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咲良



 青い空に橙色の日差しが混ざる。ようやく先週まで居座っていた夏の暑さが撤退し始め、秋らしい乾いた風が吹く。夕陽に当てられた校門は、帰宅部の生徒たちによって軽く混雑していた。

 

 帰宅部、と言ってみても歩いている生徒は実に様々で、天然だろう癖っ気の頭を揺らしている細身のもやし少年、見るからに柄悪く制服を着崩した不良少年、文庫本を片手に歩く二つ結びの文学少女など、帰宅部の生徒だけで世の中学生のパターンを網羅しているような様子だ。

 

 私も例に漏れず、さしたる特徴のない群衆となっていた。私をパターンで言うのなら、前髪を切りそろえ、三つ編みを一つ結びにしたなんちゃって美術少女といったところか。んー、若干遠い気がする。


 本日の授業は終わり、部活動に行く者と足早に帰宅する者に二分される。私の中学校はさして優秀な運動部があるわけではないが、放課後は教師の指導の声と怒号、それに応える生徒の活発な声が響く健康的な雰囲気に包まれる。


 どうも捻くれがちな性分の私は、その活動的な運動部を選択肢から早々に外し、校舎の隅にある美術部の扉を叩いていた。活動的に動く自分を明確にイメージできないのが一番の理由だと思うが、消去法で部活を選ぶ当たり、やっぱり性格が曲がっている気がしてならない。当然部活への出席率はほどほどだ。

 

 そんな足の透けかけた美術部員の私だが、今日はサボタージュではなく部の休日で帰宅していた。仲良しの咲良ちゃんは居らず、一人で校門を出る。特に寂しいとは思わないが、いつも隣にいるはずの存在がないだけで、すこし収まりが悪い。


 校舎の外周を走る運動部が脇をすり抜ける。道がギリギリ二人分しかなく、歩き辛いので道の端に寄った。待っている間なんの部活かあて推量することにした。


 先頭を走っているのはやはり上級生なのか、知らない顔が多い。しかし女子ばかりだ。これはバレーボール部だろうか。いや、手足の関節にサポーターをつけていない、違うか。ではソフトボール部かな。それにしては肌が白い気がする。室内競技かもしれない。

 

 そんな風に走り行くジャージ姿を眺めていたら、知っている顔が流れてきた。あれはたしか隣のクラスの子だ。小学生の時に何度か遊んだような気がする。一応無視するのも悪いので手だけ振っておくことにした。相手もこちらに気づいて小さく手を振ってくれる。お互い最近はあまり絡まないからか、ぎこちない挨拶になってしまったけれど、それにはお互い気が付かないふりをした。

 

 そこで頭にひらめきが下りてきた。彼女がいるということは、この部活はバドミントン部だ! と、いうことはつまり……。

 

 学校側から来る集団をつま先立ちで覗く。すると、女子の集団の最後尾から若干の距離をとって男子集団が走ってくるのが見えた。私はバドミントン部が抜けるのを待たず、多少強引に帰り道を進むことにした。

 

 端に寄って体をこころなし横に向け、邪魔にならないように道を抜ける。しばらく進むと左手に小道が現れた。右手がガードレールなので逃げ道は左しかない。前を見れば団体はまっすぐ進んでいる。私はそそくさと左の小道に身を投げ入れた。

 

 たったったったっと、軽快なリズムで走る音がする。走り去る運動部の生徒たちを脇からそっと眺める。上級生は黙々としたものだが、下級生は隣の友達と会話をしている子が多い。私は顔を引っ込め、耳を立てる。油断すると自分で何をやっているんだろうと滑稽に思えてきて、無心になろうとした。彼の声が近づいて来て、そしてまた遠ざかっていく。完全に集団が通り抜けるまで待って、ようやく、ふう、とため息をついた。

 

 うちの中学の運動部は基本的に男女別れて活動しているが、いくつか例外がある。たしか、卓球部とバドミントン部の二つは男女混合だったはずだ。その中には私とセット扱いの彼も居る。しかし、必要な時以外関わりたくない、と思ってしまった。

 

 私のやっていることは自意識過剰なイタイ行為かもしれない。そもそも仲良くしてくれている相手を避けるなんて相手に失礼だ。ふとするとそんな自己嫌悪に襲われる。それでも、胸を撫で下ろすことを止められない。

 

