64.とある男の独白
「はっ、はっ、はっ……」
薄暗い森の中を、行く当てもなく走り続ける。こんな人気のない場所をいつ襲われるか分からず不安に襲われたまま、そんなことよりももっと恐ろしいモノからただひたすら逃げ続ける。
「はーっ、はーっ、はーっ……!」
一体どのくらいの時間逃げ続けたか分からない。足は固まり、息は切れ、めまいもそろそろきつくなってくる。でもあの化け物を振り切るためにはまだ足りない、まだ全然足りなすぎる……!
「ぜえっ、はあっ、なんっ、で、こん、な……っ!」
分からない、分からない、分からない……! 何で俺がこんな事になってんのか、今までこんなきついことになったこともなく、順調に毎日を過ごしていたはずなのに――!
俺は3年ほど前に旅行先で崖から転落して、気が付けばここに飛ばされていた。飛ばされる前に不老不死と不可視のインベントリとやらを誰かからもらったのと、自分の名前がミヒャエル=ユンカーという事だけははっきりと覚えていたんだけど……それ以外は本当に何が何やらって感じだった。
未だにどこか現実感がないのを脇に置いといて、取り敢えず衣食住を確保しようとしたもののどうにも言葉が通じない。俺の頭がおかしくなったのか、それとも連中の使う言葉がそもそも違うのか分からないものの、どっちにしてもこれじゃ食い扶持どころか行動ひとつとれやしない。
そんな中同じ境遇らしき連中と合流して色々聞いてみた結果、ここはどうやら死後に飛ばされる世界らしい。ってことは、俺はもう死んでるってことだと妙に納得がいったのは今でも覚えてる。
それにしても神様とやらは言葉ひとつ満足によこせないのかと、全く言葉が通じないのを思い出してむかっ腹が立った。で、それは合流した連中も同じようで、連中は俺と会うずっと前に食い扶持を自分でどうにかする術を身に付けていた。
と言っても言葉も常識も通用しない以上、まともな方法じゃない。そんなわけでこの日から俺は連中と共に盗賊稼業に精を出すようになったのだった。
幸いというか何というか、神様とやらは言葉はよこさなかったが身体能力はよこしたようで、前世よりも体が軽くよく動くようになっていた。おかげで護衛付きの馬車でも余裕で襲えるようになっていて、1年もすればもう食い扶持に困ることはなくなっていた。
とは言え同じ場所で何度もやっていれば目を付けられるし、毎日のようにやっていれば結局誰も道を通らなくなる。どっちも今の俺たちには大した問題でもないが、めんどくさいことには変わりがない。
そんなわけで場所も時間も適度にばらけてやるのが俺たちのポリシーだった。で、そうしているだけあって俺たちの戦果はまさに負けなし。金はともかく現物を直で手に入れられるのは理想的と言ってもよかった。
そんな生活を続けてさらに2年ほど経った昨日。いつものように稼ぎに出ていると、この世界に来てから今まで見たことのない乗り物が俺たちの罠が設置してある道路を通りがかった。
「おい、アレ……馬車に見えるか?」
「見えるわけねえだろ、それどころかたまに通る自動車紛いの乗り物とも違う。ありゃどう見てもキャンピングカーだ」
「つうかアレスピード早くねえか? せっかく苦労して仕掛けたバリケードがぶっ壊れたりしねえだろうな?」
「大丈夫だろう、一応前世の自動車でも足止め出来る程度には頑丈な造りにしてあるからな。流石に戦車やら作業車やら来られたらかなわねえが……」
……ああ、そうだ。どうも仲間にいる罠師がとんでもない凝り性で、どんな車が来ようが絶対に足止めするって意気込んでたっけ。今の罠だって本人的にはまるで納得してないらしいが、それでも役には立っている。
そうこうしているうちに、キャンピングカーは俺たちの目論み通り道のど真ん中で止まった。全員それぞれの得物を抜いて車を取り囲むと、運転席……いや、助手席か? から銀髪の女が降りてきた。
腰に剣らしきものをぶら下げてるが……まさかやる気か? にしてもとんでもない上玉だ……たまにこういうのがあるからやめられない。
「おい、盗り尽くすぞ。へへへ、久々に楽しめそうだぜ……」
「住むにも食うにも困らなそうだし一石二鳥ってとこか?」
なんて会話をしていると。
「○○○○○○○○○○。○○○○○、○○○○○○○○?」
「×××。×××××××××、×××××××××××××」
よく分からない言葉でひと言ずつ会話をしてる。気が付けばもう一方のドアからも男がひとり出てきた。手に持ってるのは……斧? それでやる気か?
