学校
目を覚ました時になんだか胸が痛い気がした。どうもあんまり良い寝方じゃなかったみたいだ。消しゴムの夢を見た気がするけど、あんまりはっきりしない。
枕元に置いてあったスマホを開く。今自然と開くって使ったけど、スマホって別に開閉式じゃないな。
メッセージが三件来ていた。一つは学校の友達、週末に遊びに行く件でグループに宛てたものだ。だからまあ、とりあえずスルー。二つ目は母親から、洗濯物を干すように、というメッセージ。これには了解、と返信する。三件目は、クラスメイトから。文面を考えるのがしんどくて、いったん放置。
そこでようやく時間を確認する。どうやら寝ていたのは一時間ほどらしい。デジタル時計が六時十五分を表示していた。
起き上がるのが億劫で、ぼーっと天井を見上げる。ふと、天井に鏡を設置したら起きたときどんな気持ちになるか想像した。目が覚めて最初に見る自分の顔。それは寝起き故にだらしない顔で、もしかしたら涎まで垂れているかもしれない。考えてみたら、寝起きの表情って無の表情だ。なにも考えていないし、一番無防備な顔だ。そんな自分の顔を真っ先に見る。うーん、やっぱりやめておいたほうがいいかな。あんまり楽しそうじゃない。
一頻りくだらないことを考えると、起きる気力が湧いてきた。よし、洗濯物片づけるか。
ベッドからずるずると出る。足をカーペットに降ろすと、何か踏みつけた感触があった。
「ん」
拾い上げてみると、花柄のヘアピンだった。あー、これいつ買ったやつだっけなあ、と首を捻りながら机に歩み寄って、引き出しを開ける。中には使わなくなった鉛筆やゲームソフトが入っている。その内の缶ケースを取って、ヘアピンを中に放り込む。花柄は多様な髪留めの中に埋没した。
さて、とその場で大きく伸びをした。ようやく体が起き始めた気がする。
部屋を出て洗面所へ。洗濯機の隣に洋服が山になった籠がある。それを取ってベランダへ向かう。
洗濯物を干していると、夕日が向かいのマンションにかかっていた。うちがマンション住まいでなかったら絶対に洗濯物は乾かないだろうな。ベランダから見下ろせる路上では男の子たちが鬼ごっこをしてはしゃいでいる。もう結構いい時間なのに帰らなくていいのかな。
昔、お世話になったおじさんに、「近頃の子供はテレビゲームをしてばかりだ。自分がガキの頃はそこら中を走り回って怪我こしらえて泣き喚いたもんだ」と言われたことがある。私はそれを、「へー近頃の子供はだめだなあ」って思って聞いていた。最近になってそれが自分の世代を指していることに気づいた。
眼下の子供たちは楽しそうに鬼ごっこをしている。大人も間違った事を言うのだ。初めての感覚だった。こんなこと、今どきニュースを見てれば誰だって分かる事なのに、私はそれを知らなかったのだ。
でもあのおじさんの言っていたことがまるっきり間違いってわけでもない。公園に行けば、遊具の上で携帯ゲームを囲っている小学生を見られるし、うちのマンションのエントランスにも、放課後はいつも同じ子たちが地べたでカードを並べている。私は勿論その子達とも知り合いだけど、そういう時はあんまり目を合わさない。見るとやっぱり軽蔑しちゃうと思うから。
気が付けば洗濯物は空だった。こんなんだからぼんやりしているって咲良ちゃんに言われるんだな。
ベランダからリビングに入ると、母親が冷蔵庫に食材を詰めていた。
「おかえり」
声をかけると、ん、とだけ返ってくる。
なんだかまだ眠気が残っている。夕食の時間になったら起こしてくれるように頼んで、もうひと眠りすることにした。
○