 なんだか必要以上に気を揉んでしまった。今朝も過剰に騒いでしまったし、授業だって楽じゃない。今日はすこしだけ寄り道をして気を紛らわすことにしよう。

 そう思うと足が軽くなった気がした。我ながら現金というか即物的というか。ひとりでに笑い出しそうになって慌てて口を閉じた。なぜか頭に浮かんだのは、眼鏡を掛けた色白な横顔だった。





 商店街のアーケード通りは夕方の買い物客でごった返していた。道行く人は皆家族だったり若いカップルだったりして、これから家で迎える日常の香りに満たされているようだ。学校終わりの空きっ腹に総菜屋さんが誘惑をかけてくる。気が付けばふらふらと店の前まで吸い寄せられそうになる。


 そういえば昆虫ゼリーを切らしていたような気がする。そろそろ買いに行かなくては。こうした機会に買わなくては次に思い出すのがいつか知れない。と、一つ買い物を思い出すと、ほかにも欲しかったものを思い出す。そうだ、もうそろそろ今読んでいる本を読み終えてしまうころだ。書店にも寄らなくては。


 無事に二つの買い物を済ませると一息つきたくなってきた。幸いこの辺りには飲食店は腐るほどある。懐事情によっては忌々しく思うところだが、今日はお釣り分だけの買い食いを自分に許すことにした。


 めぼしいファーストフードを探して目を皿にしていると、見慣れた背中の、けれど見慣れない姿を見つけた。


 背は高くも低くもなく、大体百七十センチほど。筋肉質ではなくどちらかと言えば?せ型で、肌が白い。眼鏡を掛けていないのは外出のためにコンタクトレンズを入れているからだろう。


 つまり、私の好きでない方の、兄だった。

 

 ふーん、あの人もこういうところで寄り道するんだな、なんて考えて通り過ぎようとして、私の目は不可解なものを捉えた。

 隣に若い女性が立っている。大学生の兄よりも少し年上のように見えるが、社会人だろうか。それは店先に立っているのだから隣に人が立つこともあろうというものだが、なにやら様子がおかしい。というよりも距離がおかしい。肩と肩が触れ合う、とは古臭い描写だけれど、まさにそれだった。店が混雑しているわけでもないのに、だ。これは、これは……。

 

 兄が不純異性交遊をしている。


 今週、いや今月一の驚きだった。視界が激しく明滅して、手や背中が熱くなったり冷たくなったりした。しかも驚きはそれだけでは済まない。


 指を通せば一切の抵抗なく流れることが遠目でも分かる黒髪。セミロングの髪をキャスケット帽の中に緩く入れ、肩のほっそりとしたラインが窺える。頬には紅が差し、福々とした顔は柔肌をそのまま表現している。体のラインの見えづらいワンピースを着ていたが、肉体の線は自然に流れていて、唯一露出した膝下から肉付きの良さが見受けられる。その上ペルルペッシュだ。ブランド服を嫌味なく着こなして、上品に見せている。

 

 ありていに言って美人だった。しかも、自分が美人であることに自覚的な美人だ。

 何とも言えない違和感、計り知れない状況。私の胸中にもやもやもやとした波紋が広がった。

 

 兄は家では決して見せないような顔で笑い、流暢かつ落ち着いた口ぶりで冗句を飛ばしている。相手の女性もなにが楽しいのか終始はにかんでいる。しかも、笑う時には手を口に添える徹底ぶりだ。私は未だかつてあのように上品に笑う人をスクリーン以外で見たことがない。


 その二人の仲睦まし気な様子を見ていると、私の脳裏に一瞬ある女性の顔が過る。しかし私には関係のないことだと鼻を鳴らした。

 このままいつまでも凝視し続けるわけにはいかないが、どうにも動く気にならない。私はあの二人の間にあるものを暴き立てたい衝動に駆られる。立ち尽くしている私に気づく様子もなく、二人はアーケードの出口へと歩いていく。


 自然と後を追うように足を踏み出そうとしたところで、後ろから肩を叩かれた。


 

 体の奥底から仰天し反射的に振り返ると、これまた仰天した咲良ちゃんがいた。目を真ん丸に見開き口も同じ形になっている。それがちょっと愉快で、手から汗が引いていくのが分かった。

 

 落ち着きを取り戻してみて初めて気が付いたが、咲良ちゃんは制服ではなく私服を着ていた。それもこの間買ったばかりのフリルのスカートを履いている。一緒に買いに行ったからよく覚えていた。

 ようやく驚きから抜け出した咲良ちゃんが、頭をキョロキョロさせながら言った。

 

