第7話 少女との出逢い
山に入ってから既に二日が過ぎていた。そこまで急ぐ旅とは思っていないのもあったが、途中で出くわす魔物と戦いながら進んできたのも大きいだろう。
勿論通常戦闘においてカルタはスキルには頼らない戦い方を心がけている。
森にはよくツノウサと言う魔物が不意をつくように現れるが、それもスキルの力無しで察せられるようになっていた。
ツノウサは一本角の生えた大きめのウサギといった様相の魔物で、物陰から突然突撃してくる。動きが速く、冒険者として日が浅い者は運悪く急所を貫かれ死んでしまうこともあるという。
だが、攻撃を躱し、着地点さえ読み取ることが出来れば、突撃後の隙をついて倒すことが可能だ。ツノウサは食肉としても優れているため、野宿がメインとなる旅の中では随分と役立った。
ツノウサの角も決して高くはないが、矢の材料などに利用されたりするので人の集まる場所にいけば売却して路銀の足しに出来る。
背嚢にも収まりやすいので村を出たばかりのカルタにとっては利点も大きかった。
「本当は魔臓採取出来ればいいんだろうけどな……」
思わず独りごちる。魔臓の採取には特殊な道具が必要となるため、カルタの持っているナイフではどうしようもない。
魔臓とは魔物が有する心臓のことである。人間などとは異なり魔物は血液の代わりに魔脈を通じて魔力が流れている。魔物が死んだ後はこの魔力が外に漏れていくため放置しておくと魔臓の価値は完全になくなる。
魔臓の価値はこの魔力の量で決まるので外に漏れ出してしまっては意味がないのだ。
ちなみに魔物が人よりも高い身体能力を有している場合が多いのはこの構造のおかげとも考えられている。
そして人は体内に魔力を蓄積する器官がない。その為魔法も空気中の魔力を掻き集めて発動させる。人が魔法を行使する上で詠唱や術式を描いたりするのは魔力を集めた上で属性や効果などを決定づける為だ。
魔臓はこういった人が魔法を行使する上での煩わしさを軽減するのに役立つ。魔臓は特殊な加工を施す事で魔石に変化し、魔石に変化させてしまえばそれに術式さえ描いておけば高速で魔法が展開される。
また、魔臓によって作られた魔石と多様な素材を組み合わせることにより様々な魔道具なども作られ人々の生活に役立っていたりもする。
尤も魔石にしても魔道具にしてもその価値はピンきり、安物であればそれなりの効果しか期待できず、小さな村などでは中々導入は難しかったりもするが――
とにもかくにもカルタは更に山道を進んでいく。途中の川で革の水筒に水を補充した。最後の峠を越しこの川に沿うように下っていけば麓の町が見えてくることだろう。
ようやく一息つけるな、とカルタは安堵した。長いこと野宿が続いたが、やはり外で寝ていると体中が痛くなる。
麓の町はウッドマッシュの町という。人口千人とカルタの生まれ育った村に比べればその数は十倍にのぼるがそれでも町として見れば小さい方であり、ギルドも存在しない。
だがそれでも宿のベッドで寝れるのは嬉しい。それにまともな料理にもありつける。旅の最中では調味料も無駄には出来ず、その分、森で採れるベリーなどを添えてごまかしていたが、やはりそろそろちゃんとした食事にもありつきたい。
他にも必要なことがある。それは装備だ。ここまでなんとかやってはきたが、着ている服もボロボロになってしまっているし、鉈やナイフも魔物との戦いで疲弊しきっている。
もともと質がいいとは決して言えない代物だった為、刃も欠けはじめて切れ味が相当に悪い。途中からは切るというより殴るといった方がよい有様であった。
これらの装備も新調したい。幸いあんな両親でも路銀だけは用意してくれた。手切れ金みたいなものだったのかもしれないが、もらえたものは有効活用させてもらう。それにツノウサの角も買い取ってもらえる店があればそれも路銀の足しになる。
