第一話 『龍眼の騎士』
よろしくお願いします。
ローゼンカスルの虚飾龍
「定刻通り、仕事にかかるぞ」
「御意」
息を殺し、屋根から垂らされた紐に吊らされ、壁に張り付く男二人。
闇に紛れるよう、極力光を反射しない黒装束を身に纏った二人は紛れもない、暗殺者だ。
窓を覗き込まず、耳を澄まし、音のみで部屋の様子を確認する。目標はこの部屋の主...この国の第一王女だ。
「...きた」
「御意。合図は任せる」
片方が、指で三の数字を表し、一本ずつ折ることでカウントダウンをする。
それが拳になると同時に片方が窓ガラスを蹴り割って、もう片方が紐を取り外して素早く侵入する。音もなく着地。体勢を崩すことなく肉薄し、手に持ったナイフを部屋の主の無防備な首に突き出す。
「覚悟...!」
仕留めた。視覚情報と暗殺者としての熟達された勘がそう言った。まだ切っ先は届いていなか異が、一種の確信とも呼べる程の手応えは確実にあった。
しかし、それは予想外の結果で裏切られる。
「な...!」
「きゃーー! 誰か助けてぇえ! ...なんて言うと思った?」
ニヤリ。鈍く光るナイフが首に当たる寸前で暗殺者の手首を捉えた、フードによって顔が見えない人物が笑った気がした。
呆気に取られたのは一瞬の事。素早く手を振りほどき、距離を取る。それに合わせて並ぶ様にもう一人の暗殺者も並んだ。
部屋の中にいた素顔を隠した人物が「...なるほど、面白い技だね」と呟いた。
「...何者だ」
部屋に居たのは王女ではなかった。
黒いコートを身に纏い、フードを目深に被っているーー細いが、女性にしては広い肩幅からして恐らくは男。その男が半身で身構え、突っ立っていた。
「あれ? それは僕のセリフでしょーに...ま、僕の場合は見てわかるけどねぇ。...おたくらさ、ウチの姫さんを狙った暗殺者でしょ。ふふ、そんな如何にもな格好してさ。警備兵に職質されたら一体どうすんのさぁ」
ーー不気味だ。
暗殺者二人は同じ感想を抱いた。ここにいて自分等に対峙するという事は、十中八九この国の人間だろう。しかし、自国の要人の命を脅かす人物を前にして、ここまで能天気でいられるモノだろうか。しかし、何故素顔を隠すのか。
そこまで考えてある一つの考えが思い付いた。
「...貴様は、我等の同業か?」
「同業かって? あぁ、まぁ確かに頼まれたら暗殺も嗜むよ。うん。それが仕事だからね。けどそれを本業にしている訳ではないから同業ではないかなぁ」
同業者ではない。その証言が暗殺者二人の疑問を更なるモノとした。
「ならばこの国の者か...それならば何故貴様がここにいる?」
「だからそれはこっちのセリフでしょうよ...。まぁ、いいさ。そんなのは簡単ーーただの『偶然』だよ」
「偶然だと...?」
「そう、偶然。何もかもが『偶然』。『偶然』にも姫様が今夜のパーティーで疲れず、部屋で休憩をしたいと言い出さず、『偶然』にも会場の空調が故障していて室温が高くなっていて、しかし『偶然』にも姫さんが扇子を部屋に忘れてしまい、『偶然』にも今日だけ姫さんの護衛を任されていた僕が『偶然』にも部屋に扇子を取りに行くよう命令され、預かった鍵で姫さんの部屋に入ったところ、『偶然』にも姫さんの命を狙った暗殺者と相対する事になった...単なる『偶然』の連続。まぐれだよ。ふふふ」
「そんなバカな...そんなのーー」
「ありえない? けど、現に今こうして僕は君たちの前にいる。それすらも信じられない? 全く、バカは君らじゃないか」
恐らくフードの下では頬を膨らませているのだろう。ふざけた野郎だ。
男を睨み付けていると暗殺者の内のもう一人が声を発した。