学校で一番嫌いな時間は、登校してきてから席について先生を待っている間だ。この時間に一人でいると、友達がいないみたいに思われるし、かといって朝からお喋りがしたいわけでもない。なのに今日も私は友達とバラエティ番組の話をしている。
私は女子だから当然だけど、女の子のグループを作っている。大体いつも四人くらいで、そこにほかのグループの子が来たり、逆に行ったりする。そのなかでも一番一緒にいることが多いのは咲良ちゃんだ。いろいろ理由はあるけれど、一番は家が近いから、だと思う。それに、ペアの子が居る方が過ごしやすい。そんな感じの似たようなグループが女子には二つくらいある。
男の子はもっとわかりやすい。グループなんてなくて、誰と誰の仲が良いっていう個人単位の友達関係だ。遊ぶときは皆で遊んでいるし、クラスメイトなら大抵仲良し。
私はそれがたまに羨ましくなる時がある。
ふと、その時視線を感じて頭を右に向ける。私の視線と、ある男子の視線がぶつかる。彼は視線が合ったことに、少しだけ目を見開いてみせた。
「お前、笹倉のこと見すぎだよ!」
突然級友から投げかけられた言葉に、彼も私も一瞬だけ目を揺らしたが、彼はすぐに笑顔を被った。
「ばっか見てねえよ! 仮に見てたとしても邪な気持ちじゃなくて、そう、芸術品を見るような清らかな見方だよ!」
彼の大仰なツッコミに周囲の輪から、うそくせー、という笑い声が広がる。ネタに使われた笹倉、笹倉咲良ちゃんも、私の隣で恥じらいながらも笑顔を浮かべている。
自分がその時どういう反応をすればいいのか考えて、とりあえずムッとすることにした。
「ちょっと、咲良がまるで西洋画みたいじゃん。だいたい、そんな風にクラスメイトを見てるほうが気持ち悪くない?」
「おっま、そういうこと言います? 俺のイカしたアドリブが死んじゃうだろうが」
「はいはい、もういいよ行って。ツッコミ光らなくなってるから」
私の演技がかった手ぶりに、彼もまた音を立てて机に突っ伏す。最後に隣の友達が彼の頭を叩いたところで、朝の教室は笑い声に包まれた。
彼もまた照れくさそうに顔を上げる。
「いやあ、やっぱ鉄板コンビだわ」
私たちを囲んでいた一人が頷きながら言う。多分、私と彼のコント染みたやり取りのことを言っているのだろう。
私が彼と今みたいな掛け合いをするのは珍しいことじゃない。私は元来遠慮する性格ではなく、それが男子と会話する時に砕けた口調という形で現れる。大抵は面食らわれて終わりなのだが、たまに彼のように噛み合う時がある。それが中学に入ってから周りにやたらと受け始めた。私たちは普通に会話しているつもりなのだけど、周りからはアマチュア漫才コンビ扱いだ。
多分私は、そのうち彼と付き合うことだろう。そんな予感がある。
中学校という小さなコミュニティでできた周囲からの印象は、そう易々と変えられるものではない。みんなは私を思い出すときに、連鎖するように彼のことを思い出すだろう。そしてそれはそれだけで人の関係を変える。意識を変える。
だけど、私は、
「はーい、席についてー。先生来たよー」
前側の扉から担任教師が入ってくる。学級委員の言葉で教室の中央に集まっていた生徒たちがわらわらと自分たちの席に帰っていく。私は教室中央の自分の席から動いていなかったので、席からクラスメイトが動くさまを所在なさげに見守る。前の席についた彼が首だけでこちらを振り返る。目が合うと彼は少し照れくさそうに、けれど嬉しそうにしかめっ面をする。私もそれに合わせて眼だけで怒って見せた。
私と彼の、手袋の上から握手するような、むず痒いやり取り。きっと、周囲の何人かは気づいている。それを分かっていて知らないふりをしている私たちは、まるで三流役者だ。
それを思う度に、私に罅が入る。これが全身に達した時、私はこの自分を保っていられるだろうか。