山を下るカルタ。途中で高台から麓を望み、町の位置を確認。軌道を修正し、川の音が聞こえる範囲内で森を移動する。
このペースで移動すれば陽が落ちる前に町にはたどり着くことだろう。
それから更に進み、山の二合目辺りまで達したその時であった。
「き、キャァアアァア!」
「ウルルルルルルルゥウ!」
女の子の悲鳴と野生の唸り声がほぼ同時にカルタの耳に届く。その瞬間、反射的に森を疾駆していた。スキルを発動し狩猟神ノ装甲に切り替える。
神知網を高速展開。悲鳴の雰囲気からそこまで離れていないと思ったが案の定だ。緑の多い場所で有利な装甲だ。この距離なら数秒もあれば辿り着ける。
木々の間を縫うように疾駆し、たどり着いた先。木々が退くように開けた地点で一人の少女が尻もちをつきガクガクと震えていた。
彼女の見上げた先には涎を垂らす白。顔はウサギである。だが、だからといってその辺を跳ね回っているような可愛げのある代物とは存在感が異なる。
身の丈は成人した人間の男とそう変わらず、目つきは鋭い。前肢からは爪が伸び、今にも振り下ろさんといった様相。
ウサグマ、それがこの魔物の名前。熊の獰猛さを併せ持った巨大なウサギだ。草食ではなく完全な肉食で野ウサギも捕まえて喰らうし、人間でも餌になりそうであれば容赦ない。
レベルもこの辺りの魔物としては高めであり総合レベルは13から15程度。駆け出しの冒険者などだと単騎ではキツイ相手であろう。
そのウサグマが完全に萎縮した少女に狙いを定めている。正直今から近づいて、などという余裕はなく、しかも確実に殺す必要がある。
それなら、と、カルタは狩猟神の弓を構えた。走りながらにも関わらず照準は全くぶれない。番えた矢を一瞬で引き絞り――
「【ウル・アロウ】!」
弓の神装技を行使。指を放した刹那、矢玉は閃光と化し、一瞬にしてウサグマの頭蓋を貫いた。
「――ガ!?」
断末魔のうめき声を僅かに漏らし、ウサグマの巨体が前のめりに倒れていった。
へ? と少女の目が点になる。ウサグマはこのサイズでも体重は優に二百キログラムを超える。潰されでもしたら事だが――
「キャッ!」
脇からダッシュしたカルタが抱え上げ、駆け抜けていた。ズシンという重々しい音と響きが後に続き、ふぅ、と一息ついて反転。
軽く地面を滑ることとなったが、バランスを崩すようなこともなく、キュッと停止してみせた。
「大丈夫?」
「え、あ、はい……」
ポカーンとした顔で返事をする少女。口が閉じきっていないのは突然の事に驚きを隠せないからか。
ただ、その顔が妙におかしくて、カルタはプッと吹き出してしまう。
「な、何かおかしいですか?」
「いや、ごめんごめん。怪我は大丈夫かな?」
とりあえずそう問いかけつつ、彼女を下ろしてあげた。
そして改めてその立ち姿を見る。先ず目についたのが、腰まで伸びたキラキラと輝きを放つ美しい金髪だ。上質な絹糸のような質感があり傷みを一切感じさせない。
髪によって装飾された相貌も決して負けていない。ツルンとした歪みのない卵型の輪郭。あどけなさが残りつつも大人の階段を踏み始めたばかりなような面立ち。整った目鼻立ちであり特に宝石のようなパッチリとした碧眼は見ているだけで吸い込まれそうですらある。
助ける途中はそっちにばかり意識が集中してしまい気がつかなかったがこれはかなりの美少女であり、ついカルタもドギマギしてしまう。
「あ、あの……」
「え? あ、いやごめんね。何か気に触った?」
「そんな! 滅相もないです! それよりも危ないところを助けて頂きありがとうございました」
もしかしてジロジロ見すぎたかな? と謝罪の言葉を述べたカルタだが、それに被せるように彼女は深々と頭を下げてきた。
その様子に何故かカルタは逆に恐縮してしまう。
「いやいや! 困ってる人がいたら助けるのは冒険者なら当たり前だし気にしなくていいよ」
