第27話 グリース大暴れ
グリースが体を丸めた。思ったよりも体が柔らかいことに驚いたが、問題はそこではない。
「【ファットローリング】! ブロォオオォオオオォオオオオオ!」
球体となったグリースが猛烈な勢いで転がり始めた。ただ転がっているだけにも関わらずプレッシャーが半端でない。加速力も高く、早馬でも比べ物にならない程の速度で迫ってくる。
「避けろ!」
カルタが叫び、三人が左右に散った。グリースは既にあいていた壁を更に突き破り穴を広げ外へ飛び出してしまう。
おまけに今のがトドメとなったらしく、激しい振動と共に宿が完全に崩壊。壁も天井もガラガラガラと崩壊し、三人が外に飛び出たと同時に建物だったものが完全な瓦礫の山と化した。
「全く、予め残っていた客に出るように言わせておいて正解だったぜ……」
どうやら何かあったときの為に、クックとも協力して事前に客には避難しておいてもらったようだ。勿論その理由は上手くごまかしたようだが。
とは言え、この状況だ。流石に騒ぎは既に随分と大きくなっている。何せ倒壊前から建物が燃えはじめていたのだから、何事かと駆けつけたものもいるだろう。
「お、おい、宿屋が消えちまったぞ」
「一体どうなってるんだ?」
「あそこにいるの、宿の女主人だよな?」
「あぁフトーメだ。でもあんなにデカかったか?」
周囲のざわめきように不味いな、とカルタが眉を顰めた。
「おい! お前見られてるぞ! 正体を知られるのが嫌ならここから場所を移動して――」
「は? 何言ってるんだ。もうそんな事は知ったことか! 見られたなら町ごとぶっ潰すまでだよ!」
カルタが警告したが、既にグリースは歯止めが効かなくなっていた。このままでは一体何をしでかすか判ったものじゃない。
「全員今すぐここから離れろ! 家にいる人も全員だ!」
「え?」
「急いでください! そこにいるのは私の伯母なんかじゃないんです! あの漆黒の避役の大頭なんです!」
「とにかく今すぐ散れ! 巻き添えを食らいたくなければな!」
三人が集まった人々に訴える。それで逃げた人もいたが、いまいち状況を掴めない人もいる。
「ふん! 無駄さ、大概の連中は自らに火の粉が降りかからないと気付きもしないんだからね! だから私が自ら教えてやるよ! 【ファットブレス】!」
な、なんだぁ? と見ていた人々が思わず顔を背けた。なぜなら突如グリースが地面に吐瀉物を撒き散らし始めたからだ。
だが、それは決してフトーメの胃からこみ上げたソレなどではなく――液状化した大量の脂肪であった。
それが一瞬にして道に広がり、路面をヌルヌルにしてしまう。
「な、なんだこれ?」
「ヌルヌルで足が取られる――」
「あいつ一体何をしたんだ?」
「はっはー! これでグリースフィールドの完成だ!」
「おいおい、道をこんな状態にしてあいつ今度は何をやらかすつもりだ?」
怪訝そうな顔を見せるドヴァン。カルタとヘアにもいまいち理解できていないが。
「ファットローリング!」
だが、その答えは次のグリースの行動で判った。再び球体となり突撃してくるグリース。
その勢いは明らかに最初に見せた物よりも増していた。路面を脂肪でヌルヌルにしたことで、潤滑油のような働きを見せ驚異的な加速度を実現し破壊力が飛躍的に向上したのである。
「だったら止める!」
カルタが前に出た。このままでは自分はともかく他のふたりが避けられるかわからないし、例え三人が避けても後ろにいる人々に被害が及んでしまう。
ならば己の剣で、止める他ない。
「一人で格好つける気か?」
「ドヴァン!?」
しかし、ドヴァンも思いは一緒であった。カルタ一人に任せて逃げるつもりなど毛頭ないようだ。それに前に出てしまっている以上避けるという選択肢も消えた。