「...おい準備が出来たぞ」
「わかった」
互いに頷き合い、突如として現れた白い煙幕によって男の視界が封じられる。
ここまでの会話は時間稼ぎだったのだろう。煙の中、男は動揺する事なく、
「なるほど、かくれんぼか。ふむふむ」
顎に手を当てて三度頷くと、予備動作も無しに窓の方へ走り出した。
煙が裂ける程の素早さで窓を飛び越え、50mはあろう高さから飛び降りた。
「あ、下にいないのか。と、すると...」
落下中に体を捻り、城の屋根部分に目を向ける。
熟練された身のこなしで先程の二人が一本の紐を頼りに壁を駆け登る姿があった。
「見ぃーつけたァ!」
棚引くコートの中、ニヤリと笑みを浮かべ、再度体を捻り、五点着地と呼ばれる受け身によって地面に着地。
向かい側にある壁へと走り出し、跳躍。10mは優に越える高さを飛び、向かい合った壁を交互に蹴り跳ねて上昇する。
流れるように屋根に辿り着き、辺りを見渡す。
「おっと、今度は鬼ごっこかぁ?」
危うく見失いかけたが、壁を降ろうとロープを自らに巻き付ける姿を見つける事が出来た。
凄まじい速度で駆ける男が目に入り、暗殺者等もまさか屋根上まで登ってくるとは思っていなかったのか、顔面が蒼白だ。
「はぁい。お二人さんの負けぇー」
「かっ...!」
「ごふっ!」
逃げる事を諦め、臨戦態勢へと入った二人に更に速度を上げ、素早く片方に鳩尾に深く拳をねじ込み、もう片方の喉仏に回し蹴りを叩き込んだ。
完全に戦闘不能に陥った二人を見下す男。
「全く...何でウチのお姫さんを狙うのにこんな三下を寄越して来たのか...雇い主は相当のケチかバカだな? ったく」
「かっ...げほっげほっ、はぁ、く、ぎ、貴様は、一体、だにものだ?」
暗殺者の内、辛うじて気を失っていない方が問うた。
腕を組んで頷いていた男はピタリと動きを止め、
「あれ? 言ってなかったっけ?」
キョトンとした素振りを見せる男に暗殺者は頭を振った。
「あー、そうかそうか。言ってなかったか。よし、ならば我が正体を明かそう!」
その場でクルリと一回転し、さも意味ありげに手の平を顔に向け、指で額を上から下になぞった。
「僕の名はロゼリア。ただのロゼリア! 女の子みたいな名前だけど正真正銘の男の子さ!」
ふふん、と鼻を擦るロゼリアと名乗った男。
「ろぜりあ...。ん? ろ、ロゼリア? ...だと? まさか、貴様は...!!」
暗殺者はその名を聞いたことがあった。
「そ、多分正解。僕は騎士だよ! ローゼンカスルに於ける護国騎士の一人で、今の序列は最下位...。ま、まぁ、僕の場合序列を決める試合で本気を出す訳にはいかないから...しょうがない! あとはー、あ、そうだ。そんでもって、僕の実情を知る人達の多くはね、僕の事をーー」
おもむろにフードを脱いで、その貌を晒した。
月明かりに照らされたその顔は紛う事なく美形だった。妖艶な紫の長髪。高い鼻に薄い唇。女性と言っても通用するレベルの美男だ。だがしかし、その内の顕になった瞳が
「金銀妖瞳の龍眼...」
「『虚飾龍』と呼ぶらしいよ」
そう言って悲しそうに微笑んだ。
暗殺者は一言も発さなかった。否、振られた手刀によって首を飛ばされ発せられなかった。
胴体と別れを告げた事すら気付いていない様な表情を浮かべる頭を横切り、気絶している方の暗殺者を肩に担ぎ、空を見上げた。
「はぁ、いつまでこんなことしてればいいんだろう...。僕は、僕が誰で何なのかも分からないでいるというのに、ね...」
まぶたの上から目を撫でる。
中途半端に欠けた月が、何故か泣いている様に見えた。