやや痩せた実直そうなその頬は、ほんの少し上気してさえいる。
わたしはしばらく、そんな彼の目を何も言わずにじっと見つめ返していた。
すぐにお返事はむつかしいわね。
わたしは、良識のあるむすめらしく、つつましやかにそっと彼に返事をする。
本当は、彼でもいいかな、と思うんだけど。
すぐにイエスと答えてしまうのは、やっぱり初めてこどもを産むおんなとしては、はしたないことですもの。
わたしは出来るだけ彼を傷つけないように、精いっぱいかわいらしい笑顔をつくって、ちょっと考えさせて下さい、と答えた。
今の顔、ちゃんと魅力的に見えたかしら。
ちらっと彼の目を見上げて確認したけど、そこにはお約束通りの軽い失望と、ほんのちょっぴりの希望が映し出されていたので、わたしは安心した。
じゃあまた近いうちにね、とささやいて、わたしは静かに背を向ける。
丁度、側を通りすがった若い男性も、遊んでいたやんちゃそうな少年も、あわててわたしの為に道をあけてくれた。
周囲には、昨日までとはちょっと違う、暖かい日差しが降り注いでいた。
行き交う街のあちこちに、今日はおなかの大きな女性の姿が目立つ。
だってそろそろ春ですものね。
今日の様な小春日和には、のんびりとひなたぼっこを兼ねて、散歩をするのが一番良い。
生まれてくる、こどもの為に。
幸せそうに暖かい光線を全身に浴びる、まろやかな姿態の数々が、とても美しい。
わたしは、街路樹の梢の間から差し込む光をまぶしく見上げた。
と。後ろから誰かに声をかけられた。
よう。かわいこちゃん。俺、その子の父親になってもいーぜ。
どっかでお茶でもしにいかなーい?
見覚えの無い、軽薄そうな顔。
何のセンスも感じられない、派手なだけの衣装をひけらかす様にして、身をくねらせている。
ばかね。そんな誘いかたで、ほいほいついていくおんながいるものですか。
私は間に合ってます、とだけ答えて、やんわりと彼を振りきった。
後ろで、ちぇ、と舌打ちする声がする。でも、すぐにまた、他のひとに誘い掛ける声も。
この時期には、ああいうのが増えて、ほんとうに困っちゃう。
わたしの部屋は、希望ヶ丘団地の朝日が差し込む側、11階にある。
淡い緑と黄色でコーディネートされた、居心地のいいお洒落な部屋。ここでわたしは、もうすぐこどもを産む。
わたしは楽な姿勢にくつろいで、ゆっくりと考えをめぐらせた。
父親は……誰にしようか。
今日プロポーズしてくれた彼は、もちろん候補だけど。
スポーツジムでいつも一緒になる彼は、たくましくて頼りになりそうだし。
弁論サークルで優等生の彼は、知的だし。
お作法教室の先生は、とても物腰が優雅だし。
そうそう。最近散歩の途中、ガラス越しにいつも目が合う青い服の彼も、気になる。
ああ、だめだめ。ここは、慎重に、慎重に……
今日も散歩の途中で、また青い服の彼と目が合った。
でも、今日はガラスのこちら側で、はにかむ様に微笑っている。
あの。きみ、良かったら名前を教えて頂けませんか。
と言って、まず自分の名前を名乗る。
声のかけ方も、スマートね。
思った通り感じのいい青年だったので、わたしも礼儀正しく挨拶を返して、お互いの自己紹介を簡単にした。
まあ、余所の国からいらしたの。
わたしは目を見張って、彼の顔を見返した。
そういえば、どことなくエキゾチックな雰囲気。
わたしとそう年は違わなそうだけど、健康そうな体には力が漲っていて、広いひたいには知性が感じられる。
本当のエリートに違いないわ。
そして何よりも、わたしを見つめるまっすぐで情熱的な瞳。
初めて君を見かけてから、ずっと気になっていて。
上気した頬が、桜色に染まっている。
わたしは賢明な女性ならば誰もがするように、頭の中で計算をした。
他の彼氏は取り合えず保険、ということにして……こどもを産む日までは、まだしばらくある……今から交遊を深めても、間に合うわよ、ね。
旅人のハンサムな彼の唯一の欠点は、いつまでも一緒にはいられないってこと。
彼はすぐまた、余所の国へ旅立ってしまった。
ま、仕方がないわ、これが僕の宿命だって言ってたもの。
もともと、男のひとに子育ての協力なんて期待してもいないし。
いいの。わたしはこどもにとって、最高のものを手に入れたから。
一級の頭脳と体格、優れた運動神経、真摯な気性……優秀な遺伝子。
わたしがこどもにしてあげられる、最高の贈り物。
……あとは、無事に孵るだけよ。ね、マイ・ベイビー。
わたしは、薄いペパーミントグリーンの揺りかごに収まった、愛しいたまご達に頬ずりをした。
ああ、いい父親を選べて本当に良かった。おんなにとってこれ以上の幸せは無いわよね……
ブルーグリーンの泡が、静かに虹色の光をたたえた遥かな水面へ登って行く。
もうすぐ、子供達の季節がやってくる……
※
「やったぁー、お父さん、やっぱりこっちのオスとペアリングしたね!」
「当たり前だ、こいつは高かったんだぞ。さ、今度は別の水槽だ」
青い服のハンサムなお魚は、今日もどこかでかわいいメスを口説いている。
-fin-