第3話:膿と芽7
夕刻―――昨夜と同じく、主戦場となるであろう、村の西に広がる平野をアリッサは、ファノとともに眺めていた。
「アリッサ……本当に野盗は、また今夜攻めて来るの?」
「来る……必ず来る―――昨夜のこちらの被害は甚大だ。阿呆でなければ、こちらの態勢が整う前に、必ず叩きに来る!」
アリッサの答えにファノは、戦死した野盗の死体が、いまだ生々しく転がるその大地を、緊張の面持ちで見つめる事しかできなかった。
だがその目―――魔眼は、地平線の彼方に味方の影を認めると、
「アリッサ、エゴイたちが戻ってきたよ」
先程までの緊張とは、うって変わった華やいだ声で、その帰還をアリッサに向かい告げた。
「見えるのか、お前の目には?」
地平線の人影は、見えるといえば見えるといった程度の大きさにもかかわらず、この『異能の民』は、それが味方のものであると言い切った。
「見えるんじゃない、感じるの。あの影は、エゴイとジーとユーだって」
「感じる……か」
そう言うとアリッサは、昨夜の戦を思い返した―――戦の終盤、野盗の挟撃部隊の襲来をファノはいち早く察知し、アリッサに伝えに来た。マルコの諜報により、それを事前に掴んでいたアリッサはその時、平静を装ってはいたが内心その『魔眼』の力に舌を巻いたものだった。
「今夜の戦……また何かを、その目で感じる事があったら、すぐに私に伝えろ」
地平線を見つめたまま、無表情にアリッサがそう言うと、顔を覆うその前髪の中で、嬉しさにはにかみながら、「うん―――」と、小さな声でファノは短く答えた。
「おお、エゴイが戻ってきたか。これで仕込みは完了だな」
その声に二人が振り向くと、手にした長弓をヒュンヒュンと、弦の音を鳴らしながら近づいてくるモルガンの姿があった。傍らにはトロワとダイヤの姿も―――どうやら彼らは、一二〇の距離の先にある目標を、一撃で射抜く難題について打ち合わせをしていた様だ。
「あれが丁度、一二〇ってとこだな」
こちらに向かう巨漢エゴイの姿を指差しながら、トロワは目算ながらも、その目安をモルガンに伝えると、
「遠いなあ、当たんのか本当に」
この時ばかりは、冗談とも本気ともつかない苦笑を浮かべた。
「外したら、オッサンに一騎駆けして大将の首、取ってきてもらうしかないねえ」
「それはいい。励めよ―――モルガン」
ダイヤの手厳しい激励に、すかさずアリッサは合いの手を入れた―――二人もこの難題に挑むモルガンの心中を察すると、何か言葉をかけずにいられない気持ちだった。
「俺とダイヤは、アリッサの前で矢を放ち続ける。頃合いになったら、すかさずダイヤの位置に入って、俺の指示を待ってくれ―――心配するな、俺が必ずお前の矢を導いてやるから」
これもまたモルガンを勇気づけるために、言葉を発したトロワだったが、彼の声も緊張に満ちていた―――無理もない。一二〇先の標的を射抜くという、常識を超えた難題の成否は、その観測手を務めるトロワにこそ、かかっているのだから。
「まあ二、三発射ちゃあ、そのうち当たんだろ。へヘッ」
許される機会は一度だけ―――百も承知だが、そうでも言って茶化す事しかモルガンも、トロワの心遣いに応える術がなかった。
各々が、各々の緊張を解こうとする、気まずい流れをひとたび止めたのは―――「ククク」「ケケケ」と声を発しながら、無遠慮に話の中に飛び込んできた、ジーとユーであった。そして少し遅れて、エゴイも帰還してきた。
「ご苦労だったなエゴイ、仕込みは滞りなかったか?」
労いをこめた問いに、エゴイはいつも通り黙って無表情に頷く―――言葉を発さぬその寡黙さは、彼の特性ともいえるものだが―――そうであれば何も心配はない。アリッサはその態度で『二の策』による残敵殲滅の成功を確信した。
「ジーとユーもご苦労だったな。エゴイの仕込みを、誰にも見られない様に守れたか?」
想定戦域での工兵の活動は、隠密行動を要する。今回の仕込みは、やや北方に寄っていたので懸念は低かったが、それでも野盗団の斥候を警戒する必要があり、エゴイにジーとユーを付けたのだった。
二人は答える代わりに、ファノのまわりをピョンピョンと、その成果を誇る様に跳ね回った―――どうやらこの異形の二人組はファノの事が気に入ったらしい。
「どうやら遭遇戦もなかった様子ですね」