「だったら気合い入れてくれよ」
「お前もな!」
そして迫る肉弾へ互いの刃を交差させ受け止めに掛かる。
「そんなもので、私の突撃が止められるものか! ブロロロロオオォオォオオオオオ!」
カルタの刃に響く衝撃。剣神ノ装甲に切り替えているがそれでもとんでもない重圧であり、まるで何百トンもの鉄球を受け止めたような気になる。
それはドヴァンも一緒であろう、しかもドヴァンは片手だ、カルタの方がドヴァンの刃を支える形で交差しているが一瞬でも気を緩めたらふたりまとめて吹き飛ばされる。
回転の摩擦で火花が散り、ドヴァンの刃が悲鳴を上げる。カルタは神の剣状態な為まだいいが、しかし時間的な余裕がない。
「私だっています! ハァアアアアァアアア!」
だが、そこにヘアの髪の拳が飛んできた。ふたりの刃が柵の代わりとなり、押し止められたグリースの身に、再び大量の拳が降り注ぐ。
しかも今度は当てる箇所は散らさず、攻撃を一点に纏めた。
「ハァアアアァアアアァアアァアアア!」
「ぐ、グウゥウウゥウウゥウウ!」
グリースが呻き声を上げた。明らかにヘアの攻撃を嫌がっている。回転しているのが仇になっていた。回転力が増せば増すほど、ヘアの拳がカウンターとしてヒットしダメージが蓄積していく。
動いている分にはそれでも無視して突撃すれば推進力と相まって攻撃の威力を殺せたからよかったが、ふたりの剣に立ちふさがれている為、カウンターだけをまともに受けるという状況に陥ってしまったのである。
「今だカルタ! 一気に押し込むぞ!」
「おぅ!」
『はぁあああぁああぁあああ!』
グリースの回転力に陰りが見えたその瞬間を狙って、カルタとドヴァンが同時に刃を振り上げた。互いの斬撃が交差し、大きな斜め十文字を描き悲鳴を上げて巨体が後方に飛ばされていった。
「やったか!」
「いや、まだだ!」
ドヴァンが叫ぶがカルタは直感的にまだ終わってないと感じ取った。
ただ、この戦いによって様子を見ていた住人たちもいよいよ異常事態が起きていることに気がついたらしい。
「ば、化物だ!」
「マジで早く逃げないとヤバイぞ!」
「殺されちまう!」
一斉に逃げ出す。だが、路面がヌルヌルで足が取れて思うようににげられないものもいる。
「落ち着いてください。大きな通りを避ければ、ヌルヌルは避けられますので~」
ヘアが叫びつつ、腰が抜けてしまっている人々などは髪の毛を伸ばし逃げ出すのを手伝っていた。
だが、そうこうしている間にグリースは飛ばされた位置からUターンし、再び突っ込んでくる。
「全くしつこい奴だ――」
そこまで口にしたところで何かさっきと違うことを感じ取った。なぜならグリースの進む方向は正面ではなく斜めに向けられており。
「同じ手段で来ると思ったら甘いんだよ! ファットピンボール!」
かと思えばそのまま建物の壁に衝突し、跳ね返ったかと思えば別の壁に命中し、これを何度も繰り返し衝突時の反発力を利用し勢いを増していく。
もっともグリースの体当たりを受けた建物はそれだけでもダメージは免れない。壁は砕け、地盤も下がっていく。
しかもグリースは中々決めにこない。威力が十分に乗ってから仕掛けようとしているのか、少しでも恐れを抱かせようとしているのか。
「あ!」
その時だった、まだ無事であった建物から親子連れが出てきた。しかし、グリースが反対側から跳ね返り、親子に向けて突き進んでいく。
気づいているのか気づいていないのか。いや、どちらにしても関係ない。今更このモンスターが他人の命など気にするわけもない。
「ヘアネット!」
だが、ヘアは別であった。彼女はそれをみて見過ごせるような質ではない。
