3.このままでは不都合があるのですか?
何かを納得したような見た目では中学生にも見える謎の存在が、井上氏を除く我々の方に語り掛けてきた。
「お主等には詳しく話す必要がありそうじゃな」
「お願いします」
佐藤が腰を低くして返答する。
俺にもなんとなく分かった。このトーガを着た中学生にしか思えない者が神かそれに近い存在であろう事が。
井上氏や佐藤の奴が遜った対応を取るのも納得だ。
もし俺だけ独りで相対していたら確実に怒らせるような事を言っていただろう。俺に喋らせなかった二人には感謝するしかあるまい。
会話は基本的に井上氏に任せておくしかないだろう。
「ここにおらぬもう一人が召喚されたのじゃ。お主等はそれに巻き込まれたのじゃろうな。向こうの世界はこの世界より……そうじゃな、位置エネルギーが低いと言えば分かるかのう」
「なるほど。そのエネルギーの差分を力として持つ必要があるのですね」
「召喚の対象だった者は向こうの世界の管理者に力を与えられておるじゃろう。しかし対象外のお主等はそのまま放っておかれたのじゃろうな」
「このままでは不都合があるのですか?」
「例えばじゃが向こうの世界に現れた瞬間に世界が崩壊する規模の災害が起こるかもしれんの。もちろんお主等は生き残ったりせんだろう」
「それは私達が向こうの世界の者達より優れているという事でしょうか」
「いや、そうではないのう。位置エネルギーと言うたじゃろ。そうじゃな、百階建てのマンションの三十二階と三十三階に住む者の違いと言えば分かるかのう」
「なるほど。一個の生命としての格の差はそんなに無いのでしょう。ですが一階分の位置エネルギーの差はあるという事ですか」
「そうじゃな。天井に瞬間的に小さな穴を開けたと考えるとお主達にも分かりやすいかの。その穴から下の階に落ちたのがお主等三人ともう一人と考えれば良い」
なんか急に俗な例えになっているような気がする。だが分かりやすい。
そのマンションの最上階に居を構えられる者達ならセレブと言っても良いのだろう。格が違うのも納得だ。
だが中低層に住む者達の一階分の差などあってなきが如きと言う事か。
それでも一階層三メートル近くを落ちれば怪我をするのも仕方ないのかもしれない。下の階にいる者の上に落ちたら相手だって怪我をするだろう。
あの高校生を落とす穴を開けるつもりだったが、その穴が予想外に広くなってしまったという事だろうか。
もしくは座標の特定が出来ずに大きな穴を開けたか、初めからこちらの都合を考えずに余分な者が落ちて来ても構わないと考えていたのか。
「貴方の力で私達を元の世界に還らせる事は出来ないのでしょうか」
「先の例えで言えば儂は三十三階の管理人じゃ。三十二階の管理人に頼まねばならぬ。じゃが上の階に一瞬とは言え穴を開けるのを見逃している以上は何らかの事情があるのじゃろうな」
「……つまり手は貸せないと仰るのでしょうか」
「もちろん文句は言うがの。お主等に分かりやすく言うとマンション全体の管理人に報告せねばなるまいしの。だから即時に対応するのは難しいと言う事じゃよ」
神、いや管理人か。どうやら一人ではないらしい。例えだけ聞くと人間のような縦社会にも思えるが。
下の階の管理人に物申すには全体の管理人を通さなければならないと言う事か。そしてそれには時間が掛かると。
そして上の階に戻るのは簡単な事ではないのだ。それこそ月に物を送り込むくらいの困難さが待っているのだろう。
その神らしき者は井上氏に言葉を続ける。
「その例えで言うとじゃが、お主の友人達は窓から別のマンションに連れ出されたと考えても良かろうの」
「分かりやすいですね。しかし、だとすると私達の場合は時間の流れは同じと考えて良いのでしょうか。失踪七年での死亡扱いはご勘弁願いたいのですが」
「それは明確に答える事は出来ん。儂の手を使うのならば早くてもお主等の感覚で数年程度は掛かるじゃろう。数十年先と言う事もありえるからのう」
その言葉にギクッとする。
確かに元の世界に還れる可能性はゼロではないと言っていた。だがそれが数十年先では意味が無い。
五十年も掛かれば俺は八十代だ。寿命で亡くなっている可能性すらある。
それに妻や子はどうなる? 愛する妻や可愛い盛りの娘と二度と会えないなんて認められない。妻は次の子を身篭っている。いきなり俺が居なくなったら彼女等の生活だって大変だろう。
しかも巻き添えを喰らったのが原因だと? 召喚と言うなら喚び出した者が居る筈だ。そいつに責任を取らせるしかない。
「なるほど貴方の手を借りればそれくらいの時間が掛かると。私達が勝手に還る手段を探して使用するのは問題ないのですね」
井上氏のその言葉に神の如き管理人はニヤリとしたように見えた。
「ほんにお主は理解が早いのう。そうじゃ、お主等が向こうの世界で何をしても構わぬ。勝手に儂の管理する世界から人攫いをするような連中じゃからな。さすがに世界を滅ぼすような真似を見過ごしには出来んがの」
どうやらこの世界の管理人としては許せないようだ。その言葉には少し怒りのようなものが感じられる。
言ってしまえば勝手に備品を持ち去られるような事になるのか。その備品に思い入れが無くとも許し難いのかもしれない。
その備品、例えばハサミで相手が指先を怪我をする程度なら構わないと言いたいのだろう。そのハサミが使っている相手の心臓を貫くようだと困るのだろうが。
「それで与えられる力とはどのようなものでしょうか」
「そうじゃな。最低限必要とされる力は与えようかの。会話を出来るようにするための『言語理解』、対象の情報を知るための『鑑定』、荷物を気にせずに済むように『アイテムボックス』。お主の友人が言うところの三大チートとやらは持たせようかの。そして個々に何らかの力を与えようと思うのじゃが……どのようなものが良いかのう」
「……そうですね。少し私達の間で相談させていただいても構いませんか。もちろん相談内容は聞かれていても構いません」
井上氏はそう言うと我々の方に向き直る。
本当に会話の殆どを彼に任せていたような気がする。
「すみません。何か私だけが喋っていたようで。勝手に三人の代表のような態度を取っていた事を謝罪します」
「いえいえ構いません。どうやら貴方が一番状況を理解出来ているようですし」
佐藤が井上氏に返しているがその通りだ。
俺は未だにチンプンカンプンだし、佐藤もおおよその状況は把握出来ているようだが詳細は分かっていないのだろう。
例え意味不明な言動があったとしても状況を理解している者が一人居るだけでも相当の助けになっている筈だ。
「佐藤さんはある程度は事態を把握しているようですが」
「アニメやラノベも普通に見ますしね。ウェブ小説閲覧なんて趣味ですから」
「鈴木さんは……全く付いてこれてないようですが」
「こいつはそっち方面に全く興味を持ってないですからね」
悪かったな。何か除け者のようですごく悔しいぞ。
そりゃ中高生の頃はアニメを見たりラノベと言われるような本を読んでいたが、もう十年以上昔の事になるんだ。最近のその辺りの事情なんて知らないぞ。
だからと言ってそういう趣味の者を馬鹿にする気もないけどな。
スポーツ中継観戦とアニメ鑑賞にどれだけの差があると言うのだ。釣りに行くのと夏冬に開催される祭典とやらに参加するのにどんな違いがあると言うのだ。
コンピュータゲームなんて今でもやっている。
それにガンプラなんて四十年近く前からあるのだ。
たぶんアラフィフ世代以下でマンガやアニメを馬鹿にする者は少ない筈だ。馬鹿にしたり幼稚と見るのは、それらになんらかの劣等感を持った者だけだろう。
ディズニー映画をわざわざ銭を払って観に行きながら、アニメを馬鹿にするなんて意味が分からないと思うぞ。
「まずは各々の呼び名を変えませんか?」
井上氏の言葉に首をかしげる。
呼び名を変える? それに何の意味があるのだ。
だが佐藤の奴は少し何かを考えてから返答していた。
「それは名前を……真名を隠すということですか」
「向こうの世界に魔法なんてものがあるかは分かりませんが、本名を知られて良い事なんて無いでしょう」
「そうじゃな、確かに向こうの世界に魔法は存在しているのう。そもそもお主等は召喚魔法に巻き込まれたのじゃしな。儂が与えようとしているのも魔法のようなものじゃからな」
「ではやはり名を隠したほうが良さそうですね」
横から神様のような存在、いやもう今後は管理人と呼ぼう、が口を差し挟んで来た。
魔法だって?
向こうの世界と言うのはホグワーツの学校のような世界なのか。
映画で観た事のある中世ファンタジーのような世界だとでも言うのか。