声の方向にアリッサが振り向くと、そこには馬の準備を終えて、これもまた策の仕込みに向かわんとする、マルコの姿があった。
「うむ、これで『二の策』は滞りなく進みそうだ。お前はまた別働任務となり、すまないが―――今回は一つの綻びも許されない。お前も抜かりないように」
「わかっています。段取りが済み次第、私も側面から戦線に入ります」
いつも冷静沈着を崩さない、マルコの声も心なしか緊張しているようだ。
一つの綻びも許されない―――自然に口をついて出た言葉だったが、言った後でアリッサは、場をなおさら緊張させる様な発言をしてしまった事を悔いた。
アリッサ、モルガン、トロワ、ダイヤ、エゴイ、ジー、ユー、そしてマルコが―――『守兵団ドラグレア』の八人が、策の成就へ、勝利に向かって、ひとつ、ひとつ、仕込みを積み上げていく。
その中で緊張を深めていく彼らの姿を見て―――『自分も何か力になりたい、この人たちのために』と、ファノは心からそう思った。そしてその思いは溢れ出し、次の瞬間には言葉が飛び出していた。
「あの、あの、私も―――頑張ります!」
唐突なその言葉、そして予想外の叫びに、一同は驚き、ファノに向かって注目した。
思わず言ってしまったものの―――頑張るって、何を私ができるっていうの。ああ、恥ずかしい―――そう思いながら、ファノは恐る恐る、その前髪の中の目で、一同を見渡すと、予想に反して皆の顔はほころび、微笑みを浮かべていた。
「頼りにしてるぜ」「ありがとよ」
そして口々に、ファノに向かって、その思いへの感謝を述べた。アリッサは何も言わずに、ただファノをまっすぐに見つめ、深く頷いた―――『すまない、ありがとう』と。
困難な策の成就に向けて、いやが上にも緊張が高まる空気を、ファノのまっすぐな思いが解きほぐしてくれた。これでいける―――なぜかアリッサは、根拠のない自信ながらそう思った。気付かぬながらも、アリッサはファノに出会った事で『変化』を遂げていた。
そして、その『変化』が―――やがて、この世界を変えていく鍵となっていく事を、アリッサもファノも、まだ今は知る由もなかった。
場の空気が和み、各々の表情が柔らかくなっていく中、アリッサはその立役者である、ファノの表情の変化に気付き、「どうした、ファノ!?」といち早く声をかけると、
「何か来てる!―――南……南から来てるよ!」
その魔眼は、村に訪れた危機を察知し、南に向かって指を指した。
村の南方―――そこには、東西の村人の対立の原因となった、『西の民』が領有する肥沃な畑がある。
まさか!―――アリッサは、嫌な予感を胸に、南へ急いだ。ファノ、ドラグレアの面々もそれに続く。
そして村の南方に達すると、そこにはアリッサが抱いた『嫌な予感』が現実のものとなって展開されていた。
野盗団の少数部隊が―――畑の作物を、苗を、長年かけて大切に育ててきた土を―――根こそぎ潰しにかかっていたのだった。
それは、もはやこの村の作物はいらない、お前らを根こそぎ皆殺しにする、という宣戦布告と同時に、村人の命ともいえる畑を潰す事で、その戦意を喪失させるという挑発も兼ねていた。
騒ぎを聞きつけた村人も何人か駆けつけてきている。そして口々に絶望の叫びを上げ、中にはその行為を止めるべく、飛び出さんとしている者さえいる。
「出るな!挑発だ!―――出れば奴らの思う壺だ!」
小規模戦闘でも、ここで村人に犠牲が出れば、間違いなくこちらの士気は衰える。それも野盗側の狙いであろう。ならばそれに乗るのは愚の骨頂。ここは黙って見ているしかない。むしろそれを逆手にとって士気を上げるのだ。瞬時にそう計算したアリッサは、
「耐えろ、そしてよく見ておけ!―――あれが我らが殺すべき敵だ!」
村人の絶望を憎しみに転嫁させるべく、声をかぎりに憎悪を煽り立てた。
音を立て潰れる作物、引きちぎられる苗、汚されていく土―――我が身を切られる様な思いに、村人は涙を流しながら耐え、その光景を見つめ続けた。
「勝とうね―――」
不意にファノがそう言った。だが、もうアリッサも驚かなかった。そしてその言葉に導かれる様に、
「ああ、勝たねばならん」
拳を固く握り締め、修羅の表情で、来たる野盗団との決戦への勝利を、己に向かって固く誓ったのだった。