128.大臣閣下は暗躍する
「それでアンネ、今回の件でエスタリス――いえ、エスタリス軍部ははどのような行動に出るおつもりなのです?」
「軍部はあくまで連邦に属する軍部だ、どのような行動も何も、エスタリスの行く先に従うしかない――と言いたいところだが、実のところ連邦がそんな状態だと聞かされて手をこまねいているという選択肢は我々にはない。
ここだけの話だがな……我が軍にはそう言った事態に対処するためのマニュアルというものがあるのだ。出来たのはエスタリスが連邦になってからの話だが」
「……エスタリス公国が存在していた時には、なかったマニュアルですか」
「ああ、私はその頃の軍部は知らないが……軍学校でも講義で取り上げないからな。しかし上官の話はよく聞かされたものだ」
エスタリス連邦は、かつてエスタリス公国という……マジェリアと同じ、君主制国家だった。それが連邦制になったのはクーデターによるものという、ありがちと言えばありがちな経緯によるものなのだが――
このクーデターには、ふたつ普通と違う点がある。
ひとつは、王室が処刑などされずに国外で今も生活している点。
もうひとつはクーデター主体が軍部ではなく、一部公国民にそそのかされた近衛団であった点だ。
もっとも王室が処刑されなかったのは、最初はされるはずだったものを軍部がギリギリのところで国外に脱出させたというのが真相だが、そのエピソードからも分かる通り軍部は一貫して公国派であり、その関係上連邦国家になってから国からの扱いが相当に悪化していたのだった。
「解体されなかったのは、そそのかした公国民やそそのかされた近衛団に、軍に明るい者がいなかったからで……だからこそ先鋭化の名目で大幅な人員削減がなされたわけだが、それでもそれだけが我々にとっては僥倖だった。
今思えば、そそのかした公国民というのはアルブランの息がかかった連中だったんだろう。その証拠も出た以上、我々エスタリス軍部はやっと反撃に出られるというわけだ。後は証拠と共に私が暗号を使って動員すればそれで足る」
「動員までに大体どの程度時間がかかるものなのです?」
「正常に伝わってさえいれば、明日の夜明け前までには全て終わっているはずだ。……マジェリアには迷惑をかけたな」
「いえ、報告から読み解かれるエスタリスの状況を鑑みるに、我々としてもエスタリスには公国であっていただきたいですから」
「……かつてのエスタリス=マジェリアのようにか?」
「そこまでは申しませんが」
そもそもベアトリクスの身分でそこまで言及しては、すわ侵略かと変な勘繰りをされかねない。ただ、エスタリス=マジェリア連合公国――つまりエスタリスとマジェリアがひとつの国家だった頃は、今よりもはるかに平和だったという話は彼女も聞いていた。だからこそ、それはそれで少しだけ興味はあるものの……という感じだった。
「いずれにしても、すぐに行動を起こさせてもらう。今回は本当に助かった、ベアト。それではこれで失礼させてもらう」
「せめてお茶でも……という状況ではございませんものね」
「ああ、すまないな。お茶はまたの機会に頂こう。それでは」
「ええ」
別れ際に内務大臣の愛称を口にして、大臣室を後にするエスタリスの駐在武官。その後しばらくしてベアトリクスは大臣席に戻ると、魔道具を鳴らし再びエンマを呼び出す。
「失礼します。ニャカシュ=エンマ、入ります」
「ご苦労様です。ヒンターマイヤー駐在武官のお見送りは済んだのですね」
「滞りなく」
「結構。ではニャカシュ=エンマ、この資料と手紙を持ってルフラン大使館に行ってください。マジェリ=ベアトリクス内務大臣の代理で、内密にお伝えすべきものを大使にお届けに来たと、そう伝えてもらえますか。
もし大使館員に疑われたなら、このエンブレムを見せれば晴れると思いますので」
言ってベアトリクスは、エンマに書類と手紙とエンブレムを一度に手渡す。それらを受け取りあらかじめ用意していたであろうカバンにしまい込んだエンマは、支度を全て終えたところで軽く会釈をして大臣室を出ていった。
