第26話 帰ってきた男
グリース自らが、ヘアの両親と伯母の惨状について語って見せたため、ヘアの怒りが爆発した。
金色の髪は一本一本が意志が宿ったかのように、一気に膨れ上がり、そして大量の拳に変化した。
「お前は絶対許さない! 家族の仇! 伯母の仇! ドヴァンとドヴァンの家族の仇! アァアアァアアァアア!」
その金色の拳がグリースの顔にめり込んだ。更に腕に腹に足にと何十発もの巨大な拳の雨が降り注ぐ。
「アァアアアァアアアァアアア!」
殴る! 殴る! 殴る! 殴る! 無酸素状態で、ひたすらに怒りに任せた金色の拳が炸裂し続けた。これまでとは明らかに異なるヘアの猛攻、だが――
「調子に、乗ってるんじゃないよーー! ファットブレイズ!」
拳の雨に割り込むは強烈な炎。
グリースの口から吐き出された火炎が拳に変化したヘアの髪を飲み込んだ。
「きゃ、燃えて!」
怒りから我に返り、炎にまみれた己の髪に慌てる。すぐに途中から髪の毛を切断し難は逃れたが切り離した部分は完全に炭化した。
「やっぱり髪の毛は炎に弱いようだね!」
「な、馬鹿な脂肪操作でなんで炎を?」
「は! 知らなかったのかい? 動けば動くほど脂肪はよく燃焼するんだよ! 私の脂肪操作があれば脂肪を高速で振動することで燃焼させ、炎に変化させるなんて朝飯前さ!」
自信満々に言い放ち、再度グリースが炎を吐き出した。もはや宿がどうなろうと知ったこっちゃないといった暴れぶりである。
しかし、確かに炎による攻撃は髪の毛と相性が悪い。ドヴァンはなんとかヘアを庇おうと前に立つが。
「捕まえた!」
「あ!」
脂肪操作によって伸びたグリースの腕が遂にヘアを捉えた。顔の前まで引き寄せると、脂肪が広がり彼女の小柄な体を包み込みぎりぎりと締め付けた。
「ファットプレスさ! 私の脂肪はあんたが潰れるまで放さないよ!」
「あ、くっ!」
ヘアが呻き声を上げた。その姿を認めドヴァンが飛び出す。
「お嬢様を、放しやがれ!」
「邪魔するんじゃないよ! グリースボール!」
しかし、グリースが口から吐き出した球体が命中。弾けドロドロとした脂肪となり彼の体を包み込む。
「くそ! 身動きが……」
「あ~はっは! 特性の脂玉さね。そのドロドロはしつこいからね! 中々とれやしないよ!」
ドヴァンに纏わりつく脂肪は、藻掻けばもがくほど絡みつき動きを阻害する。身体能力の高さがうりのドヴァンにとってこれは相当な痛手であった。
「さぁ! そこでお嬢様とやらがペシャンコになるのをジックリと眺めて――グボッ!」
その時だった、壁を突き破り、飛び出してきた巨大な熊がグリースの腹に体当たりし、衝撃が分厚い脂肪を揺さぶった。驚愕の表情、グリースの巨体がぐらりとゆれる。
「どうやら間に合ったみたいだな」
「カル、タ?」
「あぁ、今助けるぞ。ウル・アロウ、アロウ、アロウ、アロウ、アロウ、アロウ、アロウーーーーーー!」
続けざまに大量に射られた光の矢が、グリースの一点に集中砲火。その口からはじめて呻き声が漏れ、ヘアを締める脂肪の圧が弱まった。
「ヘア! 今だ!」
はい! と声を上げ、髪の毛を使用しヘアが脂肪のプレスから脱出した。
それを認め、いつの間にか戻ってきていたカルタが全力疾走でグリースへ近づき、直後装甲は剣神に変えていた。狩猟神でも多少はダメージは通ったが、やはり決め手には欠けてしまう。
単純な戦闘力の上昇、そして破壊力を考えれば剣神ノ装甲に分がある。選んだタイプも片手半剣と威力重視だ。
「剣昇神武落――」
床を蹴り上げ、上昇しながらの斬り上げ、グリースの脂肪に一閃を刻み、上りきったところで回転しその勢いを利用した斬り落としを叩き込む。
「ぬぐぅうううううう! な、舐めてるんじゃないよこの餓鬼が!」
だが、倒れない。怯まない。手応えはあった。物理攻撃に強い耐性があるとはいえ神装甲状態の斬撃だ。全くダメージがないなんてことはありえない。