飛び出し目いっぱいまで髪を増やし伸ばし、そして咄嗟に思いついたのか髪の毛を網の形に変えて転がるグリースを包み込む。
それでも流石に勢いを完全に殺すことは出来ない。それどころかこのままではヘア自身が引きずられてしまう。
「俺達が支える!」
「お嬢様しっかり!」
しかし、そこでカルタとドヴァンがサポートに入った。ヘアの体を支え、引きずられないように背中に鉄の棒を差し込んだイメージでこらえる。
一瞬綱引きのような状態に陥ったが、相手を完全に止めるのではなく、移動軸だけをずらすことに専念し、それにより転がる方向が変化。
カーブを描きながら道の方へと戻っていき、タイミングを見計らって釣りのように髪の毛を巻き取っていく。
遠心力相まって球となったグリースが浮き上がり、今度はその状態から一気に地面に叩きつけた。
「ちょっぴり、痛かったよーーーー!」
「不味い! 髪を解けヘア!」
だが、叩きつけると今度はその反動でバウンドし上空まで飛んでいくグリース。この勢いは止められない。
ヘアもここは諦めて髪の毛を解いた。すると一旦空中に逃げたかと思ったグリースが、今度は急降下を始め――
「クレイジーファットバウンド!」
なんとそこらを跳ね回り暴れまわる。球体が跳ね回る度に地面が揺れ、更に周囲の家屋も関係なく巻き込み破壊の限りを尽くしていった。
道路もやたらと陥没し、町並みが大きく変化していく。
「お前は、いい加減にしやがれ! 【螺旋流破鎧術捻氣百脚】!」
「ぎゃん!」
だが、ここでドヴァンの新技が炸裂。百もの捻氣脚を跳ね回るグリースの体に叩き込んだ。
「今の蹴り凄いなドヴァン」
「あぁ、ずっと練習していたから実際に相手に使ったのは初めてだったけどな」
それで成功させたのか、と感心して見せる。
「くっ、足癖の悪い剣士だね! 本当に腹の立つ!」
だが技を途中で止められたグリースは随分とご立腹なようだ。
「あんたらもう許しちゃ置けないよ! 消し炭になりな! ファットブレイズ!」
するとグリースが大きく息を吸い込み脂肪を燃焼させて炎を吐き出した。問題なのは、既に路面が脂でヌルヌルであったことであり――
「な! 道路が炎に包まれやがった」
「炎を吐くってこれか。それにしても無茶苦茶な奴だ」
「あ、危なかったです……」
咄嗟にヘアが髪の毛を伸ばしふたりを連れて後ろに飛び退いた為、炎に包まれるのは免れた。
「ギャハハハハ! 燃えろ燃えろ~全て消しずみになってしま――」
出来上がった炎の壁に高揚感に包まれた表情を見せるグリース。だが、そこへ光の矢が炸裂。何発もの矢が集中砲火。
カルタであった。カルタが狩猟神ノ装甲に切り替え炎の向こうのグリースに矢を射れるだけ射ったのだ。
だが、グリースからすれば自らが創り上げた炎の壁が邪魔をし、カルタの攻撃のタイミングが掴めない。
「この! 糞が!」
球体になり大きく跳ね上がる。それを確認した三人が町の中心に向けて掛けだした。目指すは広場である。建物が密集した場所よりもまだ広場のほうが被害が少ないと見ての行動だ。
噴水のある広場についた。巻き添えを免れるためかそこにはもう他に人の姿はない。
ドスンっとなにかの落下音が響く。振り返るとグリースが追いついてきていた。
「お~ま~え~ら~! もう絶対に許さないからな! 全員ひき肉にしてやる! ファットプロテン!」
グリースの脂肪量が一気に増加した。ただでさえデカかったその肉体が、更に三倍近くまで膨張する。
「また妙な真似をしやがって」
「こいつ、どんだけ技持ってんだよ」
ドヴァンとカルタが辟易した目で見た。すると、あ! と短くヘアが叫ぶ。グリースが再び上空まで跳ね上がったからだ――