エンマが出てしばらくして、ベアトリクスはやっと張った気を緩めることが出来た。部下に持たせた資料と手紙――アルブランの所業とそれらを基にした彼女の要望を読めば、ルフランも当然関わらざるを得なくなる。
そもそも現在エスタリスがアルブランに侵略されているのも、ジェルマが現在危険な状態になっているのも、エスタリスを利用したアルブランによるジェルマへの挟撃作戦が原因である。幾ら地域最強の戦力を誇る大国ジェルマとて、技術力のエスタリスと戦略戦術のアルブランに挟まれてはひとたまりもない。
しかしそれは、地域随一の組織力を誇るルフランにしても同じことが言える。というより、それぞれの国の地理的条件はほとんど同じなのでルフランとしてもまるで他人事ではないのだ。
さらに加えて、先程エスタリスの駐在武官であるアンネ=ヒンターマイヤーは、既に準備の整っているクーデターを発生させる旨ベアトリクスに明かしていたが――実際のところ彼女は、それを全て鵜呑みにするわけにはいかなかった。それはアンネを信用していないということではなく、彼女がいくらそうしようとしたところで同調する軍人が多くない可能性も十分考えられたからである。
だからこそ、どちらに転んでもマジェリアにとって得しかしない状況を作り上げる必要があった。そのためにはルフランを巻き込むのが必須だったというだけである。
例えばエスタリス軍部が本気でクーデターを起こそうとするなら、ルフランはむしろアルブランのみに注力するだろう。
内部でごたごたが起こっているエスタリスであれば、いくら技術力に優れても他国の進軍に抵抗する術は持たない。かといって実際に攻め入れば、今度はジェルマやアルブランから攻められかねない。つまり、八方塞がりになる。
エスタリス軍部がクーデターを起こす気がないのなら、それはそれでいい。エスタリスはジェルマを攻め、ジェルマはそれに応戦する。その裏を突いてアルブランがジェルマに攻め入るだろうが、明日は我が身と危機感を募らせるルフランがそれを許すはずもなく、ジェルマもまたルフランに攻め入られる側になるのだ。
――そしてその一件、その4者の対立で完結してしまえばウルバスク以東まで戦火は及ばない。自然、マジェリアもその国土を守られることになる。
「……ミズモト=サンタラ夫妻には感謝してもしきれませんね」
これらの情報をもたらしてくれた放浪中の夫婦は、既にジェルマを発つ準備を終えているに違いない。早ければ今日、遅くとも明日中には戻ってくる予定ではある。ならばこそ彼らが無事に戻ってきた暁には感謝を込めて出迎えてあげよう――ベアトリクスは自分の性格の悪さに少しだけ苦笑しながら、そんなことを思っていた。
翌日、早朝。
チェックアウトを終えた俺たちが駐車場で出発前の魔動車チェックをしていると、先日のジェルマエルフ――マルコが俺たちの元に来て言う。
「ミズモト=サンタラ夫妻、落ち着いたときにまたいらっしゃるがよい。……それはそれとして、昨日の夜に気になる情報を仕入れたのだが」
「気になる情報、ですか?」
「うむ、隣国のエスタリスで空港と主要政府機関が制圧されたという話でな……もしそうならジェルマに対する脅威も多少和らぐと思っているのだが。ご夫妻は何か心当たりはないか?」
……んー、正直俺も信じられないけどな、その話を聞いても……しかしもしその話が本当なのなら、大臣閣下が俺たちの情報を反映してくれたってことになるのかな……?
「トーゴさん、どうかした?」
「……んーん、何でもない。ではマルコさん、俺たちはこの辺で」
「うむ。ではまたいずれ、再会出来るその日まで」
そんな別れの言葉を背に受けながら、俺たちは魔動車に乗りこみ出発する。終わる時はこんなにあっけないものなのかな……なんてことを思い、今までの放浪に思いを馳せながら、俺たちは初めて走る帰り道を魔動車で駆け抜けるのだった。
次回、マジェリアに帰還します。羽田の帰国はまだまだ先です(聞いてない
次回更新は09/25の予定です!