それでも、これで勝ったと楽観視出来るほどのダメージは与えていない。グリースの腕が膨張し伸びる。いや腕だけではない、全身の脂肪が拳に変わりカルタに降り注いだ。
「おわ! と、と、この野郎!」
カルタは拳となった脂肪を避けながら斬りつけていくが弾力性に富んだ脂肪だ。おまけに本体からは離れているため斬っても効果は薄い。
「あいつ、お嬢様の技を――」
ドヴァンが口ずさむ。確かに技としてはヘアが見せた黄金の拳状のあれによく似ている。髪の毛と脂肪という差はあるが。
とは言え、黙ってみてもいられない。急いでカルタのフォローに入る。相当な手数だが軌道を反らす程度はなんとかできていた。
「ふん、揃いも揃ってしぶとさだけはゴキブリ並みだね!」
一旦拳を引っ込め、グリースが叫ぶ。その顔はこれまで以上に醜悪だった。
「カルタありがとう」
「いや、むしろ遅れて悪かった。それにしてもこの宿そろそろヤバイな」
周囲を見回し、カルタが焦りの口調を見せる。何せ散々グリースが暴れまわった上、建物に火の手が回ってきている。建物ごと崩壊するのも時間の問題だろう。
「あぁ、あの女が炎を吐きやがったからな。それにしても、今まで何してたんだ? それに何かボロボロだし」
「ほっとけ! こっちも色々あったんだよ。てか、お前、あの包帯なんだよな? それと何かお前臭うぞ」
「あぁ、細かいことは省くが本当の名前はドヴァンだ。以前この宿を任されていた。臭うのはあの女に変な液体ぶっかけられたからだ。なんとか取れたが、クソ! クセェ!」
匂いについてはともかく、ドヴァンについては話を聞くだけであらかた理解が出来たカルタである。この宿の経営を任されていた人物がいたことは以前クックから聞いていたからだ。
「それにしても、お前、また随分とぶくぶくと肥え太ったもんだな」
「はん! それこそ放っておきな!」
「はは、でもなんかその方がお似合いだぜ。醜いお前らしい醜悪な体だ」
カルタがグリースに視線を移し、敢えて小馬鹿にするように告げる。すると、フンッ、と鼻を鳴らし。
「それで挑発のつもりかい? 安い挑発だね。大体こっちは生まれたときからそんな事は言われ慣れてるんだ。今更たいしたことないね!」
「言われ慣れてるだって?」
カルタが反応を示す。するとフトーメは、あぁ、と太い手を握りしめた。
「私は生まれたときから太っていた。ここまでじゃなかったけど、普通の人より体格が良かったのさ。その上このスキルを手に入れてからよりそれが加速した。太りやすくなったのさ。私はね、こう見えても育ちはそれなりだったのさ。だけどね――」
◇◆◇
「やれやれうちの娘は本当に醜いわね。あ~いやだいやだどうしてこうなったのかしら? 全く、妹がこんなにも私に似て綺麗に育ったというのに」
「ねぇお姉ちゃんってどうしてそんなにブサイクなのに生きていようと思えるの? ねぇどうして? どうしてその顔で外を歩けるの? 子爵家の娘として恥ずかしくないの?」
「全く、妹には縁談の話がこんなにもきて引く手数多だというのに、醜いお前にはさっぱりだな。スキルが脂肪操作だと? なんて恥ずかしいスキルだ。見た目が見にくければ得たスキルも醜悪なことこの上ない!」
「えへ、ごめんね、えへへ――」
グリースはマミレル子爵家の長女として生を受けた。だが、そんな彼女の生活は世の中の民が思うような華々しいものではなく、毎日のように両親や妹に蔑まれる日々を送っていた。
それは決して家族だけの話ではなく、外に出れば街の人間から嘲笑われ、後ろ指を指される毎日。いくら貴族の娘でもあんな姿で生まれるのだけはごめんだわ、と陰口も叩かれ続けていた。
だが、そんな彼女にある転機が訪れる。それは決して良い意味ではなかったのだが――子爵家の乗った馬車が盗賊に襲われ護衛も全員殺されてアジトに連れ去られたのである。
「ギャハハ! 子爵家の馬車だったとはついてるぜ! しかもこっちのふたりは随分な上物だ!」
