まず初めに語るべき事
先に断ろう、これは僕の人生と恋愛にまつわる逸話だ。逸話を自分で綴るというのもおかしな話なのだが。
僕は元来飲み込みはいいが、何かを極めたことはない。つまり中途半端という言葉が最も僕には相応しいわけである。
そんな僕は美学を重んじてきた。これは僕なりの美学であり、他人には理解できないのかもしれない、しかし僕には1つの大きな柱として揺るぎなくそこに存在した。
この美学に沿う限りは僕は正しく生きられるし、正しく死ねる。そう思っている。
僕の美学は憧れと妬み、善行と愚行、この二つの観点から練られている。
人は憧れもするし妬みもする、しかしそれを混同しがちだ、しかし明らかに違う。
人は憧れたものは迷いもなく手に入れようとするだろうし、妬んだものは躊躇いながら、しばしば褒められない手段を講じて手に入れようとすると僕は思う。
だから妬むようなものはそもそも僕には手に入らない、それ故に妬むのであって、仮に手に入るのであればそれに憧れているだろう。それならば何かを妬んだ時点でその何かは手に入れるに値しないものなのだ、と考えてきた。
また、僕は正しく生きたいと常々思っていた。人は生まれながらに善を知っていると思っている。
しかしそれは時に欲と拮抗する。そんなときに客観的に見る力、また正しいと確信したことは主観的にのみ見て貫く力。
これらは人間の選択を後悔を残さずに行う手助けをしてくれる。
自己紹介はここまでにして、なにをわざわざ指を立ててまで書こうとしているのか、それを紹介しよう。
人がいくら頑丈な建物を建てたとしても、いつかはそれが崩壊する時が来る。
どれだけ厳しい圧政を敷いても、反乱は起こる。むしろ、圧政の厳しさは反乱の凄まじさに比例するようにも思われる。
そのようにどれほど揺るがないであろう美学もいつかは揺らいでしまうものなのであり、その揺らぎは揺るぎないものほど大きくなる。
僕が指を立てる理由は僕の美学が揺らいだところにある。その揺らぎとは端的に言えば恋愛である。




