EXTRA 魔神の生まれた日 ~World end~
私は、物心ついた時から孤独だった。
親も早くに亡くして、親戚もいなかった。
詳細は知らないけれど、殺されたのかもしれない。
何故か私の家系は、もれなく瞳が紅かった。
最近は他人と接する機会が無かったが、前はよく言われていた。
「魔女」と。
なるべく、人を避けるように山で独り暮らしていた。
だがそれでも、食料を調達する時に、どうしても人目に付くことは有る。
そうすると、石を投げつけられ、罵声を浴びせられ、私は逃げることしかできなかった。
なぜ、私だけなんだろう。
子供の頃は、自分の紅い瞳がとにかく嫌だった。
私も、他の子と遊びまわりたい。色んな人とお話がしたい。
ずっと、そんな幻想を夢見ていた。齢を重ねるにつれて、諦めたけれど。
……いや、諦めているようで、私はまだ諦められないのかもしれない。
誰もまだ起きていない様な早朝。もしくは日が落ち、星が照らす真夜中。
私は人目を忍んで海へ行く。
海は広大で、私の悩みなんて小さい事だと、励ましてくれるように波を繰り返す。
それだけではない。
海は食料の他にも、様々な物を運んできてくれる。
時には、宝石みたいな煌びやかなものが浜辺に落ちていたこともあった。
時には、使い道が全く分からないけれど、明らかに人工物である人形みたいなのも落ちていた。
この海の向こうには、まだ私の知らない、面白い世界が広がっているのだと。
そう期待せずにはいられなかった。
私は毎日、浜辺へ赴いた。
何か、私を救ってくれる何かが、もしや遠くの世界から来てくれないかと。
そんな淡い期待を込めては、落胆する毎日を過ごしていた。
後から思えば、自分から出て行くべきだった。
果てしない世界へ単身漕ぎ出していく勇気が、私にはなかった。
人として、最後に見た海の景色。
いつもと変わりない、穏やかなさざ波をうつ朝の海。
なぜか、私はいつもより落胆していた。
今日こそは。何故か、何かが来ると思っていた。
何の論拠もないけれど、何故か私はいつも以上に期待していた。
もちろん、なにも、無かったけれど。
―――巷では、穀物の不作で飢餓に陥っていた。
それでもなお高騰する税金に一般市民は激怒する。
しかし。
なぜか怒りは、為政者ではなく私に向けられた。
私の家は誰にも知られていないと思っていた。
でも、つけられていたのだろうか。
夜、就寝していた時間帯、妙な気配に目を覚ました瞬間、後頭部を思い切り殴られた。
そこから記憶はとんで、再び目を覚ました私の瞳に飛び込んできた光景に、愕然とした。
真夜中にもかかわらず、人という人が大勢、松明を灯して私を取り囲んでいる。
そして私は、その中心で十字架に括り付けられていた。
そこで私は知ったのだった。
穀物の不作が、私の黒魔術のせいであると。
市民が不幸なのは、私の呪いのせいなのだと。
そんな、なんの根拠も無い噂で、こんなにも大勢の人が私に怒りの矛先を向けていることに。
私が目を覚ますと同時に放たれたのは罵声だけでなく、投石も含まれていた。
その内の一つが私の額に当たる。
頬を伝って流れているものが、血なのか涙なのか、私には判別がつかなかった。
どうして、なんだろう。
悔しくてたまらない。
何もできない自分が、悔しい。
そして最後の仕上げと言わんばかりに、私の足元には火が放たれる。
私の叫びも、遠雷に掻き消された。
にやにやと笑っている聴衆の顔が、脳裏について離れない。
中には、神に祈りを捧げている人までいた。
……私が、神に愛されていないことくらい、とっくの昔に分かっていた。
それだけならいい。
でも、私にこんな仕打ちをする人間に神が微笑むのかと思うと、怒りで身が震える。
元々紅い瞳を持つ私が、真っ赤に充血しているであろう目で、聴衆を睨みつける。
もし、ここで誰かが現れて、聴衆をばったばったと薙ぎ倒し、私を救い出してくれたら。
そんな妄想が一瞬だけ浮かんできた。
でも、そんなことは有り得ない。
私が、どうにかしなければ、ここで死ぬだけだ。
身を縛る縄が、ミシミシと音を立てる。
腕が千切れてもいい。
どうにか、ここから……。
―――空は、分厚い雲が覆っていた。
神の視線を遮るように。
そして。
激しい閃光と、唸る轟音が周囲を包んだ。
何が起きたのか、私には分からなかった。
それが落雷だったというのは、後からの推論でしかない。
足元だけでなく、全身を炎が包んだ。
にも拘らず、熱さというものを感じない。
代わりに、心の中に何かどす黒いものが流れ込んできた。
吐き気ではないが、非常に気持ちが悪い。
例えるなら、ヘドロのような、粘性の高い漆黒の流体。
それが心の中に充満していく。
早く、早くそれを出さないと、押しつぶされそうだ。
まるで唾を吐くように、心の中のそれを排出すると。
目の前を覆っていた炎が掻き消されたかと思うと、前方の人だかりが崩れていた。
何が起こったのかは分からなかったが、非常にすっきりとした気持ちになる。
だが、どす黒いそれは、すぐに心の中に充満していく。
次はちゃんと見えた。
吐き出すと、それは炎へ、雷へと形を変え、人々を蹂躙していく。
どす黒い何かが流入してくるのがどうにか収まったのは、目の前の人だかりが全て肉塊へと変貌を遂げた後だった。
私を縛り付けていた十字架は、炎で耐久性がなくなったのか、いともたやすく折れ、私は地へと降り立った。
緊張が解けたからか、私は膝から崩れ落ちる。
いつの間にか晴れ渡っていたのか、月が恨めしそうにこちらを見ている。
そして私は痛感した。
どす黒い何かは、先程までの速度ではないにしろ、少しずつ心の中を覆っていて、清算するには空撃ちでは意味の無いことに。
人を、殺さなければ。
どす黒い何かが、呼吸器を詰まらせるかのように、溜まっていくばかりだ。
ああ、私はもう、人間ではなくなったんだな。
周囲の人間が言っていたように、私は、魔女になったのだろう。
嬉しさと悲しさが、同時に込み上げる。
これが神の望む結末ならば、とんだ喜劇を好む存在なのだろう。
嘲笑うように、月が歪んでいった。
……そして。
私はどす黒い何かが満ちるたびに、人間を殺した。
最初は私を迫害していた人間たちだけだったが、それがいなくなってもどす黒い何かは収まらない。
日に日に、満ちる速度は上がっていく。
国中を、大陸中を、そして海を越えて、殺戮していった。
いつしか、私はそれを愉しんでいた。
どす黒い何かのせいにして、罪悪感を掻き消しながら。
……遂には人間がこの世から消え去った。
それでも、どす黒い何かは完全には消えなかった。
自分に雷を撃っても、炎を撃っても、何も起こらない。
いつの間にか、死ねない体になっていた。
この先、いつかどす黒い何かが完全に溜まったら、私はどうなってしまうのだろう。
途方に暮れながら、ふと湖に映った私の顔を覗き込んでみる。
ただ紅かった私の瞳の色は、どす黒い何かと合わさって、血のような色に染まっていた。
いずれ漆黒に染まることを想い、私はそれを、ただ嗤うことしかできなかった。
外伝ですが、これで完結です。
興味があれば本編も読んでみてください。