馬車の荷を物色した後、盗賊はグリースの母と妹に注目した。確かにふたりともグリースと比べて見目は良い。盗賊たちが興奮するのも当然と言えたが。
「だけど、それに比べてこっちはなんだ? 本当にお前こいつらの家族なのか? 醜すぎてとても同じ血が流れてるとは思えないぜ!」
「違いねぇ、まるで豚だな! おい、ブヒブヒってないてみろ、ブヒー助けてブヒーってな!」
しかし、グリースだけは別であった。やはり盗賊もまた彼女の見た目を嘲笑い、罵ってきた。
「わ、わかったそっちの娘は好きにしていいし、荷もやろう。だから、私とふたりは助けてくれ!」
「は? ふざけるなよコラ! こんな豚頼まれたっているかよ! 舐めてんのか!」
しかも父はグリースを見捨てて逃げる気であった。勿論そんなこと盗賊に認められるわけがないが、グリースのことなどこれっぽっちも心配していないことが見て取れた。
だが、それでもなお、その当時のグリースは家族を思う気持ちが勝っていた。このような状況でも、家族を助けたいと心から思った。
だからこそ、本当は気づいていたが、敢えて使わなかった自分のスキルを解放したのである。
「ば、馬鹿な……」
「つ、つえぇ、なんだこいつ――」
「ば、化物かよ――」
結果的にグリースは視界に映る盗賊たちを脂肪操作のスキルで打ちのめしてみせた。何かに役に立つかと多少練習はしたりしたが、人前で使ったのはこれが初めてであった。
にも関わらずここまで強力とは自分でも思っておらず、もしかしたらこれで家族の自分を見る目も少しは変わるかもしれないと期待もしたが。
「凄いじゃないグリース! 驚いた。その醜そうなスキルも使いようによってはこんなに強力なのね。顔は化物みたいでスキルも化物じみてるなんて本当醜いおね豚様にピッタリ!」
「本当、どれだけ醜くてどうしようもなさそうな豚でも、取り柄の一つぐらいあるものね」
「でかしたぞグリース! いやはやしかし驚いた。全くお前は見た目が最悪で豚のほうがまだ可愛げがあるとおもっていたが、こんな力があったとはな。その顔では嫁の貰い手はいないかもしれんが、それだけの力があれば肉の壁として拾ってくれる貴族はいるかもしれん。今後はやり方を変えんとな」
「…………」
「ちょっとあんた、何ぼ~とみてるのよ。さっさと助けなさいよ! 本当折角認めてやったのに愚図なのは変わらないのねこの豚は!」
「さっさと私達の拘束をときなさい! せっかく豚から多少は人間に近づいたのですから道具ぐらい使えるでしょう?」
「ふたりのいうとおりだ。その脂肪操作とかいう化け物じみた醜いスキルでさっさと助けろ! だが調子にのるなよ? お前なんて所詮道具としか生きられない出来損ないであることに変わりはないんだ! 醜いと言うだけで罪なのをそのスキルに免じて特別に人間あつかいしてやってもいいと言ってるだけだからな!」
変わらない両親の態度に絶句しグリースの肩はプルプルと震えていた。なぜ助けてあげた私がこんな言われ方をしなければいけないのか判らなかった。
だが、それでも家族だ。それに父の言うように、いくら強力でもこんな醜い自分が生きられる手段など――
「本当にいいのか?」
「――ッ!?」
弾けたようにグリースが振り返った。そこにはいつの間にか一人の男が立っていた。くわえタバコの長身でガッチリとした体型の男だった。
本能的に盗賊の仲間だと察し、スキルを発動させようとする。
「やめておきな。実力は認めるが、お前じゃ俺には絶対に勝てない」
心臓を鷲掴みにされたような、威圧感と恐怖を瞬時に覚えた。そして悟った、反射的に、この男に逆らったら死ぬと。
「なに、そんな顔をするな。何も取って食おうってわけじゃない。ま、お前次第ではあるが、質問の続きだ。本当にそれでいいのか?」
「え?」
「お前、今そいつらを助けようと思っていただろう? だが、それが本当に正しい選択か?」