「ど、どうしたの? なにか見てたみたいだったけど。邪魔しちゃった?」

「いや、大丈夫だよ。それより咲良こそ、部活は? 友ちゃん休みだったっけ?」


 友ちゃんとは演劇部の顧問である友枝先生のことだ。咲良ちゃんは私の話題転換を気にした風もなく頭を?いている。


「ううん。私、今日本当は家の手伝いがあったこと、忘れてて。それでさっき先生に無理言って早退させてもらったんだ」


 私の頭に一瞬だけ違和感が走った。思うまま口に出す。


「ほうほう、家の手伝いねぇ。おや? しかし、この商店街を通るのは寄り道になるのではないですかな? 早く帰宅された方がよろしいのでは?」


 私は急に胡散臭くなった。咲良ちゃんは、痛いところを突かれたなあ、という顔をした。


「痛いところを突かれたなあ。でも警部さん、それは間違ってますぜ。あたしゃ家の手伝いとは申しましたが、家でしかできないことたぁ言ってませんからね」


 今度は咲良ちゃんが胡散臭くなった。この時点で私は吹き出しそうになったが、必死に堪えて迎撃をする。


「なあるほど、お買い物、というわけですな。まあ確かにそれなら分からないでもないです。いやでもしかしですな、私には一つだけ分からないことがありましてね。それが何かって言うと、そう。あなたの格好ですよ、笹倉さん」


 咲良ちゃんはわざとらしく自分の格好を見下ろして、しまった、という表情をつくった。


「な、なにもおかしなところなんてないですよ。ただの、普通の私服です」

「いいや、おかしいですね。そもそもあなたは何故学校からの帰り道に商店街に寄るのではなく、一度帰宅してから再び外に出たのか。これでは二度手間だ」


 咲良ちゃんは片方の眉をピクリと動かしたが、表情にはなにも現さなかった。というか器用だなこの子。


「帰り道に行かなかった理由なんて何でもありますよ! それに、ほら、制服だといろいろ目立ってしょうがないですからね」

「ふむ、たしかにそうかもしれない。でもここで一番重要なことはですね、それが何故買い物に出るためのラフな格好ではないのか、ということです」


 咲良ちゃんははっとしたようにスカートの裾を触った。私は間髪入れずに畳みかける。


「あなたは先ほど自分の格好を普通の私服、と仰いましたが、違いますね? それは気合の入ったお気にの服でしょう。私と先日購入した時には大層嬉しそうに袋を抱いていましたものね。と、言うことはつまり、あなたの真の目的は買い物ではなく、誰かとの待ち合わせにある。それもわざわざ部活のある日に無理をして会う機会を作ったことから、その関係を周囲に知られたくないことが推測できる。さらに制服ではなく私服で。これはいよいよもってきな臭くなってきましたな」


 咲良ちゃんは既に項垂れて私の宣告を待つばかりだ。


「いいです、もうひと思いに言ってしまってください……」

「おや、これは失敬。では言わせていただきましょう。今までの点から導き出される答え、それは!

 笹倉咲良さん、あなたは校内で付き合っている男子がいますね!

 ……え、咲良男の子と付き合ってたの?」

 

 自分で推理しておきながら私は頭をガーンと殴られたような衝撃を受けた。思わず猿芝居もやめて素に戻ってしまうほどだ。

 私に隠し事を暴かれた咲良ちゃんは、今更照れくさそうに頬を掻いている。

 

 そりゃあ、私たちだってもう中学生だ。男の子とお付き合いすることくらいはあるだろう。けど、それを他でもないこの私が知らなかったことにかなりのショックを受けた。私は開いた口を無理に開閉し、咲良ちゃんに詰め寄った。

 

「いつ! いつから? いややっぱ誰? うちのクラスのやつ? あ、それとも部活? もうちょっとなんで私に教えてくれないのよー」


 私の猛追急に咲良ちゃんは目を白黒させている。あ、ちょっとがっつきすぎたか。少しだけ冷静さが帰ってきた。いちど落ち着こうと深呼吸をする。


「よし、落ち着いた。じゃあ詳しく聞こうじゃないの」

「え、あ、ああ。そうだね。えっと何から話せばいいかな」

「まって、こんなところで話すことじゃないわ。いや私が言えるこっちゃないけど」


 三文芝居と衝撃の事実ですっかり忘れていたが、ここは買い物客で賑わう商店街のアーケードのど真ん中だ。流石にここで色恋の話をするわけにはいかないだろう。と、そこでそもそも咲良ちゃんは待ち合わせの直前だということを思い出した。あくまで私の推理が正しければだけど。