「あ、冒険者さんだったんですね。どうりで強いと思いました」
「あ、ただ、まだ正式じゃなくて俺も目指しているってだけなんだけどね」
頬を掻きつつ答える。まだ見習いにすらなっていないのに強いと言われるのもこそばゆく感じられるものだ。
「そうなのですね。でも、これだけ強いなら間違いなくなれますよ。私、ウサグマに近づかれただけでもう命はないものと覚悟してましたから」
「そんな勿体無い!」
「え?」
「あ、いや、その……」
気恥ずかしくなって後頭部を擦る。するとなんだかおかしくなりふたりで笑いあった。
「あの申し遅れましたが私、ヘア・ロングといいます。麓の町の宿で使用人として働かせて貰っているんです」
「あぁ、俺はカルタ。カルタ・クラフトと言うんだ。宜しくね。でも宿屋か、それなら丁度良かったかも」
丁度? と首をかしげるヘアに町へ立ち寄るつもりだという事と、宿を取る予定で会ったことも告げる。
「そうだったんですね。それなら、ウッドマッシュにはうちしか宿屋がないので……」
ここで、ヘアの口が鈍くなった。カルタとしては宿を紹介されるかな? と思ったりもしたのだが。
「それなら、ロングさんの宿に泊まることになりそうかな。だとしたら丁度良かった、というのはちょっと不謹慎かな?」
「あ、いえ。本当に助かりましたから。それと私の事はヘアでいいですよ。町でもみんなそう呼びますから」
ニコニコと人懐っこい笑顔に戻ってそう告げるヘア。それなら俺のこともカルタでいいから、と返す。
その後はウサグマの解体に入った。ナイフがかなり使いにくくなっていたが、毛皮はそれなりの価値がある。後は肉もいるかどうかヘアに聞いた。
いいのですか? と聞いてきたが、流石に全部とはいかないがある程度なら持ち帰れると伝える。
ウサグマの肉は野生の熊よりも臭みが少ないのが特徴だ。それゆえに食肉としては中々人気が高い。ただ、珍味として親しまれる熊の手とは異なり、この手にはそこまで味はないので胴体の肉のみが対象となる。
勿論手持ちの道具では完璧には処理できないので肉はあまり持たないが、それでも麓の町まで彼女と一緒でも一時間も掛からない。ウサグマはこのあたりでは食物連鎖の上位に食い込む魔物だ。
それ故にこの魔物が出てきた時点で、この周辺からは魔物も獰猛な動物もあらかた離れているはずである。
つまり町までの道のりは比較的安心だと予想できる。それも考慮すれば痛む前に持ち帰ることは可能だろう。
後はそのまま夕食の材料にでも使ってもらえば良い。
解体も終わり、町へと向かうふたり。ヘアの頭はカルタの胸板に並ぶ程度だ。ただ小柄な割に出るところはしっかりと出ている。
着ているのは生成りの平民が着るようなドレスだ。日常用ではあるだろうが魔物が巣食うような場所に来るような格好ではない。
「そういえばこんな危険なところに一人で何をしてたんだい?」
カルタはふと気になり隣を歩くヘアに尋ねる。
「あの、私、今宿を経営してくれている伯母のお世話になっているのですが、キノコと山菜を採ってくるよう言われたもので……」
そう言われてみると、ヘアの持っている袋には何か色々と詰まっているようである。
その姿にカルタは一考し。
「俺が持つよ」
「え? でも魔物の肉まで運んでもらっているのに……」
「気にしないでいいよ。それに体を鍛えるためには負荷が多いほうがいい」
ひょいっとヘアの持つ袋を肩にかけ笑った。ヘアの頬が少しだけ赤くなるが、カルタはその変化には気がついていない。
ただ、それとは別の、キノコや山菜を採りにいくよう頼まれたという箇所で若干表情に影が落ちた気がした。
その理由まで初対面の彼に知る由も無いが――どちらにせよ、カルタが予想したとおり、間もなくしてふたりは目的であるウッドマッシュの町に辿り着いたのである。