「お、おい貴様何を勝手に!」
「黙ってろ――」
父は黙った。あれだけ偉そうにしていた父が。普段から横暴さが際立っていた父が、あっさりと口を噤み借りてきた猫のように静まり返った。
「あの家族は、お前の事を散々馬鹿にしてきたんだろ? お前が醜いから、だからお前が何をしようが決して認めなかった」
「……それは、あ、あなた方も一緒」
「違う」
「……違う?」
「そうだ。確かにそこに転がってるのは最初こそ馬鹿にしたが、次に目覚めたら態度を改めるだろう。だが、そこの連中はお前が力を見せても可能性を否定し、お前の凄さを決して認めず、小さな檻の中で飼い殺そうとしていた。お前に対する態度も改めようとしなかった」
「……あなた達は違うというの?」
「そうだ。俺たちは力あるものは認める。お前のその力、可能性を感じたぞ? 全くこんな連中の視察にきたところで退屈なだけかと思ったが、お前のような可能性を見つけることが出来たのだから無駄ではなかったな」
グリースは、中々男の意図が掴めなかった。いや、敢えてその可能性を避けていたのかもしれないが。
「グリースといったな。お前の力はお前だけのものだ。だから俺やそいつらに言われてどうこうする必要はねぇ。だけどな、その力は間違いなく俺らみたいな側でこそ役立つ代物だ。お前のその力があれば、その家族が言っているような操り人形のような人生を送る必要はなくなる。肉の壁? そんなくだらない真似よりもっと刺激的な人生が待っているのさ。その力は、むしろ人から奪うためにあるようなものだ。それで取り戻してみたくないか? これまで踏み潰され続けてきた人生を。逆に潰してみたくないか? これまで馬鹿にし続けてきた人間どもの人生を」
「取り戻し――踏み潰す?」
「そうだ。お前にはそれだけの力がある」
グリースは一考してみせた後、その男を見上げた。その表情に、ニヤリと男は口角を吊り上げ。
そしてグリースは家族に近づいていき。
「ちょ、ちょっと何よその顔。豚の分際で生意気――」
その瞬間、グリースの拳がまず妹の顔面を捉えた。それから母を殴り倒し、父を殴りまくり、家族を徹底的に痛めつける。
「アハッ、これ、すっごく気持ちいい」
真っ赤に染まった拳を眺めながら、グリースは愉快そうにそう口にした。
「あぁ、それでいい。これからはお前も俺たちの仲間だ。だけどな。女はあまり傷つけるな。ただ殴るよりもっと効果的な絶望の与え方があるからな。俺がそのへんも含めてしっかりと仕込んでやるよ――」
こうしてこの男との出会いをきっかけにグリースは盗賊としての人生を歩むようになり、その後頭角を現し遂に一つの盗賊団を任されるまでに至ったのである――
◇◆◇
「……だからか?」
「あん?」
グリースの話を一通り聞き終え、カルタが問う。
「漆黒の避役が女性同伴の馬車を基本狙っていたというのは、その過去があったから、つまり私怨を晴らすためにか?」
「カカッ、あぁそうかもねぇ。何せ苛つくのさ! 何の取り柄もないくせにただ見た目がいいという理由だけでちやほやされてる女を見るとねぇ。その人生を徹底的に貶めてやらないと気がすまないのさ!」
「……やっぱりお前は醜いな」
「ふん、だからそんな事は判ってるっていってんだろが!」
「違うそうじゃない――」
カルタは一旦まぶたを閉じ、そしてキッとグリースを睨めつけ続けた。
「お前が醜いのは何も外面だけのことを言っているんじゃない。内面も含めて醜いと言っているのさ。過去にお前がされたことに全く思うところがないわけじゃない。だけどな、だからといってそれでテメェが奪う側に立ってちゃ世話がねぇ。お前の今の姿は外道に堕ちた己自身を反映したものだ。だから、テメェの姿はこの世の何者よりも醜いのさ」
カルタの言葉に、目を瞬かせ、そして眉間に谷間のような皺を刻み込み、グリースが言葉を返した。
「そうかい、だったら今すぐその外道に潰されるがいいさ!」