「咲良、時間大丈夫? 本当に待ち合わせなら私との話は今度でいいよ」

「あ、それは大丈夫。ちょっと早めに出てきたから、あと三十分くらいなら」


 そうとなれば話は早い。私は咲良ちゃんの手を取る。


「よし、じゃあどっかそこらの店で詳しい話を聞こうじゃないか」

「えぇ、ここから取り調べですかー、警部さん」

「かつ丼は出ないけど、ハンバーガーならおごって差し上げますよ」


 よし、なるたけ時間をかけずに聞けること全部聞いてやろう。私たちはまたはしゃぎながらもアーケードを進む。店はすぐそこだ。





「でも、すごかったなあ。会ってすぐに私の隠し事もこれからの予定も全部当てちゃうんだもん」


 あらかたの話を聞き終えて、私たちはオレンジジュースを片手に一休憩をしていた。

 話自体は十分ほどで大体のところを聞き出せた。今日はあまり時間がないからしょうがないけれど、後日もっと突っ込んで聞くことにしよう。

 私がそんな決意を固めていると、咲良ちゃんが突然そんなことを言い出した。


「ええ、そんなことないよ。あんなの少しいつもの咲良を知ってたら誰だって当てられることだし」

「それでもやっぱりすごいよ。なんか本物の探偵か刑事みたいだったし。というか気迫がすごかったね。演劇部に誘いたくなっちゃうくらい役に入ってたし」


 なんだか咲良ちゃんに褒められるのは居心地が悪くて、私は身の置き場に困る。普段の距離が近いからなおさらそう感じるのだろうか。


「探偵ねえ。私、そういう本はよく読むけど、現実の探偵なんてフリーターより多少マシくらいじゃない? 靴底すり減らして浮気調査なんてやだよ」


 少し好きなものを話すことに抵抗があってそんな言い方をしてしまう。


「ああ、そういえばそういう、ミステリー? 小説とか好きだったね。さしずめさっきのは少年探偵団ならぬJC探偵ってとこ?」


 咲良ちゃんは私の探偵観にはあえて触れずに、適当なことを言って笑っている。ていうかJC探偵って。女子中学生の方がまだ字面が良いと思う。というかJCがいかがわしい。


「ねえ、ほかの子の恋愛事情を暴いてみるのとか面白そうじゃない? 尾行とかしてさ」

「なんか暴くって言い方するとちょっと意地汚く聞こえる……」


 さっきまで自分がその立場だったというのに、全部ゲロってしまったからか随分他人事だ。実際あまり趣味がいいとは言えないだろう。しかし私の消極的な気持ちに気づかず、咲良ちゃんは楽しげに言う。


「最近ほかにないの? 怪しい場面を目撃! とかそういう桃色シーン」


 そう言われて、私はすぐに商店街で見た兄の後姿を想起した。そうだ、私は元々そのことについて知りたかったのだ。


 尾行、か。探偵紛いのことをして兄の秘密を暴く。果たして私はそうまでして彼のことを知りたいのだろうか。自問してみても答えは返ってこない。ただ、あの光景を見てから、私の胸に正体不明のもやもやが居座っているのも確かだ。


 そこで自分の世界に埋没しそうになっていた私をおいて、咲良ちゃんが立ち上がった。見るとスマートフォンを確認している。


「ごめん、そろそろ行かなきゃ。今日はありがとうね。やっぱ誰にも言わないってちょっと重たいし、言えてよかったよ。また今度じっくり話すね」


 そう一息に言って咲良ちゃんは手を合わせながら店を出ていった。

 私は独り、二人掛けの席で考えに没頭する。店内には聞いたこともない洋楽のポップスが流れていた。


 重たい。たしかに秘密を抱え続けるのは誰にだって重たいことだ。それはでも重たい秘密だからこそ誰にも言えないのだ。特に、自分から言うなんてもってのほかだ。でも。でももし誰かに暴かれるのだったら、自分で告白するよりもその人の罪悪感は薄いのではないか。実際咲良ちゃんもかなりすっきりした様だった。

 

 私の考えていることが自分を誤魔化すための口実で、陳腐な理論武装に過ぎないことは、分かっていた。今、私は自分自身の行為を正当化するために汚いことをしようとしている。

 けどやっぱり、駄目だといわれることをするのは楽しいのだ。



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