すると、女が突然。
「あなたたち、今ドイツ語喋ってたわね? ってことは全員特別転生者ってことでいいのかしら?」
「!?」
あろうことか女の方がいきなり英語で話しかけてきた。まさかこいつ、いやこいつら、俺たちと同じ前世から来たのか……!?
「……答えないか。まあちょっと確認したかっただけだからいいんだけど。しかしまさか盗賊になる人たちもいるなんてね……特別転生者同士仲良くしたかったけど、しょうがないからここで全員死んでもらうわ」
「……はあ? 舐めんなこのクソアマがアアアアアア!!!!!!!」
前世から来ただの英語喋れるだの関係ない! 今すぐここでこのクソ生意気な女を黙らせれば俺らの仕事は終わる! と、全員考えることは同じなのか一瞬出遅れた。くっそ、いいとこは取らせねえよ!!
……そう思っていたんだけど――
「……は?」
――先走った連中は、次の瞬間全員肩の上に乗っかってるものを地面に落としていた。それはもう見事なまでに音もなく、一瞬の迷いもなく。
「知ってる? 不老不死ってね、老いたり病気にかかったりして死ぬことがないだけで物理的な損傷では普通に死ぬのよ」
「ぐあああああああ!!! 腕が、俺の左腕が――」
「××××××。……××××××××××××××××××××××××」
「○○○○○○○○」
「×××××××××××××××××××」
向こうでは男もその斧で仲間の首をがっつり落としている。……ここに至って俺の頭はようやく状況を理解出来た。
「う……うわあああああああああ!!!!???」
何だよ、何なんだよこいつら!! 俺たちだって、殺しの時は何かしら感情が入るものなのに、何でこいつら淡々と作業みたいに人を殺せるんだよ!!!
「あ、おいどこ行くんだコラ!!」
「うるせえええ!! こんなん付き合ってられるか、そんなにやりたきゃてめえらだけでやってろや!!!」
……そこから先は、何も覚えていない。ただひたすら森の中を逃げて、逃げて、逃げて、逃げて。息が上がっても足が千切れそうになっても、とにかく殺されまいと、連中の意識の外へ離れることしか考えていなかった。
唯一の食い扶持を失った俺がこの世界で食えなくなったこと、それでもなお死にそうなほどの空腹に襲われつつ死ぬことすら出来ない地獄にハマることになったのを、この時の俺は知る由もなかったのだ。
「……ひとり逃げたわね。追いかけた方がいいかしら」
「いや、流石にやめとこう。あの様子を鑑みるに二度と盗賊はやらないだろうし、逃げた先にろくな道もなさそうだし時間がもったいない」
「そうね、それがいいわね……それにしてもこの剣やっぱり使いやすくて最高ね」
言いつつエリナさんは首の骨を折った最後のひとりに止めを刺し、剣に付着した血や脂を振り落とした。撥油脂の効果のおかげで、切れ味も落ちないわ汚れもあっさり落ちるわでとても使いやすそうだ。
それはいいんだけど。
「エリナさん、結構躊躇なく殺ったね……俺、正直なところちょっとだけ抵抗あったんだけど、いくら盗賊相手とは言え特別転生者だったみたいだし」
「ああ、戦闘系のスキルで上級がひとつでもある場合、その辺の罪悪感というか抵抗感は薄れてくるみたいね。実際私自身、盗賊は人間じゃないから積極的に殺していいと本気で思ってるし……まあだからこそ、トーゴさんの抵抗感もしょうがないと言えばしょうがないかなと」
冒険者ギルドに入ってるとかそういうレベルの話じゃなくなってる気がするんですがそれは。その背中も私が守るから安心してと言わんばかりで、俺の嫁がどんどんカッコ可愛くなってる……!
「さて、と。バリケードをどかして先を急ぎましょう」
「そうだね。あ、そう言えばエリナさん、冒険者ギルドの方で盗賊討伐の依頼受けてなかったっけ? 何か証拠になるようなものを持っていかなくていいの?」
「体か装備品の一部を持っていけばいいらしいけど……武器にしようか、体の一部は腐ったりしたら嫌だし。包む布は死体から調達しましょう」
言いつつエリナさんは、証拠品の回収を始めた。しかし死体の一部か……う、想像しただけで気持ち悪い。それにしても条件はあれど持ち物から所有者を割り出すことが出来るなんて、魔道具っていうのは本当に便利だよな……
「さてと、回収完了。バリケードはどう?」
「ああ、こっちもどかし終わったよ。それじゃ先を急ごうか」
「うん!」
……俺たちの放浪の旅は、邪魔を排除しつつまだ続いていく。
言語を習得せず、身一つで放り出された特別転生者の末路は杉山村か今回の盗賊か……まあそんなもんです。それにしてもエリナさん躊躇なさすぎワロタ。
次回更新は03/17